バービーボーイズ・コンタの学歴は都立青山高校!大学非進学で音楽に賭けた理由を解説

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バービーボーイズのKONTAさんの学歴、気になっている方も多いのではないでしょうか。

実は「縦笛と指使いが同じだから」という理由でサックスを始めたというエピソードがあるんですが、これを聞いたとき思わず笑ってしまいながらも、才能ってこういう偶然から生まれるんだなと感じました。

出身高校や音楽の原点から、劇団活動・デビューへの道のり、そして2025年の衝撃的な報告まで、KONTAさんの歩みをまとめてご紹介します。

この記事を読むとわかること
・バービーボーイズのKONTAの出身高校と大学進学の有無
・小学生からのバイオリン、中学でサックス、高校でバンド結成という音楽の歩み
・劇団活動からデビューまでの経歴と2025年四肢麻痺公表の真相

バービーボーイズ・コンタの学歴まとめ

バービーボーイズのKONTAさんの学歴について気になっている方、多いですよね。高校はどこか、大学には行ったのか、音楽の才能はいつ頃から開花したのかをまとめてご紹介します。

出身高校は東京都立青山高等学校

バービーボーイズのKONTAさん、本名・近藤敦さんの出身高校は東京都立青山高等学校です。

東京都立青山高等学校は、東京都渋谷区にある都立の進学校で、古くから文武両道を理念とする伝統ある高校として知られています。

偏差値は65前後とされており、都内でも上位クラスの高校です。

KONTAさんが進学した都立青山高等学校は、渋谷という場所柄もあってカルチャーの発信地に近く、音楽やアートに触れやすい環境でもあります。

KONTAさんは東京都新宿区出身なので、地元から通いやすい立地という点も選んだ要因の一つかもしれませんね。

高校に進学した頃には、すでに友人たちとバンドを組み、音楽活動にのめり込んでいたと語っています。

KONTAさんの出身高校は東京都立青山高等学校であることが、複数の情報源によって確認されています。

大学には進学せず高校卒業でデビューを目指した

KONTAさんは高校卒業後、大学には進学していません。

インターネット上にも大学進学を示す情報は見当たらず、高校を卒業してからは就職またはアルバイトをしながら音楽活動を続けていたと考えられています。

「バンドは若いうちしかできない」という思いが当時のKONTAさんにはあったようで、音楽に集中するために大学進学を選ばなかったのかもしれません。

高校卒業後は音楽活動を続ける傍ら、劇団にも所属していたことが知られており、俳優を目指していた時期もありました。

そう考えると、大学に行かずに自分の夢を追いかけた選択は、むしろKONTAさんらしい生き方だと感じます。

大学進学なしで音楽と演技という二つの夢を追い続けたKONTAさんのキャリアは、学歴よりも実力と行動力で道を切り開いてきた証といえるでしょう。

KONTAさんは高校卒業後に大学へは進学せず、音楽・俳優活動に専念する道を選んだことがわかっています。

小学生からバイオリンを始めた音楽の原点

KONTAさんの音楽との出会いは、驚くほど幼い頃に遡ります。

小学校4年生のとき、バイオリンを習い始めたのが音楽の原点です。

もともとプロのミュージシャンを目指していたわけではなく、純粋にバイオリンの音色が好きで習い始めたというのが実情のようです。

バイオリンを通じてクラシック音楽に触れたKONTAさんでしたが、同時にロックミュージックにも興味を持ち、クラシックとロックという対照的な音楽を並行して聴いていたと言います。

