堀越希実子の実家ってどんな家柄?父・庄司隆雄と20億円の借金問題を解説

堀越希実子の実家ってどんな家柄?父・庄司隆雄と20億円の借金問題を解説

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堀越希実子さんの実家が「すごい」と話題になることをご存知でしょうか。

父・庄司隆雄さんは複数の会社の代表取締役を歴任した実業家で、学習院大学卒業というお嬢様育ちだったものの、バブル崩壊で約20億円の借金が発生し、夫・十二代目市川團十郎さんが連帯保証人として背負うことになったのです。

その後の実家売却問題をめぐって母子の間に亀裂が入ったとも報じられた希実子さん。今回は彼女の実家と家柄、そして波乱に富んだ人生の歩みをまとめてご紹介します。

この記事を読むとわかること
・堀越希実子さんの実家・父親(庄司隆雄)のプロフィールと家柄
・約20億円の借金問題の経緯と松竹による肩代わりの詳細
・実家売却を巡る母子の確執と希実子さんの現在の生活

堀越希実子の実家がすごい!父・庄司隆雄の素顔

堀越希実子さんの実家が「すごい」と話題になることがよくあります。いったい何がすごいのか、そして波乱に富んだ実家の事情とはどんなものなのか、順を追ってご紹介していきますね。

父・庄司隆雄はどんな実業家?

堀越希実子さんの旧姓は「庄司」。父親の名前は庄司隆雄さんといい、実業家として複数の会社の代表取締役を歴任した人物です。

肩書き詳細
熊谷観光開発株式会社 代表取締役高根カントリー倶楽部の開発・経営に携わった会社
巽興業株式会社 代表取締役建築・不動産関連と思われる会社
高根カントリー倶楽部 総支配人1962年開場、関東圏で高評価のゴルフクラブ

どうですか、この肩書きの並び。複数の会社を束ねて経営し、さらに名門ゴルフクラブの総支配人まで務めるというのは、相当な実業家でないとできることではありません。

高根カントリー倶楽部は1962年に開場した歴史あるゴルフクラブで、今も関東圏のゴルファーから高い評価を得ているクラブです。

その総支配人を務めていた庄司さんの社会的な地位の高さがうかがえますよね。

父・庄司隆雄さんは観光・不動産関連の複数事業を手掛けた実業家で、希実子さんはまさに”お嬢様育ち”だったことがわかります。

高根カントリー倶楽部について

高根カントリー倶楽部は、1962年に開場した由緒あるゴルフ場で、熊谷観光開発が開発・経営に携わってきた施設です。関東圏のゴルファーからは長年にわたって支持されており、格式の高いクラブとして知られています。庄司隆雄さんは、この倶楽部の総支配人としてその運営を支えてきた中心人物でした。

良家のお嬢様育ち!学習院大学と生い立ち

希実子さんが良家のお嬢様育ちだったことは、その学歴からも明らかです。

出身大学は学習院大学の仏文学科。皇室のご学友が通うことでも知られる学習院大学は、日本を代表する名門大学のひとつ。ここに通う女性は、ほぼ間違いなく”いいとこのお嬢様”と言っていいでしょう。フランス文学を学んでいたというのも、上品でインテリな雰囲気を感じさせますよね。

父親が複数の事業を手掛ける実業家で、東京都出身、名門大学卒業。団十郎さんと結婚するまでは何不自由のない環境で育っていたのではないかと想像できます。

知人の紹介で十二代目市川團十郎さんとの見合いが決まったのは、希実子さんが23歳のとき。実は大学生の頃から、親の意向もあって18歳頃から10回以上のお見合いをこなしていたそうですが、ことごとく断っていたとのこと。それだけ選り好みできる環境にあったということでもありますね。

