勅使河原家系図を初代から4代目まで解説!草月流歴代家元の家族構成まとめ

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いけばな草月流を創った勅使河原家の家系図が気になっている方は多いのではないでしょうか。

初代家元・勅使河原蒼風さんから4代目・勅使河原茜さんまで、芸術の才能が代々受け継がれてきた一族の物語は、調べれば調べるほど面白いんです。

この記事では、勅使河原家の家系図を歴代家元の家族構成とともに詳しくまとめました。

この記事を読むとわかること
・勅使河原家の家系図と草月流歴代家元(初代〜4代目)の家族関係
・勅使河原蒼風・霞・宏・茜それぞれのプロフィールと経歴
・「勅使河原」という名字の由来と歴史的ルーツ

勅使河原家系図と草月流歴代家元の家族構成

いけばな草月流を創った勅使河原家は、初代・蒼風から4代・茜まで、芸術的な才能が代々受け継がれてきた名家です。

ここでは、勅使河原家の家系図を初代から順にたどりながら、各家元のプロフィールや家族関係を詳しくまとめていきます。

草月流の創始者・勅使河原蒼風のプロフィール

勅使河原蒼風(てしがはら そうふう)さんは、1900年(明治33年)12月17日に大阪府で生まれた華道家で、いけばな草月流の創始者です。

本名は勅使河原鉀一(こういち)さんといいます。

蒼風さんの父親は華道家の勅使河原久次さん(号は「和風」)で、1896年に日本生花学会(現・勅使河原和風会)を設立した人物です。

つまり蒼風さんは、華道家の家に生まれたサラブレッドだったんですね。

ただ、蒼風さんは父・久次さんとは華道の方向性をめぐって対立し、独立して1927年にいけばな草月流を立ち上げました。

「草月」という名前は、勅使河原家の家紋「根笹に三日月」に由来しているそうです。

蒼風さんは既存の華道で重要とされていた「型」を否定し、自由ないけばなを提唱しました。

1930年には「新興いけばな宣言」を発表し、いけばなの革新を世に訴えています。

当初は異端者扱いされたものの、1955年のパリ個展が大盛況となり、フランスのフィガロ紙やアメリカのタイム誌から「花のピカソ」と称賛されたほどです。

1959年には、バルセロナでの個展に感激した画家のサルバドール・ダリから自宅に招かれ、流木を使ったオブジェを制作するという素敵なエピソードも残っています。

……これ、すごくないですか?ダリに招かれるって、世界的にも相当な評価を受けていたことがわかりますよね。

蒼風さんは「いけばなは生きている彫刻である」と主張し、花だけでなく枯木や石、ガラス、針金、陶器なども素材として使い、いけばなを総合芸術にまで高めました。

また、連合国軍最高司令官だったマッカーサー元帥の夫人にいけばなを指導したこともあるそうです。

蒼風さんは1979年9月5日に78歳で亡くなりました。

墓所は東京の青山霊園にあります。

蒼風は5人兄弟の長男

蒼風さんは5人兄弟の長男で、兄弟には姉が1人、妹が2人、弟が1人いました。

また、蒼風さんの母親は勅使河原八十(やそ)さんという方です。

蒼風さんの親族には文化人が多く、伯父には書家の玉木愛石さんや小野鐘山さんがいます。

芸術的な家系に育ったことが、蒼風さんの独創的な作風に影響しているのかもしれませんね。

受賞歴もすごい

蒼風さんの受賞歴も華やかです。

受賞内容
1961年 レジオン・ドヌール勲章(フランス)
不明 芸術文化勲章(フランス)
不明 芸術選奨

国内外から数々の栄誉を受けた、まさに日本の華道界を代表する人物です。

蒼風の父は華道家・勅使河原久次

勅使河原蒼風さんの父・勅使河原久次さんは、号を「和風(わふう)」と名乗った華道家です。

久次さんは1896年(明治29年)10月に日本生花学会(現・勅使河原和風会)を設立・主宰した人物で、蒼風さんにとっては華道の師匠でもありました。

久次さんは息子の蒼風さんに将来を期待していたようですが、蒼風さんは華道の方向性について父と意見が合わず、独立する道を選びました。

父の「型を重んじる」姿勢と、蒼風の「自由でいたい」という想い。

この親子の対立が、結果的にいけばな草月流という新しい流派を生むきっかけになったわけですから、なんだか運命的なものを感じますよね。

勅使河原久次さんは、蒼風さんの華道人生の原点であり、草月流誕生のきっかけを作った重要な人物といえます。

蒼風の妻・葉満と子供たち

勅使河原蒼風さんの妻は、葉満(はま)さんという方で、明治36年(1903年)生まれ、東京の松坂清助さんの三女です。

蒼風さんと葉満さんの間には、2人の子供が生まれました。

続柄 名前 生年 備考
長男 勅使河原宏 昭和2年(1927年) 草月流3代目家元・映画監督
長女 勅使河原霞 昭和7年(1932年) 草月流2代目家元

ここでちょっと不思議に思いませんか?

