プリンセスプリンセスのボーカルとして一世を風靡した奥居香さん。
若い頃はどんな子どもだったのか、どうやってあの歌声と才能が磨かれていったのか、気になっている方も多いのではないでしょうか。
実は、音楽に全てをかけた少女時代に、母親にピアノを鍵かけられたり、高校を2度中退したりと、意外なエピソードが盛りだくさん。
・奥居香の幼少期から高校中退・バンドデビューまでの生い立ち
・プリンセスプリンセス全盛期の活躍と若い頃のポッチャリ体型の真相
・学歴・家族構成・岸谷五朗との結婚馴れ初めなど気になる情報まとめ
奥居香の若い頃のプロフィールと生い立ちを徹底解説
プリンセスプリンセスのボーカルとして一世を風靡した奥居香さん。
若い頃はどんな人だったのか、気になっている方も多いのではないでしょうか。
ここでは、基本プロフィールから生い立ち、デビューまでの道のりをくわしく紹介していきます。
基本プロフィールと身長
奥居香さんのプロフィールをまとめると、以下の通りです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名(現在の芸名) | 岸谷香(きしたにかおり) |
| 旧芸名 | 奥居香(おくいかおり) |
| 生年月日 | 1967年2月17日 |
| 出生地 | 広島県広島市 |
| 育ち | 東京都渋谷区広尾 |
| 血液型 | O型 |
| 身長 | 157cm |
| 職業 | シンガーソングライター |
| 所属事務所 | オールスパイスカンパニー |
「奥居香」という名前は結婚前の本名であり、芸名として使用していたものです。
2001年に俳優の岸谷五朗さんとの間に子供が生まれたことをきっかけに、現在の芸名「岸谷香」に改名しています。
テレビで見ていても小柄な印象を受けますが、身長は157cmと日本人女性の平均とほぼ同じです。
ただ、若い頃のバンド時代はポッチャリ体型だったことでも知られています(詳しくは後述)。
現在も現役で音楽活動を続けており、2018年にはガールズバンド「Unlock the girls」を結成するなど、その活躍は衰えを知りません。
幼少期のピアノと音楽との出会い
奥居香さんが音楽と出会ったのは、幼いころのことです。
東京都渋谷区広尾で育った奥居香さんの実家には、母親が昔使っていたピアノがありました。
赤ちゃんの頃、首が据わるようになった頃にはもう鍵盤を触っていたというから、音楽との縁はかなり早かったんですね。
最初は母親にピアノを教えてもらい、バイエルをある程度弾けるようになってから先生について本格的に習い始めたそうです。
家では常にクラシック音楽が流れており、なかでも奥居香さんが特に好きだったのはショパンだったと言います。
5歳になる頃には先生を付けて本格的に習い始め、小学生の時点からすでにピアノで自分の曲を作って遊んでいたというから、その才能の芽はずいぶん早い段階から開いていたのでしょうね。
広島にいる祖母は、奥居香さんが小学生の頃から「この子には音楽の才能がある」と気づいていたと話しているそうです。
幼い頃からピアノと触れ合い、音楽の才能を自然と育んできた環境が、後のプリンセスプリンセスという大ブレイクへの土台になっていたのです。
母親のピアノへの鍵かけエピソード
ところが、小学校の高学年になると、奥居香さんはピアノを辞めたいと言い出します。
性格上コンスタントに練習を続けることが苦手だったこともあり、レッスンをさぼるようになっていったようです。
そんな娘に対して母親は、「唯一の取り柄なのにね、だったらもう辞めてしまいなさい」と言いました。
奥居香さんが本当に「辞めます」と言ったところ、母親はピアノに鍵をかけて「二度と弾かなくていい」と言ったのです。
……読んでいてちょっと切なくなりますね。でも、これが後に大きな転機になります。
鍵をかけられた奥居香さんは、逆にピアノを弾きたくてたまらなくなっていったそうです。
小学校の卒業式の伴奏を任されるなど完全に音楽から離れた訳ではなく、「ピアノを弾ける子」という認知は学校内でも持たれていました。