学習院大学進学・複数事業を持つ実業家の父という背景から、希実子さんが裕福な良家に育ったお嬢様であることは間違いありません。

バブル崩壊で起きた父の借金問題とは

一見、何もかも恵まれていた庄司家。しかし、時代の波がこの家族を直撃します。

1992年頃、バブル経済の崩壊によって父・庄司隆雄さんの不動産・観光事業が破綻しました。その際に抱えた借金の額は、約20億円とも言われています

これはもちろん、庄司家だけの問題では収まりませんでした。希実子さんの夫・十二代目市川團十郎さんが、この借金の連帯保証人になっていたのです。

正確にいつ連帯保証人になったのかは公表されていませんが、希実子さんと結婚した後に父の事業が大変な状況になり、夫が保証人として名を連ねていたことは複数の信頼できるソースで確認されています。

……これは相当なプレッシャーだったと思います。歌舞伎界一の大名跡である「市川團十郎」を背負いながら、20億円規模の借金返済という現実も同時に背負うことになったわけですから。

熊谷観光開発・巽興業の事業について

庄司隆雄さんが経営していた熊谷観光開発は、高根カントリー倶楽部の開発に携わった企業です。巽興業については詳細が公表されていませんが、建築・不動産関連の事業を手掛けていたとみられています。バブル期には不動産事業を拡大した企業が多かった時代背景を考えると、崩壊後に多額の負債を抱えることになったのは、庄司家だけではなかったことがわかります。

借金を背負った夫・十二代目市川團十郎の決断

約20億円とも言われる莫大な借金。これをどのように処理したのか、当時の詳細が報道から明らかになっています。

まず、「日本一の大名跡・市川宗家を守る必要がある」として、歌舞伎の興行を運営する松竹が借金を肩代わりすることになりました。その際、担保として市川家の土地と建物の所有権が松竹に移転。ただし、十二代目團十郎さんはそのまま住み続けることができ、借金を完済すれば所有権が返還される約束になっていたといいます。

実際、十二代目團十郎さんはその後も精力的に歌舞伎公演をこなしながら返済を続けました。ところが2013年、十二代目さんは66歳で他界。残された借金は息子である市川海老蔵さん(現・十三代目市川團十郎)が引き継ぐことになります。

海老蔵さんも返済を続けた結果、2021年頃には負債が半分以下にまで減少していたとも伝えられています。

……本来は自分が作った借金ではないのに、夫もそして息子も長年かけて返済し続けた。この事実を知ると、なんとも重い気持ちになりますね。

約20億円の借金は松竹が肩代わりし、市川家の土地・建物を担保に十二代目→十三代目と引き継ぎながら返済が続けられてきました。

実家(市川家)売却を巡る母子の確執

借金問題の”最終章”として2021年に大きな話題になったのが、東京都目黒区にある市川家の実家売却問題です。

女性自身の報道によると、2021年に市川家の実家(目黒区)がひそかに売却・解体されることになったといいます。売却額は8億円ともいわれています

この実家はもともと、十一代目市川團十郎さんが1961年に建てたもの。当時は300坪の土地に9部屋と稽古場まであったという立派な邸宅です。その後、十二代目が1970年代に土地を半分売却しながらも、残りの部分はずっと守り続けてきました。

売却を進めたのは松竹側だったとされています。十三代目・市川團十郎の襲名披露興行を前に、借金問題をきれいに精算してから晴れやかに臨んでほしいという意向があったとのこと。

しかし、希実子さんはこの売却に強く反対していたといいます。亡き夫・十二代目が「ここを売るくらいなら團十郎を辞める」とまで言い張って守ってきた家。その家が売られることへの抵抗感はいかほどのものだったか。報道では「毎日のように泣きはらした」とも伝えられています。

海老蔵さんに対して「なんとかして実家を守ってほしい」と懇願したものの、その願いは叶わず……。その後、希実子さんが海老蔵さんの公演に顔を見せなくなったとも報じられましたが、海老蔵さん本人がSNSで報道を否定するコメントを発表するなど、真相は複雑な様相を呈しました。

どちらが正しいとか悪いというわけではなく、母と息子それぞれに大切にしているものがあったということなのでしょう。

実家に関する世間の声

堀越希実子さんの実家や借金問題について、ネット上ではさまざまな声が挙がっています。

多く見られる意見の中で目立つのが「20億の借金を引き受けた12代目はすごい」という声です。妻の実家の借金を自分が連帯保証人として引き受け、そのまま命をかけて返済し続けた。そのことへの敬意を表するコメントが多く見られます。