当時からその音楽的な幅広さが芽生えていたんですね。

ギターも弾くようになり、クラシックの素養とロックへの情熱が混ざり合いながら、のちの独特な音楽スタイルの基礎が育まれていったのだと感じます。

小学生時代に培ったバイオリンの技術は、音感・リズム感・表現力という点でその後のサックス演奏や歌唱にも大きな影響を与えたのではないでしょうか。

KONTAさんの音楽の原点は小学4年生からのバイオリンにあり、その後のサックス・ボーカルへとつながる音楽的土台を幼少期に築いていました。

中学でサックスを始めたきっかけとブラスバンドのエピソード

KONTAさんがサックスを始めたのは中学生の頃。

ブラスバンド部に入ったきっかけは「トランペットを吹いてみたい」という純粋な気持ちからだったそうです。

ところが入部した部活がかなり体育会系で、厳しいルールがあったようで…。

「1年生は楽器を触るな」と言われた体育会系エピソード

KONTAさん本人が語ったところによると、「1年生は楽器には触るな!腹筋しろ」と言われていたのだとか。

これはきつかったでしょうね…。

楽器を吹きたくてブラスバンド部に入ったのに、最初に言われるのが「腹筋」というのは、なかなか理不尽な話です。

そのような環境の中で、KONTAさんは早々にトランペットへの熱を失い、代わりに自分でサックスを練習するようになりました。

サックスを選んだ理由がまた面白くて、「縦笛と指使いが同じだから」という実に合理的な理由だったとのこと。

縦笛と運指が似ているということで独学でサックスを始めた、というのがのちのBARBEE BOYSでのソプラノサックス奏者・KONTAさんの出発点だったんです。

部活という組織の縛りに反発し、自分で楽器を選んで練習するという自主性は、のちの芸能人としての生き方にも通じるものを感じますよね。

中学時代に体育会系のブラスバンド部の厳しさに反発し、縦笛との運指の類似性という独自の理由でサックスを選んで独学で始めたのがKONTAさんの音楽家としての出発点でした。

高校でバンドを結成しボーカルになるまでの経緯

KONTAさんが初めてバンドを組んだのは高校生になってから。16歳か17歳のことだったと本人が振り返っています。

当時はどの楽器も「ちょっとずつ」弾けたため、バンド内で様々なポジションを転々としました。

まずはドラムが不在だったので自分がドラムを担当しました。

しかしそのうちドラムを叩きたいメンバーが加入し、同じ練習量でKONTAさんより明らかにうまくなってしまい…。

次はベースが抜けたのでベースを担当。ところがこれも同様で、後から入ったメンバーに追い越されてしまうという展開が続きます。

全部のポジションを「乗っ取られて」しまったKONTAさんは、最終的に「じゃあ、歌ってやるよ」という気持ちでボーカルを担当することになったのだそうです。

……なんかこれ、笑えるんですけど同時にすごいことでもありますよね。

誰がやっても同じことが起きるなかで「俺、歌えばいいや」と開き直れるあたり、KONTAさんの天性の柔軟さが垣間見えます。

一升瓶を持って飲みながら歌ったエピソード

高校時代のバンド活動はかなりスリリングなものだったようです。

KONTAさんは当時、ステージ上で一升瓶を持って飲みながら歌うというパフォーマンスを行っていたと明かしています。

レパートリーはJ・ガイルズ・バンドのカバーで、「それは高校生の頃。やってました。ステージで飲んでましたね」と語っています。

高校生でステージ上に酒を持ち込む…という話ですが、当時の時代背景もあるとはいえ、いかにも「アウトロー気質」なKONTAさんらしいエピソードです。

ポジションを転々としながら最終的にボーカルに落ち着き、高校時代から独自のスタイルでステージに立っていたというのが、KONTAさんのバンドマンとしての原点です。

高校時代、様々な楽器を経験しながら最終的にボーカルに”なるしかない”状況になったというKONTAさんのバンド結成秘話は、天性の柔軟性と個性の強さを感じさせるエピソードです。

学歴に関する世間の声

KONTAさんの学歴に関するネット上の反応を見てみると、まず都立青山高校というブランドに驚くファンの声が多く見受けられます。

「都立青山って進学校なのに、バービーボーイズのコンタが出身だったの?意外!」という反応や、「青山高校出身でバービーボーイズって最高の青春じゃないか」といったコメントが見られます。