長男の宏さんが3代目で、長女の霞さんが2代目なんです。

これは、蒼風さんが亡くなった1979年の時点で、まず娘の霞さんが2代目家元を継承したためです。

しかし霞さんは翌年1980年に病気で急逝してしまい、その後に兄の宏さんが3代目を継いだという経緯があります。

つまり、勅使河原家の家元継承は「蒼風→霞→宏→茜」という順番で、必ずしも長子優先ではなかったことがわかります。

2代目家元・勅使河原霞の生涯

勅使河原霞(かすみ)さんは、1932年(昭和7年)に蒼風の長女として東京に生まれました

学歴は白百合学園中等部を卒業しています。

1953年には草月流の師範として教室を開き、1957年には草月会の副会長に就任するなど、若くして華道界で頭角を現していました。

霞さんはいけばなだけでなく、絵画や彫刻、装幀(そうてい)といった分野でもアーティスティックな才能を発揮しています。

1977年には、なんとイギリスのウェストミンスター大聖堂のステンドグラスに花をいけるという大役を果たしました。

これはかなりすごいことですよね。

1979年に父・蒼風さんが亡くなった後、霞さんが2代目家元を継承しました。

しかし、残念なことに霞さんは1980年に脳腫瘍のため47歳という若さで亡くなってしまいます

家元を継いでわずか1年あまりのことでした。

……正直、この早すぎる死は華道界にとって大きな損失だったと思います。

墓所は父の蒼風さんや兄の宏さんと同じ、東京の青山霊園にあります。

霞の代名詞は極小いけばな「ミニアチュール」

霞さんの代名詞ともなったのが、わずか数センチの極小いけばな「ミニアチュール」です。

通常のいけばなとはスケールが真逆の、繊細で独特な表現方法ですよね。

また、シャンソン歌手の石井好子さんのステージ装飾を手がけるなど、ジャンルを超えた活動も行っていました。

霞さんは、短い生涯の中で華道の枠を超えたアーティストとしての存在感を示した人物です。

3代目家元・勅使河原宏は映画監督としても活躍

勅使河原宏(ひろし)さんは、1927年1月28日に蒼風の長男として東京で生まれました

宏さんは草月流3代目家元としての顔を持ちながら、映画監督、陶芸家、舞台美術家、演出家としても多方面で活躍した、まさにマルチアーティストです。

映画監督としては、ATG(日本アート・シアター・ギルド)初の日本映画の監督を務めました。

特に、作家・安部公房さんの原作を映画化した作品群は、ドキュメンタリータッチを基本にしたシュールレアリスティックな映像美で世界的に高い評価を受けています。

作品名 ジャンル
おとし穴 映画
砂の女 映画
他人の顔 映画
燃えつきた地図 映画
利休 映画

宏さんは2001年4月14日に74歳で亡くなり、それに伴って次女の茜さんが4代目家元を継承しました。

宏の学歴は東京芸術大学

宏さんの学歴は、私立暁星中学校を経て、1944年に東京美術学校(現・東京芸術大学)の日本画学科に入学しています。

在学中からパブロ・ピカソや岡本太郎さんなどの前衛芸術に傾倒し、安部公房さんや関根弘さんらによる前衛芸術のサークル「世紀の会」に参加していました。

学生時代から前衛芸術にどっぷり浸かっていた宏さんだからこそ、映画でも華道でも既存の枠にとらわれない表現を追求できたのでしょう。

宏の妻は女優の小林トシ子で娘は3人

勅使河原宏さんは2度結婚しています。

前妻は片岡藍子さんで、作家の片岡鉄兵さんの娘です。

その後、後妻として女優の小林トシ子さんと1956年に結婚しました。

小林トシ子さんは1932年(昭和7年)に東京都中央区築地で生まれ、松竹で映画女優として活動していた方です。

結婚後は「勅使河原トシ子」として知られるようになりました。

