森下直哉の昔はタトゥーなしの問題児!テニス推薦から倉庫レストラン起業までの波乱経歴

森下直哉の昔はタトゥーなしの問題児!テニス推薦から倉庫レストラン起業までの波乱経歴

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「イケオジ」として一夜にしてSNSを席巻した森下直哉さん。あの全身タトゥーのワイルドな姿の裏に、どんな”昔”があったのかご存じですか。

実は幼い頃から「常に動き回っていた問題児」で、大学も1年で中退。テニスのスポーツ推薦で大学に入ったにもかかわらず、授業には出ずサークル三昧で単位を落とすという、なかなかドラマチックな過去があります。

そして22歳で東京に飛び出し、ニューヨークまで視察に行き、30歳で「関西最大級の倉庫レストラン」を地元・滋賀にDIYで建ててしまった。そんな森下直哉さんの昔から現在への軌跡、一緒にたどっていきましょう。

この記事を読むとわかること
・森下直哉の学生時代の経歴と大学中退の理由
・ニューヨーク視察から生まれたTHE HIDEAWAY FACTORYの誕生秘話
・高橋メアリージュンとの幼馴染関係とタトゥーを入れた本当の理由

森下直哉の昔と若い頃のイケメン経歴まとめ

今やSNSで大バズりした”イケオジ”森下直哉さんですが、その昔の姿や経歴、どこで育ってどんな学生時代を過ごしたのかって気になりますよね。

滋賀の問題児から上京→ニューヨーク視察→地元で関西最大級のレストランを起業、という怒涛のストーリーをたどっていきましょう。

問題児だった幼少期と滋賀の出身校

森下直哉さんは、1987年12月18日に滋賀県大津市で生まれました。

生まれ育った場所は、琵琶湖を望む比叡山麓のエリア、大津市の比叡平(ひえいだいら)地区です。

小学校は大津市立比叡平小学校、中学校は大津市立皇子山中学校と、地元の公立校を歩んだ森下さん。

ごく普通の環境に見えますが、幼い頃から「常に動き回っていた問題児」だったと本人が語っています。

教室で落ち着いて座っていることが苦手で、周囲をにぎやかにしてしまうタイプ。でも不思議と、そのエネルギーが「モテたい」「目立ちたい」「カッコつけたい」という方向に向いていたと振り返っています。

子どもの頃から漫画の主人公みたいな人生を送ることへの憧れがあったそうで、この”目立ちたがり”のDNAが、のちに「関西最大級の倉庫レストランを自分でDIYで建てる」という大胆な行動につながっていくわけですから、人生ってわからないものですよね。

幼馴染は高橋メアリージュン

実はこの比叡平小学校・皇子山中学校というコンビ、もう一人の有名な卒業生がいます。

モデル・女優として活躍する高橋メアリージュンさんです。

高橋メアリージュンさんは森下さんと同じ1987年生まれで、同じ小学校・中学校に通っていた幼馴染。高橋メアリージュンさん自身もInstagramで森下さんのことを「幼馴染」と紹介しており、間違いない事実です。

森下さんは今でも高橋メアリージュンさんを「メア」と呼ぶ仲。

大人になってからも雑誌『CanCam』に幼馴染として共演したことがあるなど、長年にわたって縁がつながっているのがほっこりしますよね。

同じ学校にこんな美男美女が同時に存在していた事実、クラスメイトはどんな気持ちだったんでしょう(笑)。

高校時代はテニスのスポーツ推薦で大学へ

中学を卒業した森下さんは、滋賀県立堅田高等学校に進学します。

高校でも「問題児」ぶりは健在だったようですが、部活動でテニスに打ち込んだことが転機になります。

テニスの腕前はなかなかのもので、その実力が認められてスポーツ推薦という形で大阪の大学への進学の話が舞い込んできます。

スポーツ推薦での大学進学というのは、一般入試とは別ルートで大学に入れる制度です。スポーツで優れた成績を残した学生に向けたもので、テニスで結果を出してきた森下さんにとっては、まさに実力が開いたドアだったわけです。

