田辺靖雄さんの学歴が気になっている方は多いのではないでしょうか。
田辺靖雄さんは堀越学園(堀越高等学校)を経て日本大学芸術学部演劇学科に進学しましたが、梓みちよさんとのデュエット「ヘイ・ポーラ」の大ヒットにより1年で中退しています。
この記事では、田辺靖雄さんの幼少期から大学中退までの学歴に加え、堀越学園の芸能コース誕生のきっかけとなったエピソードや、スタンフォード大学の噂の真相、家系図や現在の活動まで詳しくご紹介します。
・田辺靖雄の出身高校・大学と中退の理由
・堀越学園の芸能コース誕生のきっかけとなったエピソード
・スタンフォード大学卒の噂の真相と家系図の全貌
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田辺靖雄の学歴を徹底調査
田辺靖雄さんといえば、1960年代にデビューし「ヘイ・ポーラ」の大ヒットで一躍スターとなった歌手・俳優ですよね。
ここでは田辺靖雄さんの幼少期から大学中退までの学歴を詳しく見ていきます。
劇団こまどりで子役デビューした幼少期
田辺靖雄さんは1945年4月5日、東京都世田谷区に生まれました。
本名は田邊靖雄で、血液型はO型、身長は171cmです。
田辺さんの芸能界との関わりは非常に早く、なんと10歳の頃にはすでに劇団「こまどり」に入団して子役として活動を始めていたんですよ。
これは父親の田辺正晴さんがNHKアナウンサーだったこと、母親が化粧師(現在でいうメイクアップアーティスト)だったことからもわかるように、幼い頃からエンターテインメントの世界が身近にある環境で育ったことが大きく影響していると考えられます。
子役時代の具体的な出演作品についてはあまり多くの情報が残っていませんが、劇団こまどりでの活動は中学時代まで続き、中学生のときに劇団を辞めています。
出身の小学校・中学校について
田辺靖雄さんが通っていた小学校や中学校の具体的な名前は公表されていません。
東京都世田谷区出身ということから、世田谷区内の公立学校に通っていた可能性が高いですが、正確な情報は明らかになっていないんですよね。
ただ、10歳で劇団に入団し子役として活動していたことを考えると、学業と芸能活動を両立させる生活は小学生の頃からすでに始まっていたことがわかります。
こうした幼少期の経験が、のちに堀越学園で芸能活動と学業を両立する下地になったのかもしれませんね。
高校は芸能人御用達の堀越学園
田辺靖雄さんが進学した高校は、現在では芸能人御用達として広く知られている堀越学園(堀越高等学校)です。
ここ、気になりますよね。
実は田辺さんが堀越学園に入学した当時、この学校はまだ芸能人に特化した高校ではなかったんですよ。
もともと堀越学園は洋裁学校としてスタートした学校で、芸能界との結びつきはほとんどなかったといいます。
田辺さんが在学していた頃、当時の校長だった堀越克明氏が、芸能の仕事をしながら通学する田辺さんの学業と仕事の両立を個人的にサポートしてくれていたそうです。
テレビ出演や音楽活動で忙しい日々の中でも、校長先生が特別に配慮してくれたおかげで、田辺さんは高校生活を送ることができたわけですね。
この時期、田辺さんはすでに六本木や赤坂界隈で仲間と遊ぶ活発な高校生でもありました。
16歳のときには峰岸徹さんや中尾彬さん、大原麗子さん、井上順さん、ムッシュかまやつさんらとともに「六本木野獣会」を結成し、渡辺プロダクションにスカウトされるきっかけをつかんでいます。
堀越学園の偏差値と特徴
堀越学園の現在の偏差値は、コースによって異なりますが、トレイトコース(旧・芸能活動コース)はおおむね38前後とされています。
もっとも、芸能コースは学力よりも芸能活動との両立を重視したコースなので、偏差値だけでは語れない部分が大きいですよ。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 学校名 | 堀越高等学校 |
| 所在地 | 東京都中野区 |
| 設立 | 1923年(大正12年) |
| 芸能コース開設 | 1973年(昭和48年) |
| 現在の名称 | トレイトコース |
堀越学園の芸能コース誕生のきっかけに
