1970年代に『装苑』の表紙を飾ったトップモデル、小泉一十三さん。
ある時期からぱったりと表舞台で見かけなくなり、今も「あの人は今どうしているの?」という声が残り続けています。
この記事では、現在の活動として名前が確認できる仕事から、再婚の噂、萩原健一さんとの結婚生活までを整理しました。
・小泉一十三の現在の仕事と、名前が確認できる活動の記録
・リトバルスキーとの再婚説がデマとされる理由
・萩原健一との結婚・離婚の経緯と、娘・羽衣子の現在
小泉一十三の現在はファッションの裏方
1970年代にトップモデルとして活躍した小泉一十三さんが今どうしているのか、気になって検索した方も多いのではないでしょうか。
ここでは、公になっている活動の記録をたどりながら、現在の姿を追いかけていきます。
現在はトータルコーディネーター
小泉一十三さんの現在の肩書きとして各所で伝えられているのが、ファッションのトータルコーディネーターという仕事です。
モデルとして自分が着る側にいた人が、今度は「誰かに似合うものを組み立てる側」に回った形ですね。
雑誌の表紙を飾っていた頃の華やかさとは違い、こちらは完全に裏方の仕事です。
だからこそテレビや雑誌のグラビアで顔を見かけることがなくなり、「あの人は今どこへ行ったんだろう」という検索が長年続いているのだと考えられます。
実際、Yahoo!知恵袋には「昔『装苑』などで活躍されていたモデルの小泉一十三さんは今どうしているのか」という趣旨の質問が残されたままになっています。
長い年月ずっと同じ疑問が投げかけられているというのは、それだけ当時の存在感が強かったということでもありますよね。
つまり現在の小泉一十三さんは、芸能界から姿を消したのではなく、ファッションの世界の裏側へ活動の場所を移した、というのが実態に近い形です。
現在の住まいは神戸という説
出身が兵庫県神戸市とされていることから、地元の神戸で暮らしているのではないかという見方も一部にあります。
ただ、これは公式に発表された情報ではなく、あくまで出身地から推測されている話です。
本人が住まいについて語った記録は見つかっていないため、ここは「そういう説がある」という程度に受け止めておくのがよさそうです。
ファッション甲子園やグッドデザイン兵庫の審査員
現在の活動として名前を確認できる、いちばん具体的な記録がこちらです。
小泉一十三さんは、高校生がファッションデザインを競う「ファッション甲子園」の審査員を務めています。
| 活動 | 内容 |
|---|---|
| ファッション甲子園 | 2002年・青森県弘前市で開催された大会の審査員 |
| GOOD DESIGN HYOGO | グッドデザイン兵庫の選定委員 |
| 雑誌での仕事 | 『ミセス』『婦人公論』などで評論を執筆 |
ファッション甲子園は、全国の高校生がデザイン画を送り、勝ち残った作品を実際に縫って発表する大会です。
審査するとなれば、単に「きれいかどうか」ではなく、素材の選び方や着たときのシルエットまで見なければいけません。
現役のモデルとして何百着と袖を通してきた人だからこその目が求められる場所だと言えます。
そしてもう一つ、兵庫県の「GOOD DESIGN HYOGO(グッドデザイン兵庫)」でも選定委員を務めています。
こちらは衣服に限らず、地域の製品やデザイン全般を選ぶ役割です。
……なんか、いいですよね。表舞台から静かに退いた人が、次の世代の作品を選ぶ側で名前を残しているというのは。
ミセスや婦人公論で評論を書いていた
活動の記録としてもう一つ挙げられているのが、雑誌での執筆です。
『ミセス』や『婦人公論』といった、大人の女性向けの雑誌で評論を寄せていたと伝えられています。
どちらも、若い読者向けのトレンド誌ではありません。
年齢を重ねた女性が「これから何を着るか」「どう装うか」を考えるための雑誌です。
10代・20代の頃にモデルとして頂点を見た人が、同世代の読者に向けて言葉で伝える側に回った、という流れになりますね。
顔を出す仕事から、名前と言葉で残る仕事へ。
現在の小泉一十三さんの活動は、この「見られる側から、選び・語る側へ」という一本の線でつながっています。
50代までモデルを続けて表舞台を離れた
小泉一十三さんは、50代までモデルの仕事を続けていたと伝えられています。
これ、けっこうすごいことだと思いませんか。
日本のモデル業界で50代まで現役というのは、今でこそ珍しくなくなりましたが、彼女が活躍した1970年代から考えれば相当に長い現役期間です。
そして現在は、表に出る仕事はしていないとされています。
コーディネーターや審査員という仕事はあくまで裏方なので、メディアで名前を見る機会が減るのは当然の流れです。
芸能界を「引退した」という発表があったわけではなく、露出のある仕事を少しずつやめていった、という表現のほうが近いのかもしれません。