この経験が、後に中学校でのバンド活動への扉を開くことになるのです。
中学時代はバンドに夢中で勉強せず
奥居香さんは、中学校に進学すると流行りのポップスを聴くようになります。
東京学芸大学附属世田谷中学校に進学した奥居香さんは、友人の前で最近の曲を耳コピしてピアノで弾いてみせたところ、「すごい!」と驚かれました。
そのとき初めて「自分はピアノが弾けるということが当たり前じゃないんだ」と気づいたそうです。
さらに、小学校から同じ系列の学校に進学していたため、先輩たちの間でも「伴奏をしていた子」として認知されており、中学に入学してすぐに先輩からバンドのキーボードとして誘われました。
こうして始まったのが奥居香さんのバンド活動です。
ご本人も「勉強はほとんどやっていなかった(笑)。中学の3年間はバンドばかりやっていました」と振り返っています。
それでも「不良だったわけではない」と言い、あくまで学校の中でやっていたバンド活動だったとのこと。
進学校ということもあり、楽器に興味のある子が少なく、音楽室や楽器を独占状態で使えたのはラッキーだったとも語っています。
なんか、分かりますよね。好きなことに夢中になったら他のことが吹っ飛ぶ感覚。
中学時代の奥居香さんは、正真正銘の「音楽少女」として3年間を過ごしたのです。
YMOコピーからガールズバンドまで
奥居香さんが中学時代に参加していたバンドは、一種類ではありませんでした。
YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のコピーバンドから始まり、ガールズバンドまで、様々なジャンルのバンドで活動していたそうです。
卒業する頃には音楽の視野もずいぶん広がっていたといいますから、中学3年間はある意味でアーティストとしての基礎を固めた時期だったと言えるかもしれません。
ただ、音楽ばかりに夢中だったためか、系列の東京学芸大学附属高校への内部進学試験には失敗してしまいます。
これが奥居香さん自身が「人生最初の失敗」と語る出来事になります。
長女として期待されていたこともあり、内部進学の失敗は家庭内に暗い雰囲気をもたらしたそうです。
高校受験の挫折とベースを手にした経緯
内部進学に失敗した奥居香さんは、外部受験をして高校を探すことになります。
残念ながら第一志望の高校にも合格できず、唯一合格したのが私立の女子高・玉川聖学院高等部でした。
1943年創立のキリスト教系ミッションスクールで、校則がかなり厳しい学校だったそうです。
落ち込んでいた奥居香さんに、叔父さんがこんな言葉をかけてくれました。「1校だって合格したんだから、おめでたいよ。香、お祝いになんでも買ってやるぞ」
そのとき奥居香さんが頼んだのが、なんと「ベース」でした。
赤いグレコのプレシジョン・ベース。ギターはコードを押さえる必要があるけれど、単音のベースなら何とかなると思ったからだそうです。
なんか、その発想がすでに音楽家らしいですよね。
校則の厳しい玉川聖学院は自由を好む奥居香さんの性格には合わず、入学早々から退学を考えていたとのこと。
そんな時期に偶然見つけたのが「赤坂小町」のメンバー募集の告知でした。
「これを理由に学校を辞めるかも?」という軽い気持ちでオーディションを受けに行ったというから、運命というのは分からないものです。
1400人の中から合格した赤坂小町オーディション
1983年、奥居香さんが高校2年生だった頃、「赤坂小町」のオーディションに応募します。
応募総数はなんと1400人。そのなかから見事合格を勝ち取りました。
しかし、両親はこのバンド加入に猛反対。毎日のように話し合いが続いたそうです。
奥居香さんが諦めなかった理由が印象的です。「もし自分が断った後に別のメンバーが入って成功することが耐えられなかった」と話しています。
その強い思いが両親の心を動かし、最終的に「高校の部活動の延長だと思って許します。ただし、2〜3年やって結果が出なければ大学に進学するように」という条件付きで承諾をもらったのです。