田辺靖雄さんが堀越学園で芸能活動と学業を両立させていたという噂は、やがて芸能界に広まっていきました。
この噂を聞きつけて、同じく芸能活動をしながら高校に通いたいと考えていたフォーリーブスのメンバーである青山孝史さんや江木俊夫さんたちが、次々と堀越学園に入学してくるようになったんですよ。
芸能人の学生が増えていく中で、堀越克明校長は個人的なサポートの限界を感じ、学校全体として彼らをサポートする体制を整えようと決意しました。
その結果、昭和48年(1973年)に日本初となる「芸能活動コース」が正式に誕生したんです。
この芸能活動コースの第一期卒業生には、なんと郷ひろみさん、野口五郎さん、坂口良子さんといった、のちの大スターが名を連ねています。
つまり、田辺靖雄さんへの校長の個人的なサポートが、日本の高校教育における芸能活動コースという新しい仕組みを生み出す直接的なきっかけとなったわけですね。
現在この芸能活動コースは「トレイトコース」と名称が変更されています。
トレイトは英語の「trait(特徴、特色)」に由来する名前で、以前は芸能人だけだったところ、最近では棋士やダンサーなど芸能以外の分野で活躍する生徒も受け入れていることから名称が変更されたそうですよ。
田辺靖雄さん一人の存在がきっかけとなって、数多くの芸能人やアスリートが学業と仕事を両立できる場所が生まれたというのは、日本の教育史においても注目すべきエピソードですよね。
日本大学芸術学部に進学も1年で中退
堀越学園を卒業した田辺靖雄さんは、1963年に日本大学芸術学部演劇学科に進学しています。
日本大学芸術学部、通称「日芸(にちげい)」は、映画、演劇、音楽、文芸、放送、写真、美術、デザインの8学科を擁する総合芸術学部として知られており、数多くの芸能人やクリエイターを輩出してきた名門校です。
田辺さんが演劇学科を選んだのは、歌手としての活動だけでなく俳優としての道も見据えていたからでしょう。
実際、田辺さんはのちにTBSテレビ『東京・浅草・雷門』の主役に抜擢されるなど、俳優としても活躍することになります。
しかし残念ながら、田辺さんは日本大学に入学してわずか1年で中退することになりました。
その理由は、芸能活動があまりにも忙しくなってしまったからなんですよ。
大学入学と同年の1963年5月、梓みちよさんとのデュエット曲「ヘイ・ポーラ」が爆発的な大ヒットを記録し、一気にスター街道を駆け上がることになったのです。
つまり田辺靖雄さんの最終学歴は、日本大学芸術学部演劇学科中退ということになりますね。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 高校 | 堀越高等学校 |
| 大学 | 日本大学芸術学部演劇学科(1年で中退) |
| 中退年 | 1963年〜1964年頃 |
| 中退理由 | 「ヘイ・ポーラ」大ヒットによる芸能活動多忙 |
| 最終学歴 | 日本大学芸術学部演劇学科 中退 |
中退の理由はヘイ・ポーラの大ヒット
田辺靖雄さんが大学を中退するきっかけとなった「ヘイ・ポーラ」について、もう少し詳しく見ていきましょう。
「ヘイ・ポーラ(Hey Paula)」は、もともとアメリカのデュオ「ポールとポーラ」が1962年11月に発表した楽曲で、翌1963年2月には3週連続で全米1位を記録した大ヒット曲でした。
この楽曲の日本語カバー版が、田辺靖雄さんと梓みちよさんのデュエットとして1963年にキングレコードから発売されたんです。
当時のクレジットは「マイ・カップル」名義で、訳詞はみナみカズみさん(のちの安井かずみさん)が担当しました。
この日本語版「ヘイ・ポーラ」は発売直後から爆発的な人気を獲得し、田辺さんは大学に入学したばかりの18歳にして、テレビや音楽番組、コンサートなどに引っ張りだこの状態になってしまいます。
大学に通う時間がまったく取れなくなり、結果として1年で中退という選択をせざるを得なかったわけですね。
この大ヒットの勢いに乗り、田辺さんは同年の第14回NHK紅白歌合戦に初出場を果たしています。
NHKの人気番組「夢であいましょう」にもレギュラー出演し、テレビの創成期を彩るスターの一人として活躍しました。