また、大学へ進学しなかった点については批判的な声はほとんどなく、「あれだけの才能があるなら学歴なんて関係ない」「高校卒業後にすぐ音楽の道に進んだのがKONTAらしい」という好意的な意見が多いようです。

小学校からバイオリンを始めていたという情報には「クラシックの素養があったのか、どうりでサックスも上手いわけだ」という納得の声も。

中学でサックスを始めたきっかけが「縦笛と運指が同じだから」という話には「そのきっかけでソプラノサックスを世界レベルで弾けるようになるって、才能の塊すぎる」「適当な理由で始めてプロになるあたりが天才」という驚きのコメントも多く見られました。

学歴よりも実力と個性で時代を作ったKONTAさんへの敬意を感じる声が全体的に多い印象です。

バービーボーイズのコンタの学歴を調べる人向けの関連情報

KONTAさんの学歴だけでなく、その後の経歴や現在の活動、私生活に関する情報をまとめてご紹介します。

若い頃は劇団に所属して役者を目指していた

KONTAさんは、高校卒業後から音楽でのメジャーデビューを果たすまでの間、劇団に所属して本気で役者を目指していた時期がありました。

所属していたのは「天井桟敷」などのアングラ劇団で、当時の日本の前衛演劇の世界に深く入り込んでいたようです。

「天井桟敷」は演出家・寺山修司が主宰した伝説的なアングラ劇団で、日本の演劇史に大きな足跡を残した存在。そのような場に入り浸っていたというのは、KONTAさんの芸術への貪欲さを感じさせます。

この劇団経験は、バービーボーイズでのステージパフォーマンスにも少なからず影響を与えたのではないかと思います。

歌いながらサックスを吹き、観客を引きつける独自の存在感は、俳優としての訓練があったからこそ磨かれたものかもしれません。

その後、バービーボーイズで成功を収めた後、KONTAさんは俳優業も本格的に始めました。

1988年には映画「・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・」で主演を果たし、翌1989年には薬師丸ひろ子主演の映画「レディ! レディ READY! LADY」にも出演。フジテレビ系ドラマ「愛しあってるかい!」(陣内孝則・小泉今日子主演、平均視聴率22.6%)にもレギュラー出演を果たしています。

「愛しあってるかい!」では、本来は三上博史さんが演じる予定だったポジションに、三上さんに顔が似ていたKONTAさんが急遽起用されたというエピソードも知られています。

劇団で培った演技力と、バービーボーイズで得た知名度の二つが掛け合わさって、KONTAさんは音楽と俳優という二刀流で活躍する存在になったのです。

高校卒業後にアングラ劇団で俳優修業を積んでいたKONTAさんは、バービーボーイズの成功後に俳優業も本格的に展開し、映画主演やレギュラードラマ出演を果たすほどの存在感を放ちました。

近藤敦の経歴とマンブル・マーフィーでのデビュー

KONTAさんがバービーボーイズでブレイクする以前にも、実はメジャーデビューの経験がありました。

1981年、KONTAさんは当時21歳で、後にBARBEE BOYSのギタリストとなるいまみちともたかさんとともに「マンブル・マーフィー」というバンドを結成。

ビクター音楽産業からシングル1枚をリリースしてメジャーデビューを果たしましたが、その後レーベルが消滅するという予期せぬ事態に見舞われ、シングル1枚で解散という結末を迎えます。

レーベル消滅でシングル1枚での解散

デビューした直後にレーベルがなくなってしまうというのは、当時のKONTAさんにとってかなりの衝撃だったはずです。

「これが最後のチャンスかもしれない」という思いで始めた活動が、自分たちの力ではどうにもならない理由で終わってしまったのですから。

しかし翌1982年、KONTAさんはいまみちともたかさんらとともに「BARBEE BOYS」を結成します。

このときKONTAさんは「25歳でバンドをやっているやつはバカだ」という思いがあり、BARBEE BOYSの結成を「これが最後のバンド」という覚悟で臨んでいたと伝えられています。