高校2年生(16歳)の1983年に「赤坂小町」の活動がスタートしました。
しかし、玉川聖学院は芸能活動を禁止していたため、奥居香さんは同校を中退することになります。
その後、明治大学付属中野高校の定時制課程に編入しましたが、こちらでも出席日数が5〜6日不足したことで再び中退してしまいます。
こうして奥居香さんは高校を中退してバンド活動に専念し、翌1984年にシングル「放課後授業」でデビューを果たすことになったのです。
赤坂小町は、その後1985年に「JULIAN MAMA(ジュリアン・ママ)」に改名し、さらに1986年に「PRINCESS PRINCESS(プリンセスプリンセス)」へと改名してメジャーデビューを果たします。
実家の家族構成と父・母・弟について
奥居香さんの実家の家族構成は、父・母・弟の4人家族です。奥居香さんは長女にあたります。
生まれたのは広島県広島市ですが、生まれてすぐに東京都に引っ越し、育ちは東京都渋谷区広尾となっています。
父親との悔やまれる別れ
父親は滋賀県出身の方で、奥居香さんが20歳頃(1987年頃)に亡くなっているそうです。
ちょうど反抗期が終わりきっていない時期の突然の別れ。奥居香さんはこの出来事をずっと胸に抱えていたようです。
2012年のブログで、奥居香さんはこんなことを書いています。「私の父は、私が二十歳ぐらいの時に亡くなってしまったんだけどさ、実は、時間が経てば経つほど、娘と父親の悪い関係のまま、亡くならせてしまったこと、後悔してんだ…。」
読んでいて胸が痛くなりますよね…。
この経験から、「父とは仲良くするべき」という教訓を得たと奥居香さんは語っています。
母親については、2003年の桜が満開の頃に亡くなったそうです。2006年のブログで告白しており、「人は死ぬとどこにいくんだろうね」とつづっていたと言います。
両親ともすでに亡くなっており、奥居香さんにとって若い頃に関わる家族のエピソードは、喜びと別れの両方が混ざった記憶になっているのかもしれません。
弟は歯科医
弟さんは現在、東京都中目黒で「奥居歯科」という歯科医院の院長を務めています。
奥居という姓が今も残っていることからも、弟さんが奥居香さんと同じ旧姓を使っていることが分かります。
2019年のブログでは、奥居香さんが「食事中にインプラントの上に被せた歯が割れて、弟の歯医者に行ってきた」とつづっており、身内の歯医者にかかっていることを明かしています。
家族とのつながりをきちんと大切にしている様子が伝わってきて、なんかほっこりしますよね。
奥居香の若い頃を調べる人向けの関連情報
奥居香さんの若い頃を調べていると、バンド時代の体型や学歴、岸谷五朗さんとの出会いなど、気になるトピックがたくさんあります。
ここではそれらを一気にまとめてお届けします。
若い頃はポッチャリ体型!身長と体型の変化
奥居香さんの若い頃といえば、ポッチャリ体型が印象的だったという声が多くあります。
バンド全盛期の1980年代後半から1990年代にかけて、奥居香さんはまだ20代前半。当時の体型について、ご本人もブログで触れています。
「昔は今以上に歌ってたのに、デブだったのはなぜだろう?」
……自分でそう書いてしまうあたり、なかなかサバサバしていますよね(笑)。
当時の体重については公式発表がありませんが、目撃情報などをもとに推定すると55〜60kg程度だったのではと言われています。
それでも、ポッチャリ感がむしろ「可愛い」という声が多く、男女問わず「かっこいい」「かわいい」と支持されていたのがプリンセスプリンセス全盛期の奥居香さんでした。
現在の奥居香さん(岸谷香さん)はスリムな体型で知られており、若い頃とはずいぶん雰囲気が変わっています。
子育てを通じた食事管理や健康的な生活習慣が影響しているのではないかと見られており、実際にブログでも食生活への意識が高い様子がうかがえます。
若い頃のポッチャリ体型から、現在のスリムな体型への変化は、音楽活動を続けながらも健康を意識し続けてきた結果と言えそうです。
プリンセスプリンセス全盛期の活躍と代表曲