大学中退は残念なことではありますが、結果的にこのタイミングで芸能活動に専念したことが、田辺靖雄さんの長いキャリアの出発点となったのは間違いないでしょう。
スタンフォード大学卒は同姓同名の別人
田辺靖雄さんの学歴を調べていると、「スタンフォード大学政治学部大学院修士課程修了」という情報に行き当たることがあります。
これ、かなり混乱するポイントなんですよね。
結論から言うと、スタンフォード大学を修了したのは歌手・俳優の田辺靖雄さんではなく、まったく別の同姓同名の人物なんです。
スタンフォード大学修士課程を修了した「田辺靖雄」さんは、1978年に通商産業省(現・経済産業省)に入省し、その後資源エネルギー庁や通商政策局で要職を歴任、2006年には外務省経済局審議官を務めた超エリート官僚の方です。
さらにその後は日立製作所の執行役を経て、2020年7月には一般財団法人日欧産業協力センターの専務理事に就任されています。
紛らわしいことに、この2人の「田辺靖雄」さんは漢字表記がまったく同じなんですよ。
歌手の田辺靖雄さんは本名が「田邊靖雄」(邊は旧字体)ですが、検索結果では両者が混同されてしまうことが多々あるようです。
| 人物 | 歌手の田辺靖雄 | 官僚の田辺靖雄 |
|---|---|---|
| 生年月日 | 1945年4月5日 | 非公表 |
| 最終学歴 | 日本大学芸術学部中退 | スタンフォード大学大学院修了 |
| 職業 | 歌手・俳優 | 元通商産業省官僚・実業家 |
| 主な実績 | ヘイ・ポーラ、紅白出場 | 外務省経済局審議官など歴任 |
ですので、田辺靖雄さんの学歴について調べる際は、歌手の田辺靖雄さんと官僚の田辺靖雄さんを混同しないように注意してくださいね。
田辺靖雄の学歴を調べる人向けの関連情報
田辺靖雄さんの学歴に興味がある方は、きっとプライベートや家族関係も気になるのではないでしょうか。
ここからは、六本木野獣会や妻の九重佑三子さん、息子、家系図、病気、そして現在の活動まで幅広くご紹介しますよ。
六本木野獣会を結成した若い頃
田辺靖雄さんの若い頃を語る上で欠かせないのが、「六本木野獣会」の存在です。
田辺さんは高校在学中の16歳のとき、赤坂や六本木を遊び場にしていた仲間たちとこの「六本木野獣会」を結成しました。
メンバーには後の大物芸能人がずらりと名を連ねていて、峰岸徹さん、中尾彬さん、大原麗子さん、小川知子さん、井上順さん、そしてムッシュかまやつさんといった錚々たる顔ぶれだったんですよ。
彼らの活動拠点は赤坂にあった「シャンゼリゼ」という日本初のオープンカフェで、そこに集まってはいろんなことについて議論を交わしたり、赤坂の街を歩いたりしていたそうです。
今でいうサロンのような雰囲気だったのかもしれませんね。
この六本木野獣会での活動がきっかけとなり、1961年に田辺さんは渡辺プロダクションにスカウトされて芸能界入りを果たします。
NET(現・テレビ朝日)の番組『ザ・リクエストショー』に出演し、その後NHKの『夢であいましょう』にレギュラー出演するなど、着実にキャリアを築いていきました。
六本木野獣会のメンバーたちはそれぞれが芸能界で大きな成功を収めており、この青春時代のつながりが互いの芸能人生に大きな影響を与えたことは間違いないですよね。
妻の九重佑三子との結婚生活
田辺靖雄さんの妻は、歌手・女優の九重佑三子(ここのえ ゆみこ)さんです。
九重佑三子さんといえば、1967年から放送されたテレビドラマ『コメットさん』で主役を務め、一世を風靡した女優さんですよね。
田辺さんと九重さんの出会いは、1960年代前半の歌番組「ヒットパレード」だったとされています。
二人はともにアメリカンポップスの日本語カバー曲を歌う歌手として同時期にデビューし、音楽番組で共演を重ねるうちに親しくなったようです。
そして1973年、俳優の森繁久彌さん夫妻を媒酌人として結婚式を挙げました。
「六本木の野獣」と「コメットさん」というまったく異なるイメージの二人の結婚は、当時話題になったことでしょう。
森繁久彌さんが結婚式で贈ったはなむけの言葉は「夫婦は別人格。一心同体に非ず」というもので、田辺さん夫妻はこの言葉を大切にしてきたそうですよ。
