森山直太朗さんの「さくら(独唱)」をはじめ、数々の名曲の言葉を生み出してきた詩人・御徒町凧さん。
その父親について調べると、なぜか作家・村上龍さんの名前ばかりが出てくるんですよね。
調べてみると、この説が広まったきっかけは意外なほど単純なものでした。
・御徒町凧の父親について公表されている情報の有無
・村上龍の息子という説が広まった出どころと、その根拠の中身
・本名・出身・ペンネームの由来など、父親と結びつけて語られがちな事実
御徒町凧の父親は公表されておらず情報が見つからない
「御徒町凧さんの父親ってどんな人なんだろう」と調べてみたのに、なぜか出てくるのは噂話ばかり。
ここでは、公表されている情報とネット上で流れている説を、ひとつずつ切り分けて整理していきますね。
父親の名前も職業も公表されていない
まず結論からお伝えします。
御徒町凧さんの父親については、名前も職業も年齢も、公に発表されている情報が一切ありません。
これは「隠している」というより、そもそも語られる機会がなかった、という表現のほうが近いかもしれません。
御徒町凧さんは詩人・作詞家という、テレビの前に立つタイプの表現者ではないんですよね。
森山直太朗さんの「さくら(独唱)」をはじめとする数々の楽曲の作詞を手がけ、詩集も複数刊行している方ですが、活動の中心はあくまで言葉のほうにあります。
バラエティ番組で家族の話を披露したり、雑誌で実家を紹介したりといった露出の仕方をほとんどしてこなかったので、父親についての情報が世に出るきっかけ自体がなかった、というのが実態に近いです。
公表されている御徒町凧さん本人のプロフィールを整理すると、次のようになります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 菅原径(すがわら けい) |
| 生年月日 | 1977年5月18日 |
| 出身地 | 東京都足立区綾瀬 |
| 出身校 | 成城学園中学校高等学校 |
| 職業 | 詩人・作詞家、セツナインターナショナル社長 |
| 家族 | 妻は劇作家・小説家の本谷有希子 |
見ていただくと分かる通り、本人の経歴はかなり細かく分かっているのに、親の欄だけがぽっかり空いているんです。
このアンバランスさが、かえって「父親は何者なんだ」という関心を呼んでいるところはあるかもしれませんね。
本人が父について語った記録は見つからない
では、インタビューなどで御徒町凧さん自身が父親に触れたことはあるのでしょうか。
こちらも、確認できる範囲では見当たりませんでした。
御徒町凧さんはラジオや音楽メディアのインタビューにはたびたび登場していて、詩を書き始めたきっかけについてはかなり具体的に語っています。
文化放送のインタビューでは、中学時代のことをこう振り返っていました。
「教科書の片隅につらつら落書きしていたんですね、ほぼ無意識に言葉を書いて」
当時は自分が書いているものを詩だとすら思っていなかったそうで、後日の授業中にその落書きを見つけて「こうしたほうが……」と手を入れ始めたのが出発点だったといいます。
……なんか、いいですよね。
詩人になろうとしてなったのではなく、気づいたら書いていた、という始まり方です。
こうした幼少期・少年期のエピソードは語られているのに、そこに家族が登場しないんですよね。
つまり「取材で聞かれなかった」のではなく、御徒町凧さんが自分の作品の話をするときに、家族を材料として使ってこなかったということだと思います。
ちなみに、父親についての情報が出てこないのは、御徒町凧さんに限った話ではありません。
一般の方であるご家族の名前や職業は、本人が話さない限り表に出ないのが当然で、それが公表されていないこと自体は何かを示すものではないんですよね。
村上龍の息子という説が広まった理由
ここからが、検索している方がいちばん気になっているところかもしれません。
ネット上には「御徒町凧の父親は作家の村上龍で、養子に出された」という説が、かなりの数の記事に書かれています。
初めて見た方は「え、そうだったの!?」と思いますよね。
ただ、この説について公式な発表や、本人・関係者の証言が確認できるかというと、そういったものは一切見当たりません。
御徒町凧さん側からも村上龍さん側からも、この件についてのコメントは出ていないんです。
説の根拠は苗字が違うことだけ
この説の組み立て方を追いかけていくと、出発点になっているのは「本名が菅原径で、村上という苗字ではない」という一点のようです。
そこから「苗字が違うのは養子に出されたからではないか」という推測が加わり、いつのまにか説として形になっていった、という流れが見えてきます。
ただ、これは冷静に考えるとかなり弱い根拠です。
苗字が違う理由なんて、そもそも血縁関係がない、母方の姓を名乗っている、結婚で姓が変わったなど、いくらでも考えられますからね。
「苗字が違う」という事実からスタートして「だから著名作家の子である」という結論まで進むには、途中の裏づけがまったく足りていません。