プリンセスプリンセスの全盛期は、主に1989〜1990年頃とされています。
1986年にバンド名を「PRINCESS PRINCESS(プリンセスプリンセス)」に改名し、メジャーデビューを果たした後、徐々に知名度を上げていきます。
ターニングポイントになったのは1988年。シングル「MY WILL」がスポーツ用品店「ヴィクトリア」のCMソングに起用されたことで注目が集まり、「夜のヒットスタジオDELUXE」への初出演を果たします。
そして1989年、7thシングル「Diamonds」がオリコンチャート1位を獲得し、ミリオンセラーを達成。日本有線大賞を受賞し、紅白歌合戦への出演オファーも来るなど、一気にトップアーティストの仲間入りを果たしました。
同年、女性だけのバンドとして初の武道館ライブも成功させています。
他にも「世界でいちばん熱い夏」「M」「GET CRAZY!」「KISS」「ジュリアン」など、今でも多くの人の耳に残る楽曲を次々とリリースしました。
バンドのほぼすべての楽曲の作曲を手がけ、ライブではギターのほかにピアノやキーボードも演奏していた奥居香さん。ガールズバンドのボーカリストとして最高の逸材と称されるだけのことはあります。
1994年にはソロ活動も開始。1995年にはNHKホールでのソロライブを成功させ、シンガーソングライターとしての才能も証明しました。
プリンセスプリンセスは1996年5月31日、武道館公演をもって解散しています。
岸谷五朗との結婚馴れ初めと現在の家族
奥居香さんと俳優の岸谷五朗さんが出会ったのは、岸谷五朗さんがDJを務めるTBSラジオ「東京RADIO CLUB」がきっかけでした。
当時プリンセスプリンセスで人気絶頂だった奥居香さんがゲスト出演した際、初対面からなかなかの波乱でした。
舞台メイクのままだった岸谷五朗さんが「いくつに見えますか?」と聞いたところ、奥居香さんが「全くわからない」と答え、それに対して岸谷さんが「このアマぁぁ!」と発言したのです。
TBSの上層部からもきつく叱られたそうですが、奥居香さんは気を悪くするどころかその後もたびたびゲスト出演するようになりました。
音楽や芝居の話で盛り上がり、奥居香さんが「岸谷さんのプロデュースするお芝居が好き」と告白したことで岸谷さんの舞台音楽を奥居香さんが担当するようになり、交際へと発展していきました。
プロポーズも二人らしいエピソードです。ある夜の晩酌中に岸谷五朗さんが突然、「僕と一緒に記者会見を開きませんか?」と切り出したのです。それに対して奥居香さんは「あ〜そうしますか〜」とあっさりOKしたそう。
……なんか、このユルさが逆に最高じゃないですか(笑)。
1996年6月28日に正式に結婚。プリンセスプリンセスが解散した同じ年のことでした。
二人の間には2001年に長男・岸谷蘭丸さん、2003年に長女が誕生しています。子供たちはアメリカへの留学経験があり、長男は現在YouTuberとしても活動しています。
現在も仲睦まじい夫婦として知られており、日常的に一緒に晩酌をしながら今日あったことを共有しているそうです。
岸谷香として輝き続ける現在の姿
2001年に子供を授かったことをきっかけに「奥居香」から「岸谷香」へと改名した奥居香さん。現在も精力的に音楽活動を続けています。
結婚後はソロ活動を続けながら、PUFFYなど他のアーティストへの楽曲提供も積極的に行ってきました。
2012年には東日本大震災の復興支援を目的にプリンセスプリンセスが再結成。仙台サンプラザホール、日本武道館、東京ドームと、1年間の限定活動で13万人を動員するという大規模な活動となりました。
2018年には新たなガールズバンド「Unlock the girls」を結成し、ミニアルバムをリリース。
また、50代になっても変わらないパフォーマンスと美貌で「歳を取らない!」とファンを驚かせ続けています。
奥居香(岸谷香)さんは、若い頃のプリプリ時代から現在に至るまで、常に音楽の第一線で輝き続けているアーティストです。
学歴まとめ(出身校の偏差値も紹介)
