きゃりーぱみゅぱみゅさんといえば、原宿カワイイ文化の象徴として世界中から愛されているアーティストですよね。
でも、実はお母さんから「まともでいろ」と言われ続け、毎日最寄り駅のトイレで着替えてから出かけていたって、知っていましたか?
そんな昔のエピソードから中学時代・高校時代の素顔、読者モデルデビュー、中田ヤスタカさんとの出会いまで、きゃりーさんの軌跡を丸ごとお届けします。
・きゃりーぱみゅぱみゅの中学・高校時代の知られざる素顔と本名「桐子」の由来
・読者モデルとしてKERAに初登場した経緯と中田ヤスタカとの出会い
・昔と今で顔が変わったのか整形疑惑の真相と現在の結婚・出産について
きゃりーぱみゅぱみゅの昔のプロフィールと学生時代の素顔
きゃりーぱみゅぱみゅさんといえば、原宿カワイイ文化の象徴として世界中から愛されているアーティストですよね。
でも、今のきゃりーさんからはちょっと想像しにくい、意外な学生時代の素顔があるんです。
ここでは、昔のプロフィールから中学・高校時代のエピソード、歌手デビューに至るまでの道のりを詳しくご紹介します。
昔の基本プロフィールと本名「桐子」の由来
きゃりーぱみゅぱみゅさんの基本プロフィールをおさらいしておきましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1993年1月29日 |
| 出身地 | 東京都西東京市(旧・田無市) |
| 血液型 | B型 |
| 身長 | 158cm |
| 所属事務所 | アソビシステム |
| 正式芸名 | きゃろらいんちゃろんぷろっぷきゃりーぱみゅぱみゅ |
昔から気になっている人も多いのが、本名の下の名前は「桐子(きりこ)」だという事実。
これは2023年10月29日放送の『まつもtoなかい』という番組で、きゃりーさん本人が初めて公表した内容なんです。
本名が公表されるきっかけになったのが、仲の良いPerfumeのあ~ちゃんがInstagramで何度もきゃりーさんのことを本名で呼んでしまっていたこと。
「もういいかな」と思って公表に至ったそうです。
「桐子」という名前には、お母さんが出産した病院の窓から桐の木が見えていたことから、「桐の木のように悪い虫がつかない、元気な子に育ってほしい」という願いが込められているんです。
そして、芸名「きゃりーぱみゅぱみゅ」の誕生も、実はこの本名がルーツ。
「きりこ→きゃりこ→きゃりー」という変遷を経て「きゃりー」というニックネームが生まれました。
そこに、高校時代のブログを開設するにあたって「きゃりーだけじゃ短くて物足らない!」と感じたきゃりーさんが、芸人・八木真澄さんの一発ギャグ「ぱみゅ」をかわいいと思って拝借。
「きゃりーぱみゅぱみゅ」という世界でも珍しい名前が誕生したというわけです。
……なんか、高校生らしい感覚で名前を決めたんだなと思うと、微笑ましくなりますよね。
中学時代は陸上部!ファッションに無縁だった頃の素顔
今や原宿カワイイ文化のアイコンとして世界的に認知されているきゃりーさんですが、実は中学時代は陸上部に所属しており、100m走の短距離が専門だったんです。
これ、知っていた方は少ないんじゃないでしょうか?
きゃりーさんは当時を振り返って「中学生の頃は、陸上部。100m走の種目で、外をよく走っていたから、色は真っ黒でしたね」と語っています。
現在のきゃりーさんのイメージからするとまったく想像できないですよね(笑)。
出身中学校は西東京市内の公立校・田無第一中学校。
西東京市は東京都の西部に位置し、きゃりーさん自身も「西東京ののどかなところで育った」と表現しているように、都心の原宿文化からは縁遠い環境で育ちました。
本人の言葉によると「中3ぐらいまではファッションをわかっていなかった」ということで、服を買うにしても近くのイオンに行く程度。
今のきゃりーさんとのギャップが大きすぎて、思わずクスッとしてしまいます。
この中学時代から、高校進学を機にファッションへの目覚めが訪れることになるのですが、その転換点が実に鮮烈なんですよね。
高校は立川女子高校を選んだ理由
きゃりーぱみゅぱみゅさんが進学した高校は、東京都立川市にある「立川女子高等学校」です。
2008年4月に入学し、2011年3月に卒業しています。
高校を選んだ理由がまた独特で、「制服が可愛かったから。普通の学校と制服の可愛いところのどっちかにしようと思って、女子校にしました」というコメントを残しています。
中学時代はファッションに無縁だったはずなのに、高校選びにはすでに「かわいさ」を基準にしているあたり、いよいよ本来の自分が出始めていたんでしょうね。
高校時代は両親から厳しいルールを課されていました。
具体的には、門限の設定はもちろん、化粧の禁止、携帯電話の使用制限など。特に母親はきゃりーさんのファッションが派手になっていくことをかなり心配していたようです。
高校在学中は、少しずつ原宿系のファッションに傾倒していき、モデル活動も開始することになります。
原宿で目覚めたファッションへの情熱と自分らしさ
「中3ぐらいまではファッションをわかっていなかった」と語るきゃりーさんに転機が訪れたのは、友達と放課後に原宿に行ったこと。
「なんて楽しい場所なんだ!」と衝撃を受けた、とご本人が振り返っています。
この言葉、すごくリアルですよね。
原宿という街は、いわゆる「個性爆発」な服を着た人たちが普通に歩いている場所。近所でそんな格好をしたら目立ちまくるような服装でも、原宿では「カワイイね!」と言ってもらえる世界なんです。
