ET-KINGの死亡した二人目・いときんの死因はがん性心膜炎!ステージ4から5カ月の闘病を経て38歳で逝去

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ET-KINGが死亡した二人目のメンバーは、リーダーのいときん(山田祥正)さんです。

2017年8月にステージ4の肺腺がんが発覚してから、たった5カ月後——自覚症状もなかったのに突然の末期がん宣告、抗がん剤を拒否してのライブ復帰、そして最後のステージで「生きろよ」と叫んだ姿。

知れば知るほど、いときんさんの生き様の壮絶さと尊さに、胸を打たれます。

この記事を読むとわかること
・ET-KINGで二人目に亡くなったいときん(山田祥正)の死因と闘病の詳細
・最後のステージで「生きろよ」と叫ぶまでの5カ月間の経緯
・一人目に亡くなったTENNの死因・遺書・上原多香子の不倫との関係

ET-KINGが死亡した二人目のメンバー・いときんの死因と闘病

ET-KINGで2番目に亡くなったメンバーは、グループのリーダー・いときんさんです。

2017年にステージ4の肺腺がんが発覚し、翌年1月に38歳という若さで旅立たれました。

闘病中の姿や最後のステージ、葬儀のエピソードまで、詳しくまとめていきますね。

いときん(山田祥正)のプロフィールと功績

ET-KINGで2人目に亡くなったメンバーは、リーダーのいときんさんです。

本名は山田祥正(やまだ よしまさ)さん、1979年3月3日生まれ、兵庫県三田市のご出身です。

2018年1月31日午前11時28分、大阪府和泉市内の病院で亡くなりました。享年38歳でした。

ET-KINGを実質的に作り上げ、引っ張ってきた中心人物です。

いときんさんのプロフィール

項目 内容
本名 山田 祥正(やまだ よしまさ)
生年月日 1979年3月3日
出身地 兵庫県三田市
血液型 A型
担当 リーダー・ボーカル・ハーモニカ・トラックメイカー
死去日 2018年1月31日(享年38歳)
死因 がん性心膜炎(肺腺がんステージ4から)