もうひとつ、この説が広まりやすかった理由として、御徒町凧さんの言葉の使い手としての完成度が「血筋なのでは」という発想を呼びやすかった面もありそうです。
10代から詩を書き、20代前半で国民的ヒット曲の作詞に関わっている経歴は、たしかに何か特別な背景を想像したくなるものではあります。
でも、それは説の根拠ではなく、あくまで説を受け入れやすくした空気のほうですよね。
村上龍の家族構成から見た息子説の信ぴょう性
では、村上龍さん側の情報からこの説を見てみましょう。
村上龍さんの結婚相手として複数のメディアで一致して伝えられているのは、エレクトーン奏者の高橋たづ子さんです。
出会いは1973年頃、高橋さんが浜松町の貿易センタービルにあった音楽教室でエレクトーンの講師をしていた時期で、当時の村上龍さんは同じビルで警備員のアルバイトをしていたと伝えられています。
その後、村上龍さんが『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を受賞した1976年の9月に、学生結婚という形で入籍しました。
御徒町凧さんが生まれたのは1977年5月18日です。
時期だけを並べれば重ならないわけではありませんが、それは「重ならない証拠がない」というだけの話であって、親子であることの根拠にはまったくなりません。
村上龍さんに息子がいるという情報自体は流通しているものの、その息子が御徒町凧さんであると示すものは、どこにも見当たらないというのが現状です。
なお、村上龍さんの息子さんについては「医師をしている」という噂もありますが、これも出どころのはっきりしない話で、確定した情報ではありません。
桐野夏生が妻というのも事実ではない
この一連の噂には、もうひとつ枝分かれした説がくっついています。
「御徒町凧さんの母親は作家の桐野夏生さんで、村上龍さんと桐野夏生さんの子どもだった」という説です。
こちらについては、村上龍さんの妻が高橋たづ子さんである時点で前提から崩れています。
桐野夏生さんの配偶者も別の方で、両者が夫婦であったという事実は確認できません。
噂が枝分かれして育っていくときの典型的なパターンで、最初の推測に別の推測が接ぎ木されて、全体としてもっともらしく見えてしまう形ですね。
こういうのは、ひとつずつほどいていけば案外あっさり解けます。
本名の菅原径とペンネームは無関係
「御徒町凧」という名前のインパクトから、ペンネームに家族や出自のヒントが隠れているのでは、と考える方もいるかもしれません。
ただ、これについては本人がはっきり由来を語っています。
文化放送のインタビューによると、20歳前後の頃に詩の同人誌を作ろうと考えて、詩の右下に載せる「それっぽい名前」がほしくなったのがきっかけだそうです。
しかも選び方が独特で、こだわったのは画数でした。
「御徒町」を選んだ理由については「響きや見た目が大きい」からだと語っています。
……つまり、字面のかっこよさで選んでいるんですよね。
正直、これを知ったときは肩の力が抜けました。
その後、友人だった森山直太朗さんがインディーズで曲を出す際に手伝ったところ、「名前、クレジットで出すよ」と言われ、この名前がそのまま世に出ることになったといいます。
御徒町凧というペンネームは、家系にも地縁にも由来していない、同人誌のための造語だったということです。
ですので、この名前から父親をたどろうとしても、手がかりにはならないんですよね。
なお、本名の菅原径という表記についても、公表されているのは名前そのものだけで、菅原姓が父方のものなのか母方のものなのかは明らかにされていません。
母親についても公表されている情報はない
父親と同じく、母親についても公表されている情報は確認できませんでした。
名前、職業、年齢、いずれも公になっていません。
御徒町凧さんの詩や作詞には、家族や親子を思わせるモチーフが出てくることもありますが、それを実在の家族と結びつけて読むのは、さすがに踏み込みすぎだと思います。
作品はあくまで作品ですからね。
現時点で分かっているのは、御徒町凧さんの両親についてはどちらも表に出ていない、ということだけです。
一般の方の情報を無理に掘り起こす話ではないので、ここは分かっていないままにしておくのが健全なところかなと思います。
育ったのは東京都足立区綾瀬
家族そのものの情報はありませんが、どんな環境で育ったのかは分かっています。
御徒町凧さんの出身地は東京都足立区綾瀬です。
綾瀬は東京メトロ千代田線とJR常磐線が通る下町エリアで、都心へのアクセスがよく、商店街と住宅地が混ざり合った生活感のある街ですね。
そしてもうひとつ、進学先が成城学園中学校高等学校だったという点も、育った環境を考えるうえでは見逃せないところです。
成城学園は東京都世田谷区にある私立の一貫校で、綾瀬からは都内を横断するかたちの通学になります。
足立区綾瀬から世田谷の私立一貫校へ通っていたという事実は、少なくとも中学から私立に進む選択ができる家庭だったことを示しています。