宏さんとトシ子さんの間には子供が3人生まれており、3人とも娘さんです。

このうち次女が、現在の4代目家元・勅使河原茜さんです。

宏さんの家族は、映画界と華道界の両方に縁のある、芸術一家だったことがわかりますね。

勅使河原家系図を調べる人向けの関連情報

ここからは、勅使河原家系図に関連してよく検索される話題をまとめました。

4代目家元の勅使河原茜さんの詳しいプロフィールや、「勅使河原」という名字の由来、同姓の有名人についても触れていきますね。

4代目家元・勅使河原茜の経歴と人物像

勅使河原茜(あかね)さんは、1960年に勅使河原宏さんの次女として東京で生まれました

幼い頃から叔母にあたる2代目家元の勅使河原霞さんからいけばなの手ほどきを受けていたそうです。

茜さんの学歴は國學院大學幼児教育専門学校を1981年に卒業しており、なんと最初のキャリアは幼稚園の先生だったんです。

4年間幼稚園教諭として勤務した後、1985年に財団法人草月会の広報部に勤務を開始しました。

1988年に静岡三菱自動車ショールームのインスタレーションを手がけたことで創作活動をスタートし、2001年4月に父・宏さんの逝去に伴い第四代家元を継承しています。

同年5月には財団法人草月会の理事長にも就任しました。

茜さんが掲げるモットーは、祖父・蒼風さんの言葉「花はいけたら、人になる」です。

現在は、美術家やミュージシャン、ダンサーなど他分野のアーティストとのコラボレーションに積極的に取り組んでいます。

また、音や光などの演出を取り入れながら花をいけるパフォーマンス「いけばなLIVE」を国内外各地で上演しており、伝統を守りながらも新しい表現に挑み続けています。

茜ジュニアクラスで子供たちの指導にも注力

茜さんは1989年に、3歳から18歳までの子供を対象にした「茜ジュニアクラス」を開講しました。

いけばなを通じて子供たちの感性と自主性を育むことを目的としたクラスで、茜さん自身が指導にあたっています。

幼稚園教諭という異色の経歴が、ここで活きているのかもしれませんね。

勅使河原茜さんは、華道家としてだけでなく教育者としての一面も持つ、草月流のリーダーです。

勅使河原茜の子供は息子が2人との情報

勅使河原茜さんの子供について気になる方も多いようです。

ネット上の情報によると、勅使河原茜さんには子供が2人いて、2人とも息子さんだと言われています。

ただし、茜さんの子供に関する情報は公式には詳しく公表されておらず、名前や年齢、職業などの詳細は明らかになっていません。

草月流の家元継承は、初代から4代目まですべて血縁者が受け継いできた歴史があります。

今後5代目を誰が継ぐのかという点でも、茜さんの息子さんたちの動向は注目されるところですよね。

勅使河原茜さんの子供は2人の息子がいるとされていますが、詳しいプロフィールは公開されていない状況です。

勅使河原茜の兄弟は3人姉妹

勅使河原茜さんの兄弟についても整理しておきましょう。

父・宏さんと母・小林トシ子さんの間には子供が3人いて、全員が娘さん、つまり3人姉妹です。

茜さんは3人姉妹の次女にあたります。

つまり茜さんには姉が1人、妹が1人いることになりますが、お姉さんと妹さんの名前や職業については公にされていません。

3人姉妹の中から次女の茜さんが家元を継いだのは、幼少期から叔母の霞さんにいけばなを教わり、草月流との結びつきが一番強かったからではないかと考えられます。

勅使河原茜さんは3人姉妹の真ん中で、姉妹の中から4代目家元に選ばれた人物です。

勅使河原の名字の由来は武蔵七党の丹党

「勅使河原」という名字を見て、読み方に迷ったことはありませんか?