いときんさんはET-KINGの”顔”であり”エンジン”でした。

グループの楽曲制作・トラックメイク・プロデュースをほぼ一人で担当し、あのヒット曲「愛しい人へ」「ギフト」も、いときんさんが作り上げたものです。

見た目はかなり強面です。

大柄な体型に刺青だらけで、「黙ってたら大阪の怖い兄ちゃん」と周囲から言われていたほど。

ただし、実際のいときんさんは腰が低く気さくで、仲間や家族を大切にする情に厚い人でした。

笑うと泣いている赤ちゃんのような顔になって「ガハハハ」と笑う、というエピソードがよく語られています。

「黙ってたら怖い兄ちゃんやけど、笑うととびっきりキュート」——それがいときんさんの人物像を最も端的に表した言葉です。

死因はがん性心膜炎・肺腺がんステージ4

いときんさんの死因はがん性心膜炎です。

がん性心膜炎とは、がんが心臓を包む心膜に転移・浸潤し、炎症や液体の貯留を引き起こす状態です。

心臓の機能が低下し、心肺停止を招くこともある重篤な状態です。

いときんさんの場合、もともとの原発がんは肺腺がん(ステージ4)でした。

肺腺がんは、肺がんの中でも最も多いタイプです。

自覚症状が出にくいのが特徴で、発見時にはすでに進行しているケースが少なくありません。

いときんさんが診断を受けた時点で、すでに「ステージ4の進行がん」で、脳とリンパ節にも転移が確認されていました。

ステージ4の肺腺がんの5年生存率はわずか4.8%というデータがあります。

診断の段階で、非常に厳しい状況だったことは間違いありません。

それでも「生きたい」という強い意思でいときんさんは前を向き続けました。

ステージ4のがんを抱えながら、最後のステージに立ち「生きろよ」と叫んだいときんさんの生き様は、多くの人の心に焼き付いています。

自覚症状なしで突然のステージ4診断

いときんさんのがん発見のきっかけは、毎年受けていた定期健康診断でした。

2017年6月、いつものように受けた健康診断で異常が見つかりました。

当時、いときんさん自身に自覚症状はまったくなかったそうです。

「体の調子はふつうだった」という証言も残っています。

その後、7月に細胞検査などを受けたところ、「ステージ4の進行がんであり、リンパ節・脳にも転移がある」という診断が下されました。

これは正直、かなりの衝撃だったと思います。

自覚症状がなかったのに、検査の結果が突然「ステージ4」。

しかも脳にも転移済み。

「健康診断を受けていたのに、なぜここまで進行していたのか」という驚きの声は当時たくさん上がっていました。

2017年8月3日、ET-KING公式サイトで肺腺がんであることが発表されました。

このとき、いときんさんは自ら「生きたい!!」というコメントも発表し、治療に専念することが伝えられました。

ET-KINGの活動はその後、残りの5人で継続することになりました。

抗がん剤を使わずライブ復帰という選択

いときんさんは、ステージ4の肺腺がんと診断された後、抗がん剤治療は行わないという選択をしました。

代わりに、自宅療養を続けながら体力づくりや免疫力の向上に取り組みました。

この選択については、当時も今もさまざまな議論があります。

ステージ4の肺腺がんに対して抗がん剤なしの治療を選ぶのは、医学的には難しい選択です。

ただ、いときんさんの生き方から考えると、「ステージなんかに縛られない」という意思表示でもあったのかもしれません。

そして治療開始から約5カ月後の2017年12月28日、いときんさんはステージに戻ってきました。

大阪・Zepp Nambaで行われた全国ツアー「えびす巡業〜出稼ぎ篇〜」のファイナル公演です。

ステージ上のいときんさんは、力強い声でこう語りかけました。

「お父ちゃん、お母ちゃんにもらった体にタバコとか酒とか、毒入れたらアカンよ。大事にせなあかんよ」

「体を作り直してステージに立ち続けることが、支えてくれてる皆さんへのお礼だと思っています」

「ありがとう。待っててくれて、ありがとう」

そしてアンコールでは「巡り会いの中で」「新恋愛」「ギフト」の3曲を、張りのある力強い歌声で披露しました。

このライブが、ファンの前に姿を見せた最後のステージとなりました。

……自分の体が限界に近い中でステージに立ち続けようとした姿、正直胸が痛くなりました。

最後のステージで「生きろよ」と叫んだいときん

2017年12月28日のライブ、ファンへのメッセージとして最も印象深く残っているのが「生きろよ」という叫びです。

「みんな、生きろよ」「生きろっ!」

がんと闘いながらステージに立ったいときんさんが、ファンに向けてこの言葉を叫んだとき、会場にいた人の多くが泣いたと言われています。

そしてこのライブから1ヵ月も経たない2018年1月19日、いときんさんの容体が急変しました。

心臓の痛みを訴え、緊急搬送されたいときんさん。

検査の結果、心臓に水が溜まっている状態で心肺停止となり、心臓マッサージによって一時は持ち直しました。

しかし、そのまま意識が戻ることはなく、家族が看護を続ける中、2018年1月31日午前11時28分に息を引き取りました。

亡くなる直前のエピソード

亡くなる約1ヵ月前、いときんさんはふらっとスタジオに立ち寄り、KLUTCHさんといろいろと話をしました。

そのとき、いきなり「これあげるわ」と言い、金のブレスレットを取り出して「友達の証やで」と渡したそうです。

事務所の社長にも色違いのものを渡していました。

今思えば、別れの準備をしていたのかもしれません。……それを思うと、胸が締め付けられます。

葬儀に5000人が集まった別れ

いときんさんの通夜は2018年2月3日に大阪市のやすらぎ天空館で営まれました。

関係者やファンら1000人以上が参列し、祭壇中央には2017年12月28日のステージで笑顔を見せた写真が飾られました。

翌2月4日の葬儀には、ぼんちおさむさん・ハイヒール・モモコさんら芸能界の知人のほか、一般ファンも含めて計5000人が訪れました。

棺にはいときんさんが愛用したマイク・法被・帽子・音楽活動に関する品々と、思い出の写真が入れられました。

そしてメンバー5人が棺を運び出すとき、雪がちらつく寒さと強風の中、ファンはいっせいに「いときんっ!」と叫びました。

その後、自然発生的にファンの間から「ギフト」の合唱が始まったのです。

合唱が終わると、メンバーはファンに向かって「ありがとう」と何度も繰り返した——というこのシーンは、いときんさんがいかに多くの人に愛されたかを示す象徴的な場面です。