だから「消えた」というより、「見えるところにいなくなった」だけなんですよね。
再婚したのかリトバルスキー説の真相
現在について調べていくと、必ず出てくるのが再婚の噂です。
とくに広まったのが、元サッカー選手のピエール・リトバルスキーさんと再婚したのではないか、という話でした。
ただ、この説については複数のメディアがデマだと結論づけています。
きっかけは、リトバルスキーさんの妻の容姿が小泉一十三さんに似ていた、という点にあったようです。
日本人離れした顔立ちの女性が海外出身の有名選手の隣に立っていれば、「あの元モデルでは」と早合点する人が出てもおかしくはありません。
そこから話がひとり歩きしたと考えると、噂の広まり方としては筋が通ります。
なお、その後の再婚について公表された情報は見つかっていません。
離婚後は娘を育てながら仕事を続けており、私生活を公にしてこなかった人なので、仮に何かがあったとしても表には出さない可能性が高いでしょう。
再婚については「していない」と断言できる材料もない代わりに、リトバルスキーさんとの再婚説だけははっきり否定されている、というのが現状です。
萩原健一の訃報にも沈黙を貫いた
2019年、元夫である俳優の萩原健一さんが亡くなりました。
このとき、小泉一十三さんは公にコメントを出していません。
元妻としての談話が求められる場面ではありましたが、表に出ることを選ばなかったわけです。
離婚から40年以上が経っていたことを考えれば、当然といえば当然かもしれません。
ただ、ここで何も語らなかったという事実そのものが、現在の彼女の立ち位置をよく表していると感じます。
騒がしい場所から距離を取り、自分の名前が話題になる機会を増やさない。
その姿勢が離婚後ずっと一貫しているからこそ、現在の情報がここまで少ないんですよね。
現在に対する世間の声
小泉一十三さんの現在について、世間ではどう受け止められているのでしょうか。
検索の場に残っている反応を見ると、大きく次のような傾向がありました。
| 声の種類 | 内容 |
|---|---|
| 懐かしむ声 | 『装苑』の表紙で見ていた世代からの「今どうしているのか知りたい」という質問 |
| 驚きの声 | 萩原健一の最初の妻がこの人だったのかという反応 |
| 評価する声 | 審査員や選定委員として名前が残っていることへの納得 |
とくに多いのが、当時をリアルタイムで知っている世代からの「その後を知りたい」という声です。
Yahoo!知恵袋の質問が長く残り続けていることが、その象徴だと言えます。
一方で、若い世代にとっては「萩原健一さんの最初の奥さん」として名前を知るケースが多いようです。
同じ人物なのに、世代によって入口がまったく違うんですね。
小泉一十三の現在を調べる人向けの関連情報
ここからは、現在を知るうえで前提になるモデル時代の経歴や、家族についての情報をまとめていきます。
装苑の表紙を飾ったモデル時代
小泉一十三さんは、1970年代の日本を代表するファッションモデルの一人でした。
代表的な活躍の場が、文化出版局の『装苑』です。
『装苑』は服作りを学ぶ人が読む専門色の強い雑誌で、ここの表紙を飾るというのは、業界内での評価が高いことの証明でもありました。
日本人離れした長身とプロポーションを持っていたため、当時としては珍しいタイプのモデルだったと伝えられています。
高校卒業後に上京してモデル活動を始めたとされており、そこから短期間でトップレベルまで駆け上がったことになります。
これは単純にすごい、と素直に思います。
生年月日や出身地などのプロフィール
公表されている範囲でのプロフィールを整理すると、次のようになります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 小泉一十三(こいずみ ひとみ) |
| 生年 | 1949年生まれとされる(※単独ソース) |
| 出身地 | 兵庫県神戸市とされる(※単独ソース) |
| 身長 | 170cm |
| 職業 | 元ファッションモデル/トータルコーディネーター |
| 趣味 | 水泳・乗馬・油絵 |
生年が1949年だとすると、2026年時点で70代後半という計算になります。
ただし、生年月日や出身地は情報源が限られており、複数のメディアで裏付けが取れているわけではありません。
そのため、ここは参考値として見ておくのが安全です。
身長170cmという数字は、1970年代の日本人女性としてはかなり高いほうです。
当時のモデル業界で頭一つ抜けた存在感を放っていた理由が、この数字からも伝わってきますね。
ハーフと言われた理由
小泉一十三さんには、ハーフではないかという説がついて回りました。
理由ははっきりしていて、170cmという長身と、目鼻立ちのはっきりした顔立ちです。
1970年代の日本で170cmの女性というのは、街を歩けば振り返られる高さでした。