この名字は「てしがわら」と読みます。

由来は、武蔵国賀美郡勅使河原(現在の埼玉県児玉郡上里町勅使河原)という地名です。

鎌倉時代から室町時代前期にかけて活躍した武士団「武蔵七党」のうち、丹(たん)党と呼ばれる一族がこの地に住み、「勅使河原氏」を名乗ったのが始まりとされています。

では「勅使河原」の語源は何かというと、「勅使田のあった河原」という意味です。

「勅使」とは本来「ちょくし」と読み、天皇の勅旨を伝える使者のこと。

この付近には天皇家に納める田んぼ「勅使田」があったことから、その一帯が「勅使河原」と呼ばれるようになりました。

読み方も「ちょくしがわら」から「てしがわら」に変化したと考えられています。

なお、「勅使河原」と「勅使川原」は漢字表記が異なりますが、どちらも同じルーツを持つ名字です。

勅使河原の名字は、武蔵七党の丹党に由来する歴史ある姓で、埼玉県の地名がルーツとなっています。

勅使河原秀行は草月流とは別人物

「勅使河原」と検索すると、草月流の勅使河原家とは別に「勅使河原秀行」さんの名前が出てくることがあります。

ここで注意しておきたいのが、勅使河原秀行さんは草月流の勅使河原家とは無関係の別人物だということです。

勅使河原秀行さんは京都大学出身で、かつて大和証券本店に勤務していたエリートビジネスマンでした。

1992年に、元新体操日本代表選手の山崎浩子さんとの統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の合同結婚式で注目を集めた人物です。

長身でイケメンだったことから「テッシー」という愛称で呼ばれ、当時かなりの話題になりました。

しかし1993年4月、山崎浩子さんが統一教会からの脱会を表明し、婚約は破棄されています(入籍はしていませんでした)。

その後、勅使河原秀行さんは住谷文子さんという方と結婚し、4人の子供をもうけました。

2022年時点では統一教会の教会改革推進本部の本部長として記者会見に登場しています。

同じ「勅使河原」姓でも、草月流の華道家一族と勅使河原秀行さんはまったく別の家系ですので、混同しないよう注意してくださいね。

勅使河原家系図のまとめ

  • 勅使河原蒼風は1900年大阪府生まれ、いけばな草月流の創始者
  • 蒼風の父は華道家の勅使河原久次(号は和風)で、蒼風は華道の方向性の違いから独立した
  • 「草月」の名は勅使河原家の家紋「根笹に三日月」に由来
  • 蒼風の妻は葉満(はま)で東京の松坂清助の三女
  • 蒼風と葉満の間には長男・宏と長女・霞が生まれた
  • 蒼風は「花のピカソ」と呼ばれ、ダリにも招かれた世界的華道家
  • 2代目家元の勅使河原霞は蒼風の長女で、1980年に47歳で急逝
  • 霞の代名詞は極小いけばな「ミニアチュール」
  • 3代目家元の勅使河原宏は映画監督としても活躍し、安部公房原作の映画で世界的評価を受けた
  • 宏の妻は女優の小林トシ子で、子供は娘3人
  • 4代目家元の勅使河原茜は宏の次女で1960年東京生まれ
  • 茜は幼稚園教諭を経て2001年に家元を継承
  • 茜の子供は息子が2人とされるが詳細は非公開
  • 勅使河原の名字は武蔵七党の丹党に由来し、埼玉県上里町がルーツ
  • 勅使河原秀行は草月流の勅使河原家とは無関係の別人物

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