「問題児でもテニスで道を切り開いた」というこのエピソード、なんかカッコいいですよね。

ただ、この先の話を知ると「あ、やっぱりそうなるか」とも思ってしまうんですが…続きは次のセクションで。

大学中退後に父の工務店で働き飲食業の道へ

テニスのスポーツ推薦で大阪の大学に進学した森下さんですが、大学は1年で中退することになります。

毎日キャンパスには通っていたそうなのですが、授業には出ずにサークル活動に明け暮れていたとか。結果として単位が取れず、大学を去ることになります。

正直、「あ〜」って感じのエピソードですよね(笑)。でもこれが森下さんの場合、その後の人生をまったく狂わせなかったというのがすごいところです。

大学を出た後、森下さんは父親が経営する電気工務店で働き始めます。

現場仕事の毎日を過ごすなかで、ある日お昼休憩中に目に入ったのがとあるレストランでした。そこでは店員さんが涼しい空間で女性と楽しそうに話している光景が広がっていて、森下さんの胸に一つの考えが浮かびます。

自分もレストラン経営をしたらモテるんじゃないか

…このモチベーションの出発点、めちゃくちゃ正直でいいですよね(笑)。

さらにタイミングよく、友人から「滋賀においしくておしゃれな飲食店を出してよ」と言われたことで、心が決まります。

「じゃあ、出すわ」と即答した森下さんは、飲食業で独立する夢を胸に東京へ向かうことを決意するのでした。

22歳で上京してニューヨークまで視察した修行時代

「30歳までに滋賀にオシャレな店を出す」。

この目標を周囲にも公言した上で、森下さんは21〜22歳のころ上京します。

東京ではイタリアンレストランを経営する会社に正社員として入社し、約7〜8年間、飲食業の現場でみっちり修行を積みます。

ただの皿洗いや接客スタッフとしてではなく、新規店舗の立ち上げにも関わるなど、経営者視点でのスキルをしっかり吸収していったようです。

修行時代のハイライトが、ニューヨーク・ブルックリンへの視察です。

先輩に連れられて訪れた現地では、なんと4〜5日間で70店舗もの飲食店を回るという強行軍を敢行。

その中で衝撃を受けたのが、アメリカ禁酒法時代から続くスピークイージー(もぐり酒場)スタイルのバーでした。一見すると普通のハンバーガー屋さんの奥に隠し扉があり、パスポートを見せるとその先に広大なバーが広がっていたというのです。

「これを日本でやりたい」。

そのとき森下さんの中で、のちの「THE HIDEAWAY FACTORY」のコンセプトが生まれました。

禁酒法時代のバーを片っ端から調べ、「隠れ家」という概念を軸にしたレストランのビジョンが固まっていきます。この視察体験こそが、森下直哉というブランドの核になったといっても過言ではないですね。

30歳で地元に帰り倉庫レストランを開業

約7〜8年の東京修行を終えた森下さんは、30歳で地元の滋賀県にUターンします。

掲げていた「30歳までに滋賀で店を出す」という目標をきっちり実行したわけです。有言実行、カッコいいですよね。

帰郷後、工事の知識がほぼゼロの状態で、東京時代の仲間2人を引っ張ってきて3人で古い倉庫のリノベーションを開始。

昼夜を問わず作業を続け、約3ヶ月半後に滋賀県栗東市に「THE HIDEAWAY FACTORY」をオープンさせます。

150坪という圧倒的な広さを誇る関西最大級の倉庫レストラン。内装から外装まですべてDIYで仕上げたその空間は、地元の経営者の先輩から「この立地でこのキャパで飲食をやるのはやめておけ」と止められるほどの挑戦でした。

でも森下さんは、反対されればされるほど逆に燃えるタイプ。「人が無理と思うことをやりたくなる」という言葉の通り、これをチャンスと受け取ったのです。

ニューヨーク視察が生んだ「隠れ家倉庫」のコンセプト

あえて駅前や幹線道路沿いを避け、アクセスが不便な場所にお店を構えたのも、禁酒法時代のスピークイージーに倣ったコンセプトの徹底。

店名「THE HIDEAWAY FACTORY」も「隠れ家倉庫」を意味する長ったらしい英名にすることで、「名前を覚えなくていい、あの倉庫の店に行こうと言ってもらえれば」という発想から生まれています。