いときんさんの結婚と家族について

いときんさんは2011年3月、大阪在住の一般女性と結婚されました。

結婚式は大阪の帝国ホテルで行われ、約120名の参列者を招いた盛大なものでした。

式ではET-KINGのメンバーが「愛しい人へ」を生演奏したと伝えられています。

いときんさんには息子さんと娘さんがいます。2018年4月時点では、まだ幼いお子さんたちがいたと報道されています。

若くして逝かれた父を知らないまま育つお子さんたちのことを思うと……胸が痛くなりますね。

えんとつ町のプペルのブルーノのモデルはいときん

2020年10月、お笑いコンビ・キングコングの西野亮廣さんが自身のブログで、アニメ映画「えんとつ町のプペル」の主人公・ブルーノのモデルが「いときん」さんであることを公表しました。

西野さんはいときんさんについてこう語っています。

「音楽番組のMCで強く印象に残っている人の一人がいときんサンです。黙ってたら大阪の怖い兄ちゃんなんですが笑うと、とびっきりキュート。そして、とにかくよく笑っていらっしゃって、漫画に出てくるキャラクターみたいな人だったんです」

そして「余命半年と宣告されてから半年後のライブで、いときんサンがお客さんに向けて『生きろよ』と声をかけられていて、僕、それに本当に励まされたんです」とも語りました。

映画の主人公ブルーノは法被を着てカンカン帽を被ったキャラクターです。

いときんさんのET-KINGでのスタイルそのものですね。

「人は2度死ぬ」という言葉がありますが、映画のブルーノを通していときんさんは今も生き続けています。

ET-KINGの死亡した二人目を調べる人向けの関連情報

ここからは、ET-KINGで最初に亡くなったTENNさんの死因・遺書の内容、そして現在のグループの活動状況についてお伝えします。

一人目・TENNの死因と遺書・上原多香子の不倫

ET-KINGで最初に亡くなったメンバーはTENNさんです。

いときんさんより約3年4カ月前のことでした。

項目 内容
本名 森脇 隆宏(もりわき たかひろ)
生年月日 1978年12月11日
出身地 大阪府東大阪市
血液型 AB型
担当 ボーカル
死去日 2014年9月25日(享年35歳)
死因 自殺
配偶者 上原多香子(SPEED)

TENNの基本プロフィール

TENNさんはET-KINGの創設メンバーの一人で、いときんさん・KLUTCHさんとともに1999年にグループを立ち上げた人物です。

グループ活動中はボーカルを担当し、2012年8月にはSPEEDの上原多香子さんと結婚。

当時はファンからも祝福を受けた結婚でした。

2014年4月29日の結成15周年の全国ツアー最終公演をもってET-KINGは活動休止。

そのわずか5カ月後の出来事でした。

2014年9月25日午前7時30分頃、TENNさんは大阪市内のマンション駐車場の車内で心肺停止状態で発見され、その後死亡が確認されました。享年35歳。自殺でした。

遺書の公開と上原多香子の不倫

TENNさんが亡くなった直後、ET-KING公式サイトではファンに向けた遺書が公開されました。

その内容は「みんなのおかげで音楽をやってこれました。ET-KINGの音楽は、時間をこえて、時代をこえても、ずっと側にある音楽だと思っています。メンバーのこれからを応援してあげてください。本当にありがとう。」というものでした。

事務所は「亡くなる理由めいたことは見受けられませんでした」とコメントし、当初は自殺の原因は明らかではありませんでした。

しかし2017年8月、遺族がTENNさんの遺書の一部を週刊誌に公開したことで、事情が明らかになります。

TENNさんのスマートフォンには、妻・上原多香子さんと俳優・阿部力さんが不倫していることを示すLINEや写真が残されていました。

さらに遺書には「子供ができない(不妊)」を悔やむ言葉があったことも明かされました。

「子供を授けられない自分」と、「不倫相手との間に子供を作る話をしていた妻」という状況が重なった——これがTENNさんの自殺の背景とされています。

TENNさんが亡くなる前日(9月24日)のブログには「曲を、、0から生み出す作業。なかなか難しいが、出来上がりは嬉しい。さあ作りますか」と書かれており、自殺直前まで前向きに仕事をしていたように見えました——それだけに、この出来事の衝撃は計り知れないものがあります。

