渡辺真起子の学歴は高校中退!放校処分になった理由と独学で女優になった道のり

渡辺真起子の学歴は高校中退!放校処分になった理由と独学で女優になった道のり

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渡辺真起子さんの学歴を調べると、意外な事実にたどり着きます。

演技派女優として知的な雰囲気を持つ渡辺さんですが、最終学歴はなんと高校中退。しかも、その理由が「遊びすぎによる放校処分」というから、驚きですよね。

でも、その経緯を詳しく追っていくと、ただの「問題児」ではなく、自由と居場所を求めてもがいた一人の少女の姿が見えてくるんです。

この記事を読むとわかること
・渡辺真起子さんの出身小中学校と高校中退になった理由
・独学から女優への道を切り開いた経緯
・実家・弟・DJ EMMAとの事実婚など関連情報まとめ

渡辺真起子の学歴と高校中退までの経緯

渡辺真起子さんの学歴は「高校中退」。では、なぜ高校を中退することになったのか、その背景にある幼少期からの女優への想いと、学校になじめなかった理由について詳しく見ていきましょう。

出身の小学校と中学校

渡辺真起子さんの出身小学校は三鷹市立南浦小学校、中学校は三鷹市立第一中学校です。

東京都三鷹市という街で幼少期から中学時代を過ごしたわけですね。

三鷹市といえば東京都の西部に位置するエリアで、ジブリ美術館があることでも有名な文化的な街です。

渡辺さんはそんな三鷹で10代の青春を過ごし、「初めての彼氏も、初チューも三鷹だった」と語っているほど、地元への想いが深い様子。

学校をサボって初めて行った場所も三鷹の映画館「三鷹オスカー」で、そこでミュージカルを観たという逸話も残っています。

のびのびとした創造性豊かな土地柄が、後の女優・渡辺真起子を育んだのかもしれませんね。

中学に進学してからも、演劇への憧れは変わりませんでした。

中学生のある日、映画『ションベンライダー』(1983年・相米慎二監督)のオーディションが公募されているのを知り、「これだ!」と思った渡辺さんは両親に応募の許可を求めます。

ところが、両親から返ってきたのは「まずきちんと勉強をして、学校に行って、芝居がやりたいんだったら、大学に行って、そこでもう一度選択し直しなさい」という言葉でした。

中学生の渡辺さんにとって、この断念は悔しい経験だったはず。

実際、後に完成した映画を観た渡辺さんは「子どもたちのおとなびた感じが意外にリアルで、なりたいものになってじゃなくて、存在そのものでいるというイメージがすごく強くて、それはステキだなあって思いました」と語っています。

その悔しさが、より強く「俳優になる」という決意を固めるきっかけになったようです。

演劇クラブで10歳のときに女優を決意

渡辺さんが「俳優になる」と心に決めたのは、なんと小学4年生、10歳のとき。

そのきっかけは、学校の演劇クラブでした。

もともと演劇クラブは廃部になりそうなくらい人数が少なかったそうで、渡辺さんは「人数がそろわないとなくなっちゃいそうなクラブに入ります」という流れで入部することになったんです。