当初は男性3人のスリーピースバンドとして始まりましたが、「他にも何か欲しい」というメンバーの声に、KONTAさんが「俺、サックス吹けるよ」と応えてサックス担当が決定。

その後、偶然ライブハウスで対バンした「喝!タルイバンド」の杏子さんの動員力に目をつけたメンバーが彼女を引き抜き、男女5人のツインボーカルというBARBEE BOYSの最終形態が完成しました。

1983年にソニーSDオーディションでグランプリを受賞し、1984年にシングル「暗闇でDANCE」で再メジャーデビューを果たします。

BARBEE BOYSはその後1987年の「女ぎつねon the Run」が三ツ矢サイダーのCMに起用されて大ブレイク。翌年には東京ドーム公演を成功させ、1989年リリースの「目を閉じておいでよ」がオリコン週間チャート最高8位・16.8万枚の大ヒットを記録するなど、一世を風靡しました。

一度目のデビューはレーベル消滅で1枚で終わったものの、その悔しさとBARBEE BOYS結成への「これが最後」という覚悟が、80年代を代表するバンドの誕生へとつながっていきました。

バービーボーイズ解散後の現在の活動

BARBEE BOYSは1992年、東京・渋谷公会堂でのライブを最後に解散しました。

解散の背景には、リーダーのいまみちともたかさんと事務所の音楽方針の違いがあったとされており、事務所が杏子さんとKONTAさんを中心に据えようとする動きの中でバンドが分裂していったと伝えられています。

解散後、KONTAさんは1993年にソロデビュー。

音楽活動はもちろん、俳優・声優・ナレーターとしても幅広く活躍しました。

声優としては「トランスフォーマー カーロボット」「R.O.D」「遊☆戯☆王デュエルモンスターズ」などのアニメ作品にも出演しており、ミュージシャンの枠を超えた多才ぶりを発揮しています。

2018年にはBARBEE BOYSが本格的に再始動し、新アルバムのリリースや代々木競技場第一体育館でのワンマンライブを成功させるなど、往年のファンを喜ばせました。

再始動後のBARBEE BOYSの活動は非常に精力的で、KONTAさんもソロの弾き語りライブや「僕らのしぜんの冒険」「TRIVANDRUM」などのバンド活動を並行して続けていました。

しかし2025年12月8日、KONTAさんは自身の公式サイトを通じて、不慮の事故で四肢が完全麻痺状態になったことを公表しました。

「医師から命は永らえないと告げられたものの、生き延びてしまった」とつづりながらも、「サックスこそ吹けないが、おれの変わり果てた姿と変わらぬふてぶてしさをお楽しみいただくため、もっか錬成の日々である」と前向きなメッセージで締めくくっています。

この言葉に、多くのファンが胸を打たれたと伝えられています。

BARBEE BOYS解散後も音楽・俳優・声優など多彩な分野で活躍を続けたKONTAさんは、2025年に四肢完全麻痺という衝撃的な現状を公表しながらも、前向きな姿勢で活動を継続する意志を示しています。

2度の結婚と3人の子供について

KONTAさんはこれまでに2度の結婚を経験しています。

最初の結婚はBARBEE BOYS活動中のことで、バンドの解散と同じ時期に離婚したとされています。

詳細については本人から一切の言及がなく、どのような経緯で結婚・離婚に至ったのかはわかっていません。

その後、KONTAさんは再婚しました。2度目の妻については情報がほとんど公開されておらず、ファンのコミュニティで「関西の女優」「非常に美人」というコメントが見られる程度で、詳細は謎のままです。