一方で「海老蔵が実家を売ったのはしょうがない」という意見も多数。自分が作った借金ではないにもかかわらず、長年返済を続けてきた海老蔵さんへの同情の声は根強くあります。

また、希実子さんの気持ちに寄り添う声も当然あって「亡くなった夫との思い出が詰まった家を手放したくないのは当然」「母親の気持ちはわかる」という共感のコメントも多く見られました。

堀越希実子の実家を調べる人向けの関連情報

堀越希実子さんの実家に関する情報をお伝えしてきましたが、この方についてはほかにも気になることがたくさんありますよね。ここからは関連情報をまとめてご紹介します。

若い頃の姿と梨園に嫁いだ馴れ初め

希実子さんの若い頃は「とても美しかった」と伝えられています。当時の雑誌の表紙にも掲載されたことがあり、現在も着物が似合う上品な雰囲気は健在ですが、若い頃から際立つ美しさを持っていたことがうかがえます。

十二代目市川團十郎さんとの馴れ初めはドラマチック。大学生の頃から18歳前後で10回以上のお見合いをこなしていた希実子さんですが、すべて断り続けていました。そんなある日、知人から「歌舞伎役者の市川海老蔵(当時)さんを紹介したい」という話が舞い込みます。

最初のお見合いの場所は、なんと公演中の楽屋。歌舞伎らしい特別な出会いですよね。このとき、團十郎さんはとても緊張してタバコを逆向きにくわえてしまったというほっこりエピソードも残っています。

その後、大阪での再会をきっかけに交際がスタートし、1976年に結婚。希実子さんはそのまま梨園の妻として、慣れない世界で一から学んでいくことになりました。当初は「大変ね」と言われても意味がわからなかったというほど、梨園という世界のことをまったく知らない状態でのスタートでした。

性格はどんな人?気さくで芯の強い女性

希実子さんの外見からは、いかにも上品で「おっとりしたお嬢様」という印象を受けることが多いようです。しかし実際の性格は、見た目とかなりギャップがあるようです。

ある関係者の言葉によると「学習院出のお嬢さまとは思えないほどサバサバしていて、下町のおばちゃんのように気さく」とのこと。これ、なんかいいですよね。格式ある世界に長年身を置きながら、気取らない気さくさを保ち続けているということですから。

そのいっぽうで、芯のしっかりした部分も持ち合わせています。梨園に嫁いで以来、つらいことや苦しいことがあっても、両親や友人に愚痴をこぼすことはほとんどなかったと語っています。「両親を心配させたくない」という気遣いからです。

また、離婚を考えたことはないとも言い切っています。団十郎さんが何でも相談に乗ってくれる存在だったことが、厳しい梨園の世界でやっていける原動力になっていたそうです。

外見はお上品でも実際はサバサバした気さくな性格で、内側には梨園の妻として揺るぎない芯を持った女性が希実子さんです。

着物デザイナーとして20年以上の活躍

「梨園の妻」という立場だけでなく、希実子さんには自分自身のキャリアもあります。それが着物デザイナーとしての活動です。

着物デザインを始めたのは1995年頃、夫・十二代目の後押しがあったからだといいます。その後20年以上にわたって、京都の着物メーカー「じゅらく」で成田屋ゆかりの着物ブランド「茶屋ごろも」のデザイン・監修を担当してきました。

「茶屋ごろも」ブランドのコンセプト

「茶屋ごろも」のコンセプトは「出ずいらず」。つまり「出しゃばらず、かといって地味すぎず」という意味です。お客さまより派手にならず、でも控えすぎない——まさに梨園の妻として長年培ってきた希実子さんの美意識がそのままコンセプトになっていますよね。

また、息子・海老蔵さんの妻だった故・小林麻央さんの打掛(婚礼衣装)を手掛けたことも有名なエピソードです。麻央さんのイメージに合わせてピンク色の花嫁衣装をデザインしたのが、希実子さんの初の花嫁衣装デザイン作品だったといいます。

本についても積極的に出版しています。「堀越希実子の着物ごよみ」(主婦の友社)、「成田屋のおくりもの」(マガジンハウス)など複数の著書があり、梨園の暮らしや着物の知識を広く伝える活動をしています。