しかも、顧問の先生も「俺もやったことがないけど、担当になっちゃったんだよね」という状態(笑)。

ところが、いざやってみると、グループワークが楽しくてたまらなかったようです。

「リーダーシップを取ることにもなり、少し学校や社会のなかに自分の居場所みたいなものがパッと見えた感じがして…」と渡辺さんは語っています。

それまで「学校のなかで存在感がフワフワしていた」と感じていた渡辺さんにとって、演劇クラブは初めて自分の居場所を見つけた特別な場所だったんですね。

……なんか、じんわりしませんか。そんな出会い方で人生が決まるって、すごいことだと思います。

演劇クラブでの具体的な活動内容

演劇クラブへの参加がきっかけで、渡辺さんの行動力はどんどん花開いていきます。

メンバー集めから始まり、チケットを手刷りで作ったり、脚本を自ら書いたりと、主体的にクラブを運営していきました。

「豆まき週間に何かやってくれ」と頼まれれば、豆まきの昔物語を創作する。

とにかく「自分が稼働している感じ」が充実感につながっていたとのことで、この体験こそが「これを職業にすれば良い」と思うに至ったターニングポイントだったようです。

何かになりたいと考えて選んだわけではなく、「楽しいことを仕事にしよう」という感覚で決意した女優という道。

その純粋な動機が、後の渡辺真起子さんの演技の自然さにつながっているのかもしれません。

高校での放校処分の経緯と理由

渡辺さんが高校を中退した理由は、一言で言うと「遊びすぎて放校処分になった」からです。

本人もインタビューでその事実をざっくばらんに話しています。

ただ、それだけで終わらせるのは渡辺さんに失礼かもしれません。実際には「遊びすぎ」の裏に、思春期ならではのさまざまな葛藤があったようです。

「思春期のときには世の中のいろんなことがあるじゃないですか。洋服にも興味が出たりとか、アルバイトをしてみたくなったりとか、とにかく自由になりたくて…」と渡辺さんは語っています。

両親のプレッシャーと自由への渇望

当時の渡辺さんにとって一番つらかったのは、家族の縛りと学校という枠組みだったようです。

まだ未成年で「できることには限りがある」中で、「両親の圧も結構強かった」という環境。

「逃れきれないことから逃れたかった。例えば家族だったりとか、地域だったりとか、何か自分を受け入れてくれてないかもしれないものから逃れたいみたいな、だから受け入れてくれる人を探しに町へ出たかったんですよね」という言葉には、当時の孤独感と自由を求める気持ちが滲み出ています。

そりゃ傷つきますよ、そんな状況に置かれたら。理解してくれる人がいないなかで、もがいていた様子が伝わってきます。

「演劇も学校に行って学びたいと考えていたんですけど、うまく進路が自分で切り開けなくて…不勉強だったところは大いにあるんですけど、年頃だったし、ソワソワして町に遊びに出ちゃったんですよね。今思えば、少し高校になじめなかったんじゃないかな」という言葉からも、ただのサボりではなかったことが伝わってきます。

こうして渡辺真起子さんの最終学歴は高校中退(放校処分)となりました。

高校在学中の3年間は、学校に通えない分、ひたすら映画やドラマをレンタルビデオで観まくり、さまざまな俳優さんたちのバックボーンを自分でコツコツ調べ続けたといいます。

中退後の独学と女優への道のり

高校を放校処分になった渡辺さんには、すぐに俳優になる手段がありませんでした。

「どうすれば良いのか、何をやりたいのか、劇団に入りたいのか、映画の俳優になりたいのか、自分が整理できなくて、全部がバタバタしていました」と当時を振り返っています。

周りに相談できる人もいなければ、両親もまったく協力的ではない環境の中、渡辺さんが取った行動は「ひたすら映画を観る」ことでした。

「高校の3年間は、とにかく映画やドラマをいっぱい見ました。レンタルビデオを借りられるだけ借りて、お芝居を見たりして、それを見ながら、色んな俳優さんたちのバックボーンを自分でコツコツコツコツ調べたりしていました」というのですから、その熱量は相当なものです。

独学でインプットを続けながら、俳優に近い仕事として選んだのがモデルの道でした。

「アルバイトするなら、俳優に近いほうが良いって。そっちを虎視眈々と狙っていったんです」と語っているように、これは偶然ではなく意図的な選択でした。

そうして18歳頃にモデルとして活動を始め、1986年にリクルート社「とらばーゆ」のCMで芸能界デビューを果たします。

女優デビュー後も「まだ早いと思っちゃった」「自分が下手くそというか、何もできてないということを、だんだんそこから知っていく」という謙虚な姿勢で研鑽を重ね、20歳頃には「やりたい仕事をやれる私になりたい」という思いから単身ニューヨークへ渡航。