そこに彫りの深い顔立ちが加われば、「日本人ではないのでは」と言われるのも、当時の感覚としては自然な流れだったのだと思います。
ただし、これはあくまで見た目から生まれた憶測です。
本人が両親や出自について語った記録は見つかっておらず、ハーフだと裏付ける具体的な材料はありません。
つまりハーフ説は、当時の日本人の平均的な体格と比べて目立っていたことから生まれた噂であり、事実として確認できるものではないということです。
萩原健一との結婚と3年での離婚
小泉一十三さんの名前が今も語られる最大の理由が、俳優・萩原健一さんとの結婚です。
2人が出会ったきっかけは、ドラマ『太陽にほえろ!』での共演だったと伝えられています。
当時の萩原健一さんはマカロニ刑事役で一世を風靡した時期で、まさに時代の顔でした。
そのショーケンと、雑誌の表紙を飾るトップモデル。
華やかすぎる組み合わせですよね。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 結婚 | 1975年4月とされる(1974年とする記述もあり) |
| きっかけ | ドラマ『太陽にほえろ!』での共演 |
| 離婚 | 結婚から約3年後 |
| 離婚理由 | 公式には明かされていない |
離婚理由については、萩原健一さん側の異性関係が原因だったという見方や、仕事の多忙によるすれ違いだったという見方が語られています。
ただ、どちらも関係者の証言として公表されたものではありません。
当時の萩原健一さんが売れっ子として休みなく働いていた時期であることと、結婚生活が3年ほどで終わっていることを並べて考えると、生活のリズムが噛み合わなかった可能性は考えられます。
とはいえ、これはあくまで時系列からの推測にとどまります。
離婚の理由が最後まで語られなかったこと自体が、小泉一十三さんが表で騒がない人だったことの表れなのかもしれません。
養育費を着ぐるみのバイトで払い続けた萩原健一
離婚後、娘の親権を持ったのは小泉一十三さんでした。
萩原健一さんはその後、養育費を支払い続けたと語っています。
そのなかで知られているのが、収入が厳しかった時期に知人から紹介された着ぐるみのアルバイトの話です。
3か月間、一日も休まずに続けたと語られています。
俳優業と並行して着ぐるみを着てバイトをし、養育費を一度も滞らせなかった、と。
……これはちょっと、胸に来るエピソードでした。
そして裏を返せば、その養育費を受け取りながら娘を育てていたのが小泉一十三さんだったということでもあります。
娘・羽衣子は一般人として生活
小泉一十三さんと萩原健一さんの間には、娘が1人います。
名前は羽衣子(ういこ)さんとされています。
ただし、この名前については断定して伝えているメディアと、「そういう説がある」という書き方をしているメディアがあり、公式に確認されたものではありません。
生まれた時期についても、1975年4月とする情報と1975年9月とする情報があり、記述が分かれています。
両親ともに容姿に恵まれていることから、成長後の芸能界入りを期待する声もあったようです。
しかし現在に至るまで、羽衣子さんとされる人物が芸能活動をしている形跡は確認されていません。
娘さんは芸能界には進まず、一般人として静かに生活していると見られます。
親が2人とも有名人だったことを考えると、表に出ない道を選んだのは、母である小泉一十三さん自身の生き方の影響もあったのかもしれませんね。
小泉一十三の現在のまとめ
- 小泉一十三は1970年代に活躍したトップファッションモデル
- 雑誌『装苑』の表紙を飾るなど業界内での評価が高かった
- 現在はファッションのトータルコーディネーターとして活動しているとされる
- 2002年に青森県弘前市で開催されたファッション甲子園の審査員を務めた
- 兵庫県のGOOD DESIGN HYOGOでは選定委員に就任
- 『ミセス』『婦人公論』などの雑誌で評論を執筆していた
- 50代までモデルの仕事を続けたと伝えられる
- 現在は表に出る仕事はしておらず、メディアでの露出はほぼない
- 神戸で暮らしているという説があるが公表された情報ではない
- 元サッカー選手リトバルスキーとの再婚説はデマとされる
- 噂の発端はリトバルスキーの妻が小泉一十三に似ていたためという説
- 元夫は俳優の萩原健一で、出会いはドラマ『太陽にほえろ!』の共演
- 結婚は1975年4月とされ、約3年で離婚した
- 離婚理由は公式には明かされていない
- 娘が1人おり、名前は羽衣子とされるが公式情報ではない
- 娘の親権は小泉側が持ち、萩原は養育費を払い続けたと語っている
- 娘は芸能界に進まず一般人として生活しているとみられる
- 2019年の萩原健一の訃報に際してもコメントを出していない
- 身長170cm・1949年生まれ・兵庫県神戸市出身とされる(単独ソース)
- ハーフ説は長身と顔立ちから生まれた噂で裏付けはない