ET-KINGの現在の活動はどうなっているか

二人のメンバーを失い、脱退・逮捕と波乱続きのET-KINGですが、現在も音楽活動を続けています。

現在のメンバー:KLUTCH・センコウ・DJ BOOBY・コシバKENの4人です。

2018年1月にいときんさんが亡くなった後、グループはいときんさんのパートを楽曲によって使い分けながら活動を継続しました。

いときんさんが生前レコーディングに参加していたアルバム「LIFE」は2018年4月25日にリリースされています。

2021年10月31日にはBUCCIさんがソロ活動への転向を理由に脱退。

2022年2月にはKLUTCHさんが大麻取締法違反で書類送検され、グループの活動を当面休止する事態が発生しました。

しかしKLUTCHさんは起訴猶予となり、2022年7月には活動を再開しています。

近年も「祭人」(2023年7月)、「万々歳」(2024年1月)、ABCテレビのドラマ主題歌「フレーフレーフレー」(2025年)などをリリースし、活動を続けています。

ライブでは、TENNさんのパートはコシバKENさんが歌い、いときんさんのパートはいときんさんの声を流してメンバーは歌わない形の楽曲もある、と伝えられています。

二人の大切なメンバーを失いながらも、ET-KINGは歌い続けています。それはきっと、いときんさんとTENNさんへの最大の敬意の表し方なのかもしれません。

亡くなった二人のメンバーがET-KINGに与えた影響

ET-KINGはメンバー2人の死という、他のグループではほとんど例のない経験をしてきたグループです。

TENNさん(2014年9月25日死去)とのおよそ3年4カ月後に、いときんさん(2018年1月31日死去)も旅立ちました。

メンバー 死去日 享年 死因
TENN(森脇隆宏) 2014年9月25日 35歳 自殺
いときん(山田祥正) 2018年1月31日 38歳 がん性心膜炎(肺腺がんステージ4)

2人ともET-KINGの結成メンバーであり、どちらもグループの音楽的・精神的な柱でした。

TENNさん死後の活動再開時、メンバーは「TENNの魂を胸に」という言葉とともに再始動を発表しました。

そしていときんさん死後には、メンバーはいときんさんが生前レコーディングに参加したアルバム「LIFE」をリリース。

いときんさんの声が収録された作品は多くのファンの心に刺さりました。

いときんさんが「生きろよ」と叫んだ最後のステージ、TENNさんが残した「ET-KINGの音楽は、時間をこえて、時代をこえても、ずっと側にある音楽だと思っています」という遺書の言葉——この2つはET-KINGというグループの本質を示しています。

2人はすでにいないけれど、ET-KINGの音楽はこれからも聴かれ続けるでしょう。

それがET-KINGの2人の意志でもあります。

ET-KINGの死亡した二人目・いときんのまとめ

  • ET-KINGで2人目に亡くなったメンバーはリーダーのいときん(本名:山田祥正)
  • 1979年3月3日生まれ、兵庫県三田市出身、享年38歳
  • 2018年1月31日午前11時28分、がん性心膜炎のため大阪府和泉市内の病院で死去
  • 死因となった肺腺がんは2017年8月3日に公表、診断時点でステージ4・脳とリンパ節に転移済み
  • 自覚症状は全くなく、定期健康診断で偶然発見された
  • ステージ4の肺腺がんの5年生存率は4.8%という非常に厳しいものだった
  • 抗がん剤治療は行わず、自宅療養と体力づくりで免疫力向上を選択した
  • 2017年12月28日、大阪・Zepp Nambaのツアーファイナルにて生前最後のステージに立った
  • 最後のステージで「生きろよ」「みんな、生きろよ」とファンに叫んだ
  • 2018年1月19日に容体急変・緊急搬送され、意識が戻らないまま1月31日に死去
  • 通夜(2018年2月3日)に1000人以上、葬儀(2018年2月4日)に5000人が参列
  • 葬儀ではメンバーがアカペラで「ギフト」を歌い、ファンの自然発生的な合唱が起きた
  • 映画「えんとつ町のプペル」の主人公ブルーノのモデルはいときんさん(西野亮廣が公表)
  • ET-KINGで最初に亡くなったのはTENN(本名:森脇隆宏)で2014年9月25日に自殺(享年35歳)
  • TENNの自殺原因は不妊の悩みと妻・上原多香子の不倫が背景にあるとされる

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