約3〜4ヶ月ニューヨークに滞在し、翌年はパリで1ヶ月過ごしてから帰国。

海外でのリアルな経験が、後の演技の幅をさらに広げていきます。

渡辺真起子さんの女優への道のりは、正式な演技教育なしに、ひたすら独学と実践で積み上げたものだということがわかります。

中退経験が演技スタイルに与えた影響

渡辺真起子さんの演技は「独特の存在感」「芝居っぽくない」と評されることが多いですが、実はその自然な演技スタイルは、高校中退という経験と深く結びついている可能性があります。

モデル時代、映画のある監督から「お前、芝居っぽくてダメだ。うまいとダメだなあ」と言われた渡辺さんは「それはどうとらえたら良いのかな?うまいとダメって何?何か面白いことを言われてるなあ」と感じたそうです。

この逆説的な言葉との出会いが、後の演技スタイルを形成していくことになります。

正式な演劇教育を受けずに、独学とモデルという実践の場で培った表現力。

「何か別のものにはなれないけれど、私がどこでどんな風に生まれて、どんな風に育って…ということで想像していきます」という言葉は、渡辺さんの演技の核心を表しています。

型にはまらない生い立ちが、型にはまらない演技を生んだと言えるかもしれません。

高校という枠から飛び出し、海外を放浪し、モデルとして社会の様々な現場に立ってきた経験が、他の俳優にはない独特の人間観察力と表現の幅を育てたのではないでしょうか。

現在もカンヌ映画祭グランプリ受賞作『殯の森』をはじめ、2012年の第55回アジア太平洋映画祭最優秀助演女優賞受賞作『チチを撮りに』など、国内外で高い評価を受け続けているのは、その唯一無二の演技スタイルあってこそです。

学歴に対する世間の声

渡辺真起子さんの学歴に関して、ネット上ではどのような声が上がっているのでしょうか。

まず多く聞かれるのは「意外だった」という反応です。

演技派女優として知的なイメージを持つ渡辺さんが高校中退という経歴を持つことは、多くのファンにとって驚きだったようです。

その一方で「だからこそあの存在感なんだ」という声も多く見られます。

普通の高校・大学コースを歩まずに、自分の目で世界を見てきたからこそ、あの独特の雰囲気があるんじゃないかという見方は、渡辺さんの演技をより深く理解する一助になっているようですね。

また、渡辺さんが17歳当時のモデル写真がSNSで話題になった際には、「このモデルさん、誰だろう?と思ったら渡辺真起子さんでした。大好きな女優さん♪」といったコメントが多数寄せられています。

読んでいてこちらまで笑顔になりました。学歴の枠を超えて愛される、渡辺さんらしいエピソードですよね。

学歴よりも、その才能と生き様が愛される渡辺真起子さんの人間的な魅力が伝わってきます。

渡辺真起子の学歴を調べる人向けの関連情報

渡辺真起子さんの学歴を調べている方が気になるであろう、モデル時代・実家・家族・恋愛など関連情報をまとめました。

高校中退後にモデルとして芸能界に入った

高校を放校処分になった渡辺さんにとって、次のステップを見つけることは急務でした。

両親も「仕事しなきゃいけないね」という状況になり、渡辺さんが選んだのがモデルという職業です。

「アルバイトするなら、俳優に近いほうが良いって。そっちを虎視眈々と狙っていったんです」という言葉からも、これが単なる行き当たりばったりではなく、俳優という目標に向かった計算的な選択だったことがわかります。

18歳頃に声をかけてもらい、1986年にリクルート社「とらばーゆ」のテレビCMで正式にモデルデビュー。

「CMのオーディションに行ったら受かるという感じで、打率は良かったんですよね。単発のコマーシャルは一番多かったんじゃないかな」と語るほど、順調にCM出演を重ねていきました。