小林麻央との関係は?不仲説の真相

希実子さんに関して長らく取り沙汰されてきたのが、息子・海老蔵さんの妻だった故・小林麻央さんとの「不仲説」です。

一時期メディアでは「義母・希実子さんが麻央さんにきつく当たっている」「嫁姑関係がうまくいっていない」といった報道が相次ぎました。その内容は、麻央さんが実家に頼ることへの不満や、海老蔵さんが暴行事件に巻き込まれた際の麻央さんの対応への不満など、さまざまな事例が挙げられていました。

しかし、こうした「関係者筋の証言」として流れる情報が真実かどうかについては、懐疑的な見方も強くあります。当の希実子さん自身がそうした不満を外部に漏らすかどうかを考えれば、「成田屋の恥になってしまう」として公言するはずがないとも言える。匿名の「関係者」情報の信憑性には限界があるでしょう。

実際、希実子さんはテレビで麻央さんを見かけたときに「こんな人がお嫁さんになってくれたらいいな」と思っていたと語っており、麻央さんが闘病していると知った際には「私がなれば良かったのに」と口にしたという話も伝わっています。

不仲説は報道が先行した可能性が高く、希実子さんと麻央さんの間には少なくとも表立った深刻な確執はなかったと考えるのが自然です。

麻央さんが2017年に34歳という若さで他界された後も、希実子さんは孫の麗禾ちゃんと勸玄くんの幼稚園の送り迎えや弁当作りを引き受け、市川家を陰で支え続けています。

現在の生活はどうなっている?

2024年現在、堀越希実子さんは72歳。歌舞伎の大名跡・十二代目市川團十郎の妻として生涯を捧げ、夫の他界後も成田屋の女将として変わらず活動を続けています。

2021年の実家(市川家の目黒邸)売却問題では、一時的に息子・海老蔵さんとの関係がメディアで注目されましたが、海老蔵さんは報道の一部を否定するコメントを発表しており、現在は関係が落ち着いているとみられます。

実家(市川家の邸宅)は売却されましたが、希実子さん自身は都内のマンションに引っ越したとも伝えられています。70歳を前にして広い邸宅に一人で住むことが「しんどくなった」という、いわば終活の一環でもあったようです。

現在も着物デザイナーとしての活動や著書の執筆・出版を続けながら、孫たちの成長を見守る日々を送っているとみられます。息子・十三代目市川團十郎の活躍を誰よりも近くで応援しているお母さまであることに変わりはないでしょう。

堀越希実子の実家のまとめ

  • 堀越希実子さんの旧姓は「庄司」で、父・庄司隆雄さんは複数会社の代表取締役を歴任した実業家
  • 父は熊谷観光開発代表取締役・高根カントリー倶楽部総支配人・巽興業代表取締役を歴任
  • 高根カントリー倶楽部は1962年開場の名門ゴルフクラブ
  • 学習院大学仏文学科卒業で、良家のお嬢様育ち
  • バブル崩壊(1992年頃)で父の不動産事業が破綻し、莫大な借金が発生
  • 借金額は約20億円とも言われ、夫・十二代目市川團十郎が連帯保証人として背負った
  • 松竹が市川家の土地・建物を担保に借金を肩代わりし、所有権が移転
  • 十二代目の他界(2013年)後は息子・海老蔵(現十三代目)が返済を引き継いだ
  • 市川家の実家(目黒区)は2021年に売却・解体された(売却額は8億円ともいわれる)
  • 実家売却に希実子さんは強く反対し、涙を流したと伝えられている
  • 海老蔵さんはSNSで報道の一部を否定するコメントを発表している
  • 十二代目との馴れ初めは楽屋でのお見合いで、タバコを逆に吸った團十郎のエピソードが有名
  • 性格はサバサバしていて気さく、しかし梨園の妻として揺るぎない芯を持っている
  • 1995年頃から着物デザイナーとして活動し「茶屋ごろも」ブランドを手掛けている
  • 小林麻央さんとの不仲説は情報の出所が不明で真相は不確かであり、関係は良好だったとみられる

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