集客は当初Instagramだけ。それでも連日満席という結果を出し、毎月100万円以上の売り上げを記録する黒字経営を実現しました。

「予想を超えた先には感動がある。感動を人に伝えたくなる」という哲学が、口コミという最強の集客エンジンを生み出したのでしょう。

友人に1500万円を持ち逃げされた転機

成功を収めた倉庫レストランの裏で、森下さんはとんでもない試練を経験しています。

信頼していた友人から「自分にお金を預けてくれたら増やしてあげる」と言われ、1500万円を預けたところ、そのまま持ち逃げされてしまったのです。

この話、知ったとき正直かなりつらかったです。信頼している人間に、しかも1500万円という大金を。正直、読んでいて胸が痛くなりました。

ただ、この事件が森下さんにとって「もっと稼がなければ」という起爆剤になります。

窮地に追い込まれた状況で「工務店を立ち上げる」という決断をした森下さん。

レストランをDIYで一から作り上げた実績から生まれた職人スキルを活かし、アメリカから仕入れたヴィンテージ素材を使ったオシャレな内装工事を手がける事業をスタートさせます。

この工務店事業もまた大成功を収め、森下さんはレストラン・工務店・デザイン・輸入販売と複数の事業を同時に展開する実業家へと成長します。

裏切りがあったからこそ、今の森下直哉がある。悔しいですが、これが事実なんですよね。

森下直哉の昔を調べる人向けの関連情報

森下直哉さんの昔を調べているうちに「他にも気になることが出てきた!」という方のために、幼馴染や昔の写真、タトゥーの話など関連情報もまとめています。

高橋メアリージュンとの幼馴染エピソード

「イケオジ」として注目を集めた森下さんですが、そのSNSが話題になったとき多くの人が驚いたのが、高橋メアリージュンさんとの幼馴染関係です。

高橋メアリージュンさんは、1987年生まれのモデル・女優。雑誌『CanCam』の専属モデルを2004年から2012年まで8年間務め、現在も女優として幅広く活躍している方です。

2人は滋賀県大津市の比叡平地区で育ち、同じ比叡平小学校・皇子山中学校を一緒に卒業した同級生。高橋メアリージュンさん本人がInstagramで「幼馴染」と紹介していることからも、この縁は確かなものです。

森下さんは今でも高橋メアリージュンさんを「メア」と呼ぶ親しい間柄で、大人になってからも2010年のCanCamファッションショーに一緒に参加していたことがmixiの記録から明らかになっています。

さらに、CanCam本誌の企画として幼馴染として誌面を共演するという豪華な機会もあったとのこと。

同い年の美男美女が同じ学校でともに育ち、それぞれの道で活躍し、大人になっても関係が続く。なんかすごくいい話ですよね。

タトゥーをいれたのはいつ頃?きっかけと意味

今や森下さんのトレードマークとなっている全身タトゥー。

でも実は、タトゥーを入れたのは2021年前後と比較的最近のことです。

Instagramの記録をたどると、2020年12月時点ではタトゥーがない状態で、2021年2月には首にタトゥーが入っていた写真が確認されています。つまり、2020年末〜2021年の年明けにかけての時期に入れ始めたとみられています。

それ以前の写真では、タトゥーなし・短髪のすっきりした見た目で、それはそれでとんでもなくカッコいいんですが(笑)。

では、なぜタトゥーを入れることにしたのか。

森下さん自身はその哲学についてこう語っています。「タトゥーがある人は、チャラそう、怖そう、仕事ができなそう、という先入観を持たれがち。でもそのイメージと反対のことを見せられたら、圧倒的にプラスになる」と。

タトゥーはビジネス戦略だった

要するに、タトゥーは「ギャップを作るためのツール」なのです。

見た目でインパクトを与えて人の目を止め、そこから「あれ、話してみると全然違う」「思っていたより親しみやすい」「こんな仕事もできるの?」という驚きを届ける。このギャップこそが、人の記憶に残るブランドを作ると森下さんは考えているのです。

SNSでのバズを振り返ると、「和製ジョニーデップ」「イケオジすぎる」という声とともに「見た目は怖そうなのに話し方が優しい」という声が目立ちました。これはまさに、タトゥー戦略が狙い通りに機能した証拠とも言えますね。

父のToshioもイケオジすぎる

「イケオジ」と呼ばれる森下さんのルーツは、父親にもあるようです。

父の名前はToshioさん。年齢は60代で、TikTokに「60過ぎてからやるかな?普通」と投稿していたことからその年代とみられています。

ToshioさんもSNSで注目されるほどのイケメンで、クリント・イーストウッドに似ているという声も多く上がっているとか。父にして、イケオジ。完全に親子で「イケオジ家系」ですね(笑)。