そして1988年、映画『バカヤロー!私、怒ってます』で女優デビューを果たし、念願の女優業をスタートさせます。

ただ、モデル活動は必ずしも楽しいものではなかったようです。

「普通にニコッて笑って美しいわけではないし、背が十分高いわけでもないし」と自身の外見を客観視しながら、「そんなにニコニコ笑ってられません。そんな毎日毎日笑えない」と泣きべそをかくこともあったと明かしています。

それでも「自分がどこにどんなふうにいたら職業として、より活かされるんだろって、結構一心不乱に真面目に考えてました」というプロフェッショナルな姿勢で乗り越えてきたんですね。

若い頃はCUTiE創刊号を飾るモデルだった

渡辺真起子さんといえば今でこそ演技派女優のイメージが強いですが、若い頃は時代を代表するトップモデルのひとりでした。

特に語り継がれているのが、1989年に創刊されたファッション誌『CUTiE』の記念すべき創刊号の表紙モデルに抜擢されたことです。

創刊号の表紙というのはその雑誌の顔となる最重要ポジション。そこに選ばれたということは、当時の渡辺さんがいかに業界から高い評価を受けていたかを物語っています。

また、19歳の時にはファッション誌「エル・ジャポン」のモデルも務めました。

「ブリジット・バルドーのように」というテーマの特集でモデルを探していた「エル・ジャポン」に、バストの大きい日本人モデルとして起用されたそうです。

このモデルとして注目されたことで、それまで冷たい態度だったスタイリストやヘアメイクが「一晩で笑顔で親しげに話しかけてくるようになった」という経験をしたと語っています。

知ったときびっくりしませんでしたか?一夜にして周囲の態度が変わるというのは、それだけ業界で大きなインパクトを与えたということですよね。

当時のSNSには「17歳の渡辺真起子さんでした。大好きな女優さん♪」「最強のモデルと最強のヘアメイクと最強のスタイリングと最強のグラフィックデザイン」という投稿が現在も残っており、当時の存在感の大きさをうかがい知ることができます。

実家は品川区で父親は医師だった

渡辺真起子さんの実家は、東京都品川区北品川にあります。

現在も渡辺さんはここで愛猫たちとともに暮らしているそうです。

渡辺さんのお父様は医師でした。

2009年に癌のために他界されています。

渡辺さんはお父様が闘病されている中で、「自分はこれからも大丈夫」と安心させたいという思いからテレビドラマへの出演を増やしたといいます。

自宅のテレビで娘の活躍を見せてあげたかったという、なんとも胸が温かくなるエピソードですね。

父方の祖父は軍医というルーツ

さらに家系をたどると、渡辺さんの父方の祖父は軍医だったという情報があります。

父は医師、祖父は軍医という家系であることを考えると、もともと教育意識の高いご家庭だったことがうかがえます。

父方の祖母は家庭科の先生だったとも伝わっています。

両親について渡辺さんは「わりと固い両親」と表現しており、俳優志望に対してはなかなか理解を示してもらえなかったようです。

それでも最終的には「仕事しなきゃいけないね」とモデル活動を許可し、娘の自立を見守ったわけですから、根本には大きな愛情があったのでしょう。

なお、お母様についても渡辺さんの発言から人柄がうかがえます。

スローペースの周りに合わせられない渡辺さんを、「あんたはほんとにもう」と呆れていたというエピソードも(笑)。お母様の大好物はショートケーキだったそうで、こういった日常的なエピソードから家族の温かさが伝わってきます。

弟の渡辺真史はBEDWINのディレクター

渡辺真起子さんには弟と妹がいます。妹についての情報は非公開ですが、弟の渡辺真史さんはファッション業界で大活躍している人物として知られています。

渡辺真史さんはファッションブランド「BEDWIN & THE HEARTBREAKERS」のディレクターです。

武蔵野美術大学を卒業後ロンドンへ留学し、2003年に会社DLX CO., LTD.を設立。2004年に「BEDWIN」としてブランドをスタートさせ、2007年に「BEDWIN & THE HEARTBREAKERS」としてリブランディングを行いました。