結婚から50年以上が経った今もおしどり夫婦として知られ、「徹子の部屋」にも夫婦揃って出演されています。
お互いのリズムの違いを尊重しながら、それぞれの世界を大切にするというスタイルが、長年にわたる円満の秘訣なのかもしれませんね。
息子の田辺晋太郎はミュージシャン
田辺靖雄さんと九重佑三子さんの間に生まれた長男が、田辺晋太郎さんです。
田辺晋太郎さんは1978年11月5日生まれで、音楽プロデューサー、作曲家、MCと多方面で活躍しています。
音楽の道に進んだのはやはり両親の影響が大きいのでしょう。
2001年に音楽ユニット「Changin’ My Life」のメンバーとしてデビューし、3rdシングル「Myself」がテレビアニメ『満月をさがして』のエンディングテーマに起用されて5万枚を売り上げるヒットを記録しました。
グループ脱退後は音楽作家・プロデューサーとして活動の幅を広げ、AKB48の渡辺麻友さんや城田優さんなどの人気アーティストに楽曲を提供しています。
ユニークなのは、音楽活動に加えて「肉マイスター」としても活動していることです。
2013年に出版した著書『焼肉の教科書』がベストセラーとなり、2014年10月には一般社団法人「食のコンシェルジュ協会」を設立して代表理事に就任しています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 田辺晋太郎 |
| 生年月日 | 1978年11月5日 |
| 職業 | 音楽プロデューサー・作曲家・MC |
| デビュー | 2001年(Changin’ My Life) |
| 代表作 | 「Myself」(満月をさがしてED) |
| 著書 | 焼肉の教科書(ベストセラー) |
| 妻 | 本村由紀子(フリーアナウンサー) |
| 子供 | 長男・裕晴、次男・雄二郎 |
プライベートでは2007年にフリーアナウンサーの本村由紀子さんと結婚し、長男の裕晴さんと次男の雄二郎さんが生まれています。
田辺靖雄さんにとっては孫にあたるお二人で、三世代の「田辺ファミリー」としてチャリティーイベントに一緒に参加することもあるそうですよ。
父親と兄はNHKアナウンサーの家系図
田辺靖雄さんの家族を遡ると、芸能・メディア一家であることがよくわかります。
田辺靖雄さんの父親は田辺正晴さんという方で、元NHKアナウンサーとして活躍されていました。
特筆すべきは、田辺正晴さんが『紅白音楽試合』(NHK紅白歌合戦の前身番組)の総合司会を務め、さらに第1回・第2回のNHK紅白歌合戦でも総合司会を担当したという経歴です。
つまり、紅白歌合戦の歴史の始まりを司会として支えた人物が田辺靖雄さんの父親だったわけですね。
そして田辺さんの兄である田辺よしのぶさんも、父親と同じくアナウンサーの道に進んでいます。
父も兄もアナウンサーという家庭環境の中で育った田辺靖雄さんが、メディアや芸能の世界に自然と足を踏み入れたのは当然の流れだったのかもしれません。
田辺家は四人兄弟で、田辺靖雄さんには兄の田辺よしのぶさんのほかに姉がいます。
この姉の伊都子さんがのちに歌手の三原さと志さんと結婚することになり、ここからまた芸能界の興味深い人脈が広がっていくんですよ。
母親は化粧師(現在のメイクアップアーティスト)だったとされており、両親ともにエンターテインメントやメディアに関わる職業だったことがわかります。
甥は小山田圭吾
田辺靖雄さんの家系図で特に注目されるのが、ミュージシャンの小山田圭吾さんとの血縁関係です。
小山田圭吾さんといえば、「コーネリアス」名義で世界的に活躍するミュージシャンとして知られていますよね。
田辺靖雄さんの姉・伊都子さんが歌手の三原さと志さんと結婚し、1969年1月に生まれた息子が小山田圭吾さんです。
つまり、田辺靖雄さんにとって小山田圭吾さんは甥にあたります。
また、田辺靖雄さんの息子である田辺晋太郎さんと小山田圭吾さんはいとこ同士の関係です。
父方には三原さと志さんという歌手がいて、叔父にあたる田辺靖雄さんも歌手で、母方の祖父はNHKアナウンサーと、小山田圭吾さんもまた芸能・音楽一家の血筋の中に生まれたことになりますね。
