成田三樹夫さんといえば、「仁義なき戦い」や「探偵物語」で知られる昭和の名悪役俳優ですよね。
そんな成田さんの娘さんについて、気になっている方も多いのではないでしょうか。
実は、娘さんが成田さんに「たまには殺されないいい人をやって下さい」と頼んだという、なんとも心温まるエピソードがあるんです。
・成田三樹夫の娘の名前や現在の情報
・妻・温子との馴れ初めや家族の暮らしぶり
・東大中退の学歴や死因、俳句など成田三樹夫の意外な素顔
成田三樹夫の娘の現在と家族エピソード
成田三樹夫さんといえば、映画やドラマで数々の悪役を演じた昭和の名優ですよね。
そんな成田さんの娘さんについて気になっている方も多いのではないでしょうか。
ここでは、娘さんの情報や家族にまつわるエピソードを詳しくご紹介します。
娘は複数いるが一般人で名前は非公開
成田三樹夫さんには、妻の温子さんとの間に複数の娘さんがいることがわかっています。
ただし、娘さんたちは芸能界とは無縁の一般人で、名前も顔写真も一切公開されていません。
成田さんは生前、プライベートをほとんど明かさない秘密主義的な性格として知られていました。
親しい仕事関係者と飲みに行くことすらほとんどなかったそうなので、家族の情報が表に出てこないのも納得ですよね。
娘さんの年齢は?
一部の情報によると、娘さんは2018年時点で42歳くらいだったとされています。
逆算すると1976年頃の生まれということになりますね。
成田さんが亡くなったのは1990年ですから、娘さんはまだ10代前半だったことになります。
まだ若い時期にお父さんを亡くされたわけですから、当時はとてもつらかったのではないでしょうか。
「いい人をやって」と父に頼んだエピソード
成田三樹夫さんの娘さんにまつわるエピソードとして、ファンの間で語り継がれている話があります。
昭和52年の「アサヒ芸能」の悪役スター特集で紹介されたエピソードなのですが、娘さんが成田さんに「たまには殺されないいい人をやって下さい」と言ったというんですね。
……なんか、ちょっとほっこりしませんか、これ。
お父さんの仕事を見ていて、いつも悪役ばかりやっている姿がちょっと心配だったのかもしれません。
あるいは、普段はとても優しいお父さんなのに、テレビや映画では怖い役ばかりだから、本当のお父さんの姿を見せてほしいという気持ちだったのかもしれませんね。
実際に成田さんは、バラエティー番組に出演した際に娘さんに向かって手を振る姿が目撃されていて、この光景が多くの視聴者の印象に残ったと言われています。
画面の向こうの怖い悪役と、娘に手を振る優しい父親。そのギャップが、今もなお多くの人の心に残っているんです。
妻・温子との馴れ初めと夫婦の絆
成田三樹夫さんの妻は、一般人の温子さんという方です。
2人の出会いは、成田さんが32歳、温子さんが19歳のとき。
共通の知人を通じて知り合い、成田さんのほうから時々電話をかけるようになったのだそうです。
その後、食事や映画、お酒を飲みに連れていってもらうようになり、交際を経て結婚に至りました。
温子さんは3人姉妹の末っ子だったこともあり、当初は「とても良いお兄さんができた」という感覚だったのだとか。
13歳の年の差がありますから、最初はそういう距離感だったのかもしれませんね。
ハンス・カロッサを勧めた読書エピソード
2人の関係を深めた象徴的なエピソードがあります。
ある日、デートで日比谷に映画を観に行った帰りの食事中に、成田さんが突然「温子はどんな本を読んでる?」と尋ねたそうです。
温子さんが焦りながらも太宰治の名前を挙げると、成田さんは「太宰は僕も好きだよ。あとね、ドイツの作家なんだけどハンス・カロッサと言う人の本なんか温子にいいんじゃないかなと思うんだ。透明感があってサラッとしている文章で読み易いよ」と勧めてくれたのだそうです。