ただし、ここから父親の職業や収入を具体的に推測するのは無理があります。
私立進学の背景は家庭ごとにまったく違いますし、そこから導けるのは「そういう選択がなされた」というところまでですね。
御徒町凧の父親を調べる人向けの関連情報
父親については分かっていないことのほうが多いのですが、御徒町凧さん本人については、はっきりしている情報がたくさんあります。
ここからは、あわせて調べられることが多いポイントをまとめていきますね。
本名は菅原径で読み方はすがわらけい
御徒町凧さんの本名は菅原径(すがわら けい)です。
「径」という字は「こみち」とも読む漢字で、名前としてはかなり珍しい部類に入りますよね。
道を意味する字が名前になっていて、後に詩人になったことを思うと、なんだか出来すぎている気もします。
親しい人からは「かっくん」「おかちゃん」と呼ばれているとも伝えられていますが、こちらはペンネームの「御徒町」からきている愛称のようです。
通っていたのは成城学園中学校高等学校
御徒町凧さんの出身校は成城学園中学校高等学校です。
在学中はサッカー部に所属していました。
自由な校風で知られる学校で、著名な文化人・芸能人を多く輩出していることでも有名ですね。
そしてこの学校のサッカー部が、御徒町凧さんの人生を決定づける出会いの場所になります。
森山直太朗とはサッカー部の先輩後輩
御徒町凧さんと森山直太朗さんが出会ったのは、この成城学園高校のサッカー部でした。
森山直太朗さんが1学年上で、しかもチームのキャプテン。
一方の御徒町凧さんは、本人いわく万年補欠だったそうです。
正直、この組み合わせだけ聞くと接点が薄そうに思えますよね。
ところが本人は「部活が同じで、しょっちゅう一緒にいるようになって。すごく気が合って」と語っていて、サッカーの実力差とはまったく別のところで意気投合していたようです。
サッカーに関することで分かりあったことはなかったとも語られているのが、なんとも面白いところ。
やがて2人はギターを弾いて曲を作るようになり、そこから森山直太朗さんの楽曲づくりを共に担う関係へと発展していきました。
高校の部活で出会った先輩と後輩が、そのまま20年以上のクリエイティブなパートナーになったわけです。
……こういう関係、なかなかないですよね。
妻は劇作家で小説家の本谷有希子
御徒町凧さんの妻は、劇作家・小説家・女優として活動する本谷有希子さんです。
2013年5月7日に結婚し、それぞれのブログで報告しました。
本谷有希子さんは劇団を主宰する劇作家として出発し、小説家としても高く評価されている方で、2016年には『異類婚姻譚』で芥川賞を受賞しています。
言葉を扱う表現者同士の結婚ということになりますね。
結婚を報告した際には、今後の創作活動について「さらに常に正直に」というコメントも出されていました。
なお、子どもについては娘が誕生していると伝えられていますが、人数については情報が一致していない部分もあり、公式に発表された内容としては確認できませんでした。
お子さんは当然ながら一般の方ですので、ここでは深追いしないでおきますね。
ペンネーム御徒町凧の由来は画数
最後に、あらためてペンネームの由来をまとめておきます。
前半でも触れた通り、御徒町凧という名前は20歳前後のときに同人誌用として考えたもので、選定基準は画数と、響き・見た目の大きさでした。
地名としての御徒町は東京都台東区にありますが、御徒町凧さんの出身は足立区綾瀬なので、地元の地名を名乗ったわけでもありません。
そして森山直太朗さんのインディーズ作品にクレジットされたことで、この名前が公の場に出ることになりました。
同人誌のために作った名前が、そのまま国民的ヒット曲の作詞者名として残ることになったわけです。
人生、どこで何が転がるか分かりませんね。
御徒町凧の父親のまとめ
- 御徒町凧の父親は、名前・職業・年齢のいずれも公表されていない
- 本人がインタビューで父親について語った記録も確認できない
- 母親についても同様に公表情報がない
- 「父親は作家の村上龍」という説がネット上に流通している
- ただしこの説には公式発表も関係者の証言も存在しない
- 説の根拠は「本名が菅原径で村上姓ではない」という一点にとどまる
- 村上龍の妻はエレクトーン奏者の高橋たづ子で、1976年9月に結婚したと伝えられる
- 「母親は桐野夏生」という説も、村上龍の配偶者の情報と食い違う
- 御徒町凧の本名は菅原径(すがわらけい)
- 生年月日は1977年5月18日、出身は東京都足立区綾瀬
- ペンネームは20歳前後に同人誌用として画数から選んだもので、家系とは無関係
- 出身校は成城学園中学校高等学校で、サッカー部に所属していた
- 森山直太朗とはサッカー部の先輩後輩で、森山が1学年上のキャプテンだった
- 妻は劇作家・小説家の本谷有希子で、2013年5月7日に結婚した
- 父親に関する情報は現時点で確認できず、噂として流通している説にも裏づけがない