ミリタリーやトラディショナルな要素を取り入れながら、ベーシックなデザインに絶妙なひと手間を加えるスタイルが特徴で、ストリートとハイエンドを融合させた独自の世界観が高く評価されています。

真史さんの妻は、スウェーデン出身のアクセサリーデザイナー、Sofia Edstrand(ソフィア・エドストランド)さん。Tiffany & Co.の広告にも起用されるほどの実力派デザイナーです。お二人の子供は2人いて、トリリンガルとして育っているそうです。

真史さんは「10代の頃、ファッションや音楽やサブカルチャーについて姉から影響を受けた」と語っており、「親的な存在で、その関係はこれからも変わらない」とコメントしています。

姉・真起子さんが弟の感性形成に大きく関わっていたことがわかりますね。おしゃれで才能豊かな姉弟、素敵なエピソードだと思います。

DJ EMMAとの事実婚の真相

渡辺真起子さんは正式に結婚したことはなく、現在も独身です。

ただ、ファンの間で長年語られているのが、日本のハウスミュージックDJ・DJ EMMAさんとの「事実婚」の噂です。

DJ EMMAさんは日本のハウスミュージックの先駆者のひとりとして知られる人物で、「EMMA HOUSE」というイベントを主宰しています。

渡辺真起子さんが「EMMA HOUSE」のイベントに頻繁に参加していたことや、共通の知人のブログで「DJ EMMA夫人のマキ姉さん」として渡辺さんの写真が紹介されたことから、二人が事実婚状態にあるとファンの間で広く認識されるようになりました。

2018年の渡辺さんの50歳誕生日パーティーにDJ EMMAさんが参加したという情報もあり、二人の親密さをうかがわせます。

ただし、渡辺さん本人もDJ EMMA氏本人も、事実婚を公式に認めたことはありません。あくまでも噂の域を出ないのが現状です。

渡辺さんの結婚観について見ると、「自分を否定せずに生きていけたら素敵だと思います。”完璧な私”になれるはずもなく、そんな自分をどう肯定しながら生きていけばいいのか。時間を積み重ねながら、いろんなものを否定せず、バラエティ豊かに生きていく能力を高めていけたら」と語っています。

また「男女問わず、多種多様な生き方を肯定できる社会であったらいいな」という言葉からも、型にとらわれない自由な生き方を大切にしている人物像が伝わってきます。

結婚という制度にとらわれるよりも、自分らしく生きることを優先している渡辺さんらしいスタンスと言えるでしょう。

渡辺真起子の学歴まとめ

  • 出身小学校は三鷹市立南浦小学校、中学校は三鷹市立第一中学校
  • 10歳の時に演劇クラブに入部したことが女優を志すきっかけとなった
  • 演劇クラブでチケット手刷り・脚本執筆・公演など主体的に活動し充実感を覚えた
  • 中学時代に映画のオーディションに応募しようとしたが両親に阻止された
  • 高校では「遊びすぎ」て放校処分となり中退している
  • 中退の背景には両親のプレッシャーと自由・居場所への渇望があった
  • 最終学歴は高校中退
  • 高校中退後は映画・ドラマを独学で見まくり俳優業について自ら研究した
  • 18歳頃にモデルとして芸能界に入り、1986年に「とらばーゆ」CMでデビュー
  • 1988年に映画『バカヤロー!私、怒ってます』で女優デビューを果たした
  • 1989年にはCUTiE創刊号の表紙モデルに抜擢されるほどの実力派モデルだった
  • 実家は品川区北品川で、父親は医師(父方の祖父は軍医)
  • 父親は2009年に癌で死去しており、現在は両親ともに他界している
  • 弟は人気ブランド「BEDWIN & THE HEARTBREAKERS」のディレクター・渡辺真史
  • DJ EMMAとの事実婚の噂があるが、本人たちは公式に認めていない

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