奥居香さんの学歴を改めてまとめておきます。
| 学校 | 偏差値 | 備考 |
|---|---|---|
| 東京学芸大学附属世田谷小学校 | — | 国立の附属小学校 |
| 東京学芸大学附属世田谷中学校 | 61(やや難関) | 内部進学 |
| 玉川聖学院高等部 | 51(普通) | 中退(芸能活動禁止のため) |
| 明治大学付属中野高校(定時制) | 40 | 中退(出席日数不足) |
| 大学 | — | 進学せず |
中学までは系列の国立附属校に通うというエリートコースをたどっていた奥居香さんですが、音楽への情熱がそのレールを外れさせることになりました。
内部進学の失敗を「人生最初の失敗」と語っているように、勉強面での挫折を経験していますが、その分音楽の道で大きな成功を手にしています。
高校2校を中退し大学にも進学しなかったという学歴は、当時の親の心境からすれば複雑なものだったかもしれません。
ただ、「2〜3年で結果が出なければ大学進学」という条件で親が承諾したこと、そしてプリンセスプリンセスとして全国に名を轟かせる実績を作ったことで、結果的にはその判断が正しかったと証明されたといえるでしょう。
奥居香の若い頃に関する世間の声
奥居香さん(現・岸谷香さん)の若い頃については、当時のファンを中心に今もたくさんの声が寄せられています。
SNSやネット上での声を見ると、「プリプリ時代の奥居香さんが大好きだった」「あの頃の歌声は今でも鮮明に覚えている」という声が多く、世代を超えて愛されていることが分かります。
若い頃のポッチャリ体型については「そのポッチャリ感が逆に可愛かった」「バンド全盛期の奥居香さんはそれも含めて魅力的だった」という声も多く、ネガティブな見方をされていないのが印象的です。
「今も変わらず格好いい」「若い頃と全然変わってない」という声も多く、奥居香さんの変わらない輝きに驚くファンが今も後を絶ちません。
若い頃から現在に至るまで、奥居香(岸谷香)さんはファンに愛され続けているのです。
奥居香の若い頃のまとめ
- 本名・現名義は岸谷香(きしたにかおり)。旧芸名「奥居香(おくいかおり)」名義でプリンセスプリンセスのボーカルとして活動した
- 1967年2月17日生まれ。広島県広島市生まれ、東京都渋谷区広尾育ち
- 身長157cm、血液型O型
- 幼少期から母親のピアノに親しみ、5歳から本格的なレッスンを開始。小学生の頃から作曲もしていた
- 小学校高学年でピアノを辞めると言い出し、母親にピアノに鍵をかけられた。その後こっそり弾き続け音楽への情熱が再燃した
- 中学時代はYMOコピーバンドからガールズバンドまで様々なバンド活動に明け暮れ、勉強はほとんどしなかった
- 東京学芸大学附属の系列校への内部進学に失敗。これが「人生最初の失敗」と本人が語る出来事だった
- 高校受験でも第一志望に落ち、玉川聖学院高等部に入学するも校則が厳しく馴染めなかった
- 叔父のプレゼントにベース(グレコのプレシジョン・ベース)をもらったことが音楽への本格的な転機となった
- 1983年、応募総数1400人の中から赤坂小町のオーディションに合格。高校2年(16歳)でバンド活動を開始した
- 芸能活動禁止のため玉川聖学院を中退。その後明治大学付属中野高校定時制に編入するが出席日数不足で再中退
- 1984年にシングル「放課後授業」でデビュー。1986年にプリンセスプリンセスに改名してメジャーデビュー
- 1989年に「Diamonds」がオリコン1位・ミリオンセラーを達成。日本有線大賞受賞・紅白出演も果たした
- バンド全盛期はポッチャリ体型だったことで知られており、当時のファンからも「可愛かった」と語り継がれている
- 父親は奥居香さんが20歳頃に死去。反抗期のまま仲が悪い状態で亡くなったことを2012年のブログで後悔として告白している
- 1996年にプリンセスプリンセス解散、同年岸谷五朗と結婚。2001年に子供誕生をきっかけに「岸谷香」に改名し現在も音楽活動を継続している