KONTAさんには3人の子供がいますが、それぞれがどちらの婚姻から生まれたのかも公表されていません。

子供たちは現在すでに成人し、それぞれ独立して別々に暮らしているとのことです。

長年のファンの間でも「再婚していたことを知らなかった」「バツイチで再婚なんて知らなかった」という声が多いように、KONTAさんはプライベートに関する情報を徹底してシャットアウトしており、家族の話題はほとんど表に出てきません。

ミュージシャンとして・俳優として前面に出るスタイルを貫き、プライベートは完全に切り離して生きてきた人なのかもしれませんね。

KONTAさんは2度の結婚・離婚・再婚という経歴を持ち、3人の子供は現在成人して独立していますが、私生活の詳細については徹底して非公開を貫いています。

病気の噂と四肢完全麻痺の真相

以前から「バービーボーイズ コンタ 病気」という検索ワードがネットで見られることがありましたが、その背景には「久しぶりにテレビに出たら激ヤセしていた」という目撃情報があったようです。

ただ、これについては「単なる加齢によるものだろう」という見方が大半で、病気の証拠となる情報は当時は特になかったとされています。

しかし2025年12月8日、KONTAさんは自身の公式サイトとX(旧Twitter)を通じて、衝撃的な報告を行いました。

「不測の事態に陥り、四肢が完全麻痺の状況にある」ということを、自らの言葉で公表したのです。

医師からは「命は永らえない」と告げられた状況だったにもかかわらず、KONTAさんは生き延びたと語っています。

現在は肩から上しか動かすことができない状況ですが、「せめて唄うことにした」と綴り、歌うことへの強い意志を示しました。

さらに「BARBEE BOYS 4PEACE」への参加についても言及しており、「変わり果てた姿と変わらぬふてぶてしさをお楽しみいただくため、もっか錬成の日々」と、信じられないほどタフな言葉でファンに向けて語りかけています。

この報告にファンからは「生きていてくれてありがとう」「その強さに涙が出た」などの声が多数寄せられており、音楽やSNSを通じてKONTAさんへの応援の輪が広がっています。

「病気の噂」として検索されることが多かったKONTAさんですが、2025年12月に不慮の事故による四肢完全麻痺を自ら公表。それでも歌う意志を前向きなメッセージで示したことが多くのファンの心を打ちました。

バービーボーイズのコンタの学歴のまとめ

  • 本名は近藤敦(こんどう あつし)で、東京都新宿区出身
  • 生年月日は1960年7月25日
  • 出身高校は東京都立青山高等学校で、偏差値65前後の都立進学校
  • 大学には進学せず、高校卒業後は音楽と演技の道に進んだ
  • 小学4年生からバイオリンを始め、クラシックとロックの両方に親しんでいた
  • 中学でブラスバンド部に入ったが体育会系の厳しさに反発し、縦笛と運指が似ているという理由で独自にサックスを始めた
  • 高校時代にバンドを結成し、ドラム→ベース→ボーカルと転々とした末にボーカルに落ち着いた
  • 高校卒業後は天井桟敷などのアングラ劇団に所属し、本気で俳優を目指していた時期があった
  • 1981年、いまみちともたかとの「マンブル・マーフィー」でメジャーデビューしたが、レーベル消滅でシングル1枚で解散
  • 1982年にBARBEE BOYSを結成し「これが最後のバンド」という覚悟で臨んだ
  • 1984年「暗闇でDANCE」でメジャーデビュー。1989年「目を閉じておいでよ」がオリコン最高8位・16.8万枚の大ヒット
  • 1992年にBARBEE BOYSが解散。その後はソロ・俳優・声優・ナレーターとして多方面で活躍
  • 2018年にBARBEE BOYSが本格再始動し、代々木競技場でのワンマンライブを成功させた
  • 2度の結婚歴があり3人の子供がいるが、プライベートは徹底して非公開を貫いている
  • 2025年12月、不慮の事故による四肢完全麻痺を公表したが「それでも歌う」という前向きなメッセージでファンに感動を与えた

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