温子さんは家に帰ってからさっそく本屋さんに探しに行ったものの、すでに絶版。
それでも諦めず古本屋を3軒回り、ようやく「ハンス・カロッサ全集」を見つけて買い求めたのだそうです。
以来、この本は温子さんの生涯の愛読書となり、今でも時々読み返すほど大切にされているとのこと。
一冊の本がつないだ夫婦の絆。
……個人的にすごく好きなエピソードです。
ちなみに、成田さんの叔父がカロッサの翻訳者だったそうで、叔父から直接もらった本も温子さんは大切にしているそうですよ。
三鷹での家族の暮らしと娘への溺愛ぶり
成田三樹夫さんは家族と一緒に東京都三鷹市に住んでいました。
三鷹周辺で郵便を配達していた方が成田さんに直接郵便を渡したことがあるという話もあって、ガウン姿で郵便を受け取っていたんだとか。
スクリーンでの怖い悪役イメージとはかけ離れた、リラックスした日常の姿が浮かんできますよね。
成田さんは生前、娘さんのことを溺愛していたと言われています。
奥さんの温子さんとも夫婦仲がとても良かったそうで、家族の仲はかなり良好だったようです。
映画やドラマでは冷徹な悪役やインテリヤクザを演じていた成田さんですが、家庭では温かい父親であり夫だった。
そんなギャップもまた、成田さんの人間としての魅力なのかもしれません。
お墓は故郷の山形県にあるそうで、三鷹市の自宅付近では生前の成田さんを見たことがあるという方が今も少なくないようです。
成田三樹夫の娘を調べる人向けの関連情報
成田三樹夫さんの娘について検索する方は、成田さん本人のことも気になっている方が多いですよね。
ここからは、学歴や死因、俳句、身長やカツラの噂など、成田さんに関するさまざまな情報をまとめてお届けします。
東大理科一類に合格した驚きの学歴
成田三樹夫さんの学歴は、悪役俳優としてのイメージからは想像もつかないほど華々しいものです。
山形県立酒田東高等学校を卒業後、なんと東京大学理科一類に現役合格しているんです。
知ったときびっくりしませんでしたか?
あの迫力ある悪役が東大出身だったなんて、ギャップがすごいですよね。
ただし、成田さんは東大に1年通った後に中退してしまいます。
その理由が「野性味のない雰囲気が生理的に合わなかった」というもの。
東大の空気感が肌に合わなかったということなのでしょうが、なんとも成田さんらしい理由です。
山形大学も中退して俳優座養成所へ
東大を中退して帰郷した成田さんは、その後山形大学人文学部英文学科に入学し直しています。
東大から山形大学へ。
理科一類から英文学科へ。
まったく異なる方向に進むあたり、型にはまらない人だったことがうかがえますよね。
山形大学では演劇研究会に入り、芝居にのめり込んでいったのですが、熱中しすぎたせいで2年半で中退。
その後上京し、1959年に俳優座養成所に第12期生として入所しました。
同期には市原悦子さんや中村敦夫さんがいたそうですよ。
最終学歴は高校卒業ということになりますが、東大に受かるほどの頭脳と、それをあっさり捨てて俳優の道に進む行動力。
成田三樹夫さんという人物のスケールの大きさを象徴するような学歴です。
兄は大学教授で兄弟全員がエリート
成田三樹夫さんは、四男一女の五人兄弟の三男として生まれました。
父親は司法省の職員で、秋田、旭川、仙台の刑務所長を歴任したエリートです。
実家は日用品を扱う雑貨店を営んでおり、母親が切り盛りしていたそうです。
兄弟たちは地元でも評判のエリート揃いでした。
| 家族 | 職業・経歴 |
|---|---|
| 父親 | 司法省職員、刑務所長を歴任 |
| 長兄・成田英夫 | 大学教授(新潟大学に勤務) |
| 他の兄 | 中小企業の社長 |
| 他の兄 | 詩人 |
| 成田三樹夫(三男) | 俳優 |
さらに、成田さんの叔父にはドイツ文学の翻訳者もいたそうで、文学的な家系だったことがわかります。