このように田辺靖雄さんの家系は、NHKアナウンサー、歌手、ミュージシャン、音楽プロデューサーと、何世代にもわたって芸能・メディア界で活躍する人材を輩出している一族なんですよ。
病気で歩行困難も妻の支えで回復
田辺靖雄さんは2007年に突然、足が動かなくなるという深刻な病気に見舞われました。
ある日突然足に力が入らなくなり、歩行不能の状態になってしまったんです。
すぐに病院に行って検査を受けましたが、原因はわからず、医師からは「過度なストレスによるもの」と診断されました。
田辺さんはもともと緊張しやすい性格で、強いストレスを感じたときに足がビリビリとしびれる感覚が以前からあったそうです。
自律神経に過度な負担がかかった結果、足に力が入らなくなる状態に陥ってしまったと考えられています。
このとき、妻の九重佑三子さんが見せた行動がすごいんですよ。
医師の話を聞いた佑三子さんは「冗談じゃない!私が治します!」と宣言し、田辺さんを車椅子に乗せて自宅に連れて帰ったそうです。
そこから佑三子さん考案のリハビリ生活が始まりました。
その方法がユニークで、田辺さんの大好きなコーヒーをわざと手の届かない遠い場所に置き、自分で取りに行かなければ飲めないようにしたんです。
生活に必要なものも同様にあえて離れた場所に置いて、田辺さんが自分の足で動かざるを得ない状況を作り出しました。
この佑三子さん流のリハビリは見事に功を奏し、田辺さんは徐々に歩行能力を取り戻していきました。
田辺さんご自身も「人生で初めて”こんちくしょう”と頑張った」と振り返っており、夫婦の絆の強さが伝わってくるエピソードですよね。
現在もチャリティーコンサートで活躍中
田辺靖雄さんは2007年の歩行困難から見事に回復し、現在も歌手として精力的に活動を続けています。
2026年現在、田辺さんは80歳を迎えていますが、妻の九重佑三子さんとともにステージに立ち、往年のヒット曲を披露する姿は多くのファンに感動を与え続けていますよ。
田辺さんの活動の中でも特に注目すべきなのが、1993年から続けている『田辺靖雄ハートフルチャリティーコンサート』です。
このコンサートは収益金の一部を使って車椅子を寄贈するという社会貢献活動で、これまでに寄贈した車椅子は2000台を超えています。
30年以上にわたって継続しているチャリティー活動というのは本当にすごいことですよね。
また、田辺靖雄さんは社団法人日本歌手協会の8代目会長も務めており、日本の歌謡界を牽引するリーダーとしての役割も担っています。
日本歌手協会の会長として、被災地支援チャリティーコンサートなどの企画にも積極的に関わっているそうですよ。
現在の所属事務所はサンミュージックプロダクションで、1986年から始まった妻の九重佑三子さんとの夫婦リサイタルも長年にわたって続けられています。
学歴としては日本大学を1年で中退するという経歴ではありますが、60年以上にわたる芸能活動とチャリティー活動の実績は、どんな学歴よりも雄弁にその人となりを物語っていると言えるのではないでしょうか。
田辺靖雄の学歴のまとめ
- 田辺靖雄は1945年4月5日生まれ、東京都世田谷区出身の歌手・俳優
- 10歳で劇団こまどりに入団し子役デビュー、中学時代に退団
- 出身の小学校・中学校の具体的な学校名は公表されていない
- 高校は芸能人御用達で知られる堀越学園(堀越高等学校)に進学
- 堀越学園は田辺靖雄の在学がきっかけで芸能活動コースが誕生したとされる
- 芸能活動コースの卒業生第一号は郷ひろみ、野口五郎、坂口良子ら
- 大学は日本大学芸術学部演劇学科に進学するも1年で中退
- 中退の理由は梓みちよとのデュエット「ヘイ・ポーラ」の大ヒットによる多忙
- 「スタンフォード大学卒」は同姓同名の元通商産業省官僚の学歴で混同されやすい
- 田辺エージェンシーの代表というのもデマで、同社とは無関係
- 高校時代に六本木野獣会を結成し、峰岸徹や中尾彬、大原麗子らが参加
- 妻は歌手・女優の九重佑三子で、1973年に森繁久彌夫妻の媒酌で結婚
- 長男の田辺晋太郎は音楽プロデューサーで「肉マイスター」としても活動
- 父親の田辺正晴は元NHKアナウンサーで紅白歌合戦の初代司会を務めた
- 甥にはコーネリアスこと小山田圭吾がいる芸能一家