Toshioさんは若い頃から現場仕事をしていた人物で、電気工務店を経営していました。森下さんが大学中退後に身を寄せたのがこの父親の工務店であり、現場仕事を通じてDIYへの親しみが生まれたのも父の影響でしょう。

現在は、森下さんのビジネスを手伝っている様子も動画に残っており、一緒に看板工事をしている姿が確認されています。大阪・アメ村の洋服屋に一緒に行くなど、今でも仲の良い父子関係が続いています。

父の顔立ちからハーフ疑惑を指摘する声もありますが、真相は明らかになっていません。

THE HIDEAWAY FACTORYの誕生と哲学

THE HIDEAWAY FACTORYは、滋賀県栗東市に位置する150坪の関西最大級の倉庫レストラン&カフェです。

オープンは2017年頃。内装・外装はすべてDIYで仕上げられており、アメリカのヴィンテージ素材をふんだんに取り入れたアメリカンスタイルの空間が特徴です。

コンセプトのベースにあるのは、ニューヨーク・ブルックリン視察で見た禁酒法時代のスピークイージー(隠れ家バー)。「普通のお店の奥に隠し扉があり、見せる人だけに空間が開く」というコンセプトを日本流に展開した店です。

あえて駅から離れた立地を選んだのも、国道沿いを避けて「隠れ家感」を徹底するため。集客はInstagramのみにもかかわらず、オープン以来連日満席を維持し、毎月100万円以上の黒字経営を継続しています。

「予想を超えた先には感動がある」という経営哲学が、口コミという最強の宣伝効果を生み出し続けているのです。

昔はタトゥーなし!若い頃の写真がかっこいい

「タトゥーだらけのイケオジ」というイメージが強い森下さんですが、昔の写真ではタトゥーなし・短髪というすっきりした姿が確認できます。

タトゥーを入れる前のタイプが違うと思われるかもしれませんが、いやいや、昔もかなりカッコいいんです(笑)。

滋賀県のUターン物語サイトに掲載されている若い頃の写真では、現在と比べてシャープでスッキリした印象。タトゥーがない分、顔の造作のよさが際立つような仕上がりになっています。

また、mixiのアーカイブには2010年頃の写真も残っており、当時の服装や雰囲気から、若い頃からファッションへのこだわりが強かったことが伝わってきます。

なお、2024年には著書『僕の魅力の醸し方 仕事はしっかり、好きなことも全力で』(KADOKAWA)を出版。血液型はA型で、趣味はハーレー、DIY、海外買い付けなど、スタイルを体現するような趣味が並んでいます。

タトゥーあり・なしどちらも別の魅力があるのが森下直哉さんの昔と今のギャップで、それがSNSで「和製ジョニーデップ」と呼ばれる所以でもあるでしょう。

森下直哉の昔のまとめ

  • 1987年12月18日、滋賀県大津市の比叡平地区生まれ
  • 幼少期から「問題児」で常に動き回るエネルギッシュな子供だった
  • 出身小学校:大津市立比叡平小学校、中学校:大津市立皇子山中学校
  • 出身高校:滋賀県立堅田高等学校(テニスに打ち込んだ)
  • テニスのスポーツ推薦で大阪の大学に進学するも、単位不足で1年で中退
  • 大学中退後は父・Toshioさんが経営する電気工務店で働き始める
  • 「レストランで働けばモテる」という動機と友人の一言をきっかけに21〜22歳で上京
  • 東京でイタリアンレストラン会社に正社員として7〜8年修行
  • ニューヨーク・ブルックリンで4〜5日間70店舗を視察し、禁酒法時代のバーに感銘を受ける
  • 30歳で滋賀にUターンし、「THE HIDEAWAY FACTORY」を開業
  • 内装は工事素人3人でDIYし3ヶ月半で完成
  • 信頼していた友人に1500万円を持ち逃げされるという試練を経験
  • この事件をきっかけに工務店を設立、こちらも成功
  • 幼馴染は高橋メアリージュン(同じ小中学校出身で同学年)
  • タトゥーは2021年前後から入れ始め、「ギャップ戦略」として意図的に活用
  • 著書『僕の魅力の醸し方 仕事はしっかり、好きなことも全力で』(KADOKAWA)がある

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