ちなみに、成田さんが網膜剥離を患った際には、長兄の成田英夫さんの紹介で新潟大学病院で手術を受けたこともあったそうです。
教授、社長、詩人、そして名優。兄弟全員がそれぞれ異なるジャンルで活躍していたというのがすごいですよね。
死因はスキルス胃がんで55歳の若さで他界
成田三樹夫さんの死因はスキルス胃がんです。
1990年4月9日、東海大学医学部附属東京病院で亡くなりました。
まだ55歳という若さでした。
成田さんは若い頃から酒好きで、勝新太郎さんら俳優仲間と毎日のように飲み歩いていたそうです。
その影響もあってか、30歳代半ばで胃潰瘍を患っています。
1989年頃に進行したスキルス胃がんが発覚し、同年12月に胃の3分の2を切除する手術を受けました。
入院先は東海大学医学部附属東京病院。
従弟が同院の副院長・松崎松平さんの妻だった関係で、この病院を選んだとのことです。
入院中は好きな本を読んだり、50歳頃から始めた俳句作りを楽しんでいたそうですが、医師や看護婦を何度も呼ぶのは申し訳ないと言って、遠慮深く静かで我慢強い闘病生活を送っていたのだそうです。
勘の鋭い成田さんは自分が癌であることを悟っていたようで、妻の温子さんも隠し事は無駄だと覚悟し、正直に癌であることを告げています。
妻・温子は泣かずに最期を看取った
成田さんは眠るように息を引き取ったと言われています。
日頃から成田さんに「いざという時でも人間、泣いてはだめだ」と言われていた温子さんは、泣かずに夫の最期を看取りました。
……想像するだけで胸が締め付けられますよね。
成田さんが亡くなったその日、俳優仲間の渡瀬恒彦さんが偶然病院を訪れたというエピソードも残っています。
遺稿句集「鯨の目」に残した俳句の世界
成田三樹夫さんは50歳頃から俳句を始め、亡くなるまでの間に多くの句を詠みました。
没後に出版された遺稿句集「鯨の目」には、成田さんの俳句だけでなく、膨大な読書ノートや詩も収められています。
1句1ページの大胆なレイアウトが特徴的で、映画出演のフィルモグラフィーも収録されているそうです。
成田さんの俳句にはスケールの大きさと自由さがあると評されており、渥美清さんの俳句と比較した評論も発表されています。
趣味は俳句と将棋。
鋭い眼光と凄みのある風貌の裏に、こうした知的で繊細な一面があったわけです。
成田さんの読書量は膨大で、読書ノートには哲学書や文明論に関するメモがびっしりと書き込まれていたのだとか。
悪役俳優として名を馳せた人物の、もうひとつの顔がこの句集に凝縮されています。
身長173cmのスラリとした体型の真実
成田三樹夫さんの身長は173cm、体重は約60kgです。
かなりのやせ型と言えますが、この細身の体型がかえって鋭いイメージを作り出していて、悪役を演じるのにぴったりだったんですよね。
スラリとした引き締まった身体にニヒルな二枚目顔、さらに東大に合格するほどの知性。
インテリヤクザの役がハマるのも当然と言えるかもしれません。
当時の俳優としては平均的な身長ですが、画面で見るとそれ以上に大きく見えたという声もあります。
体重60kgということは、俳優として太り過ぎないように常に気をつけていたのかもしれませんね。
カツラ疑惑の真相と独特な髪型の謎
成田三樹夫さんといえば、あの独特な髪型も話題になることが多いですよね。
インターネット上では「マジックで描いたような髪型」と言われ、定期的に話題にのぼっています。
あまりにも整った不自然な髪型に見えることから、カツラではないかという噂が出たのだそうです。
ただし、これについては結論が出ていません。
昔のカツラは今ほど精巧ではなかったため、「あれだけ自然に見えるなら地毛だろう」という意見もあります。
一方で、生え際がはっきりと見える画像も存在していて、カツラではなく地毛である可能性が高いとも言われています。
真相はわからないままですが、亡くなって30年以上経っても髪型が議論されるというのは、それだけ成田さんのインパクトが強かったということでしょう。
若い頃のかっこいい悪役時代を振り返る
成田三樹夫さんは1963年に大映と専属契約を結び、大部屋俳優からキャリアをスタートさせました。
1964年に「殺られる前に殺れ」のギャング役で正式にデビューし、端正な容姿とニヒルな演技で頭角を現していきます。
1965年の「座頭市地獄旅」では勝新太郎さんの敵役を好演し、悪役俳優としての地位を不動のものにしました。
若い頃の成田さんの写真を見ると、キリッとしたイケメンで、すでに当時から眼光は鋭く、タダモノではない雰囲気が漂っています。
大映倒産後はフリーとなり、東映の「仁義なき戦い」シリーズに出演。
「仁義なき戦い 広島死闘篇」でのニヒルで筋を通す松永弘役は、今でも語り継がれる名演です。
松田優作さんとの共演も多く、映画「蘇る金狼」での演技について松田さんは「最高の悪役だ」と評しています。
テレビドラマ「探偵物語」では松田優作さんからの依頼で出演し、服部刑事の「工藤ちゃ~ん」という台詞はドラマの代名詞になりました。
80年代からはコミカルな役にも挑戦し、大河ドラマ「徳川家康」では今川義元を演じるなど、俳優としての幅を広げています。
若い頃から晩年まで、悪役からコメディまで演じ分けた成田三樹夫さんは、まさに昭和を代表する名優でした。
菅原文太が弔辞を読んだ盟友との絆
成田三樹夫さんと菅原文太さんは、「仁義なき戦い」シリーズや「トラック野郎」で共演した盟友として知られています。
成田さんが1990年に亡くなった際の葬儀では、菅原文太さんが弔辞を読みました。
2人は映画での共演を通じて深い信頼関係を築いていたのでしょう。
松田優作の葬儀での名言
実は成田さんの死の前年、1989年に松田優作さんが亡くなっています。
松田さんの葬儀に参列した成田さんは、「人の命なんてものは、まったくあてになりませんな…」とコメントを残しています。
そしてその翌年、成田さん自身も胃がんで旅立ってしまいました。
……正直、読んでいて胸が痛くなります。
成田さんは読書家としても知られ、「何でも一生懸命読まなきゃ駄目だ。詩でも小説でも作者は命懸けで書いているんだ。だから読む方だって命懸けで読まなきゃ失礼なんだ」という言葉も残しています。
また、演技については「やっぱり、かたくなっちゃダメね。芝居の仕事の8割か9割は、自分の気持ちと自分の体を開放させることだからねえ」と語っていました。
菅原文太さんも2014年に亡くなりましたが、2人が銀幕で見せた共演の数々は、今も多くの映画ファンの心に刻まれています。
成田三樹夫の娘のまとめ
- 成田三樹夫には妻・温子との間に複数の娘がいるが、全員一般人で名前・顔は非公開
- 娘は2018年時点で42歳前後とされ、1976年頃の生まれと推定される
- 「たまには殺されないいい人をやって下さい」と娘が父に頼んだエピソードが有名
- バラエティー番組で娘に手を振る姿が視聴者の印象に残っている
- 成田は生前、娘を溺愛しており家族仲は良好だった
- 家族で東京都三鷹市に住んでいた
- 妻・温子とは共通の知人を通じて知り合い、13歳差の年の差婚
- ハンス・カロッサの本を勧めたエピソードが夫婦の絆を象徴している
- 東京大学理科一類に合格するも1年で中退、山形大学も2年半で中退
- 兄弟は大学教授・社長・詩人とエリート揃いの家系
- 死因はスキルス胃がんで、1990年4月9日に55歳で他界
- 遺稿句集「鯨の目」に俳句や読書ノートが収められている
- 身長173cm・体重60kgのスラリとした体型で悪役にぴったりだった
- カツラ疑惑があるが、地毛の可能性が高いとされている
- 菅原文太が葬儀で弔辞を読むほどの盟友関係だった