きゃりーさんは元々シャイな性格で、学校では人前で作文を発表するのも「休んでしまいたい」と思うくらい、注目を浴びるのが苦手だったといいます。
また、高校時代は学校にそれほど仲の良い友達がおらず「居場所がない」という感覚もあったと打ち明けています。
でも、自分の好きなファッションを着て注目されることには「いい意味でゾクゾクする感覚を覚えた」と話しています。
ファッションに目覚めてからは、安い古着を探したり、お母さんが昔着ていた80年代のレトロなワンピースを着こなしたりと、今に通じる「面白くてかわいいもの」を見つけることへの情熱が生まれていきました。
高校時代は Tommy february6さんに影響を受け、目玉にリボンが付いているものや歯のブレスレットなどにどハマり。
周りからは「それってカワイイのか?」と思われるようなアイテムでも、「これがカワイイんです!」と言い続けていたそうです。
このころから、きゃりーさんの中に「普通じゃないことを堂々と発信する」という核が育っていたんだろうと思います。
昔の家族との関係と母親の「まともでいろ」の言葉
きゃりーぱみゅぱみゅさんの昔を語るうえで欠かせないのが、家族との葛藤エピソードです。
きゃりーさんは一人っ子。
両親は「私立の高校に入れて、普通に大学に通わせて就職させたい」というオーソドックスな方針を持っていたようです。
ところが、高校生で急にファッションに興味を持って「ぶっ飛んだ世界」に行ってしまったきゃりーさんに、お母さんは「まともでいろ」とめちゃめちゃ言い続けていたというんです。
そりゃ心配しますよね、親御さんの立場からすると。
近所には同じような服装の人もいないし、「頭がおかしくなったんじゃないか」と思うくらいだったとも語っています(笑)。
それで生まれたのが、「家の近所では派手な格好をしない」というルール。
そして、きゃりーさんは最寄り駅のトイレでいつも着替えて出かけていたというエピソードも明かしています。
一方でお父さんはというと、密かにきゃりーさんを応援してくれていたそう。
お母さんがいないときに金髪のウィッグをネット通販で買ってくれて、届いたら届いたでお母さんに怒られる……というやり取りがあったそうです(笑)。
後にきゃりーさん本人は「こうやって取材で話すと”しっかりしてますね””言葉遣いが綺麗ですね”と言われますが、それはお母さんのおかげ。どちらかに偏っていたらグレていたかもしれません」と語っており、厳しかったお母さんへの感謝の気持ちも持っていることが伝わってきます。
遊び心ある父と真面目な母。この二人のバランスが、今のきゃりーぱみゅぱみゅという存在を形作ったのかもしれませんね。
読者モデルとして雑誌KERAに初登場した経緯
きゃりーさんの読者モデルとしての活動は、2009年の秋にファッション雑誌『KERA』のストリートスナップに初登場したことから始まります。
「洋服が大好きで、お気に入りの格好をして原宿に行ったらスナップを撮ってもらえて、それが紙面に載るのが嬉しかった」と当時を振り返っています。
最初は『KERA』に小さく掲載された程度だったそうですが、それでもお母さんと一緒に本屋に買いに行って大感動したというエピソードがとてもかわいいですよね。
その後、専属モデルとしてスカウトされ、『KERA』や『Zipper』などのファッション雑誌を舞台に読者モデルとして本格的に活動していきました。
2010年3月には『HR』創刊第1号のスナップページに掲載され、続く2号では早くも単独表紙を飾るほどの存在感を見せています。
2012年にはオリコンスタイル発表の「好きな読者モデル」ランキングで、当時人気絶頂だった益若つばささんや小森純さんをおさえて1位を獲得するほどの人気を誇るように。
時給700円のファミレスバイトと読者モデル収入
読者モデル時代のきゃりーさんは、並行してファミレスでアルバイトもしていました。
時給はなんと700円程度だったとか。
一方で、読者モデルの仕事は1回あたり5千円ほどの報酬がもらえたそうで、「高校生の私からすると嬉しくって、モデルの仕事もアルバイト感覚でしたね」と当時を語っています。
また、ファッション雑誌『CHOKi CHOKi GiRLS』の表紙に2回登場した際には、原宿駅に自分の表紙が貼られることもあったそうで、お父さんとお母さんと一緒に原宿駅まで見に行ったというほっこりエピソードも残っています。
この頃はまだインターネットも今ほど広がっておらず、誹謗中傷も全然なかった時代。
「でも、ファンの方の声は届くんですよ。幸せですよね」ときゃりーさんは語っています。
読者モデルはセルフプロデュースを求められる世界。メイクさんもスタイリストもいない中で、全部自分でこなしながら「自分のカワイイ見せ方」を磨いていったのが、今のきゃりーさんの強みにつながっているんでしょう。
そしてこの頃、ブログにも積極的に個性を発揮していたきゃりーさん。変顔の写真をブログにアップしたら「あの顔面白いね!」と大反響を呼び、アメブロランキングで芸能人を抜いてしまうほどの人気を誇るようになっていきました。
「これはすごいことになっちゃったぞ」と感じた、と当時を振り返っています。ブログ時代から”バズらせる力”を持っていたんですね。
中田ヤスタカとの出会いと歌手デビューのきっかけ
今や世界的アーティストのきゃりーぱみゅぱみゅさんですが、歌手デビューのきっかけは実に偶然な出会いから始まっています。
きゃりーさんが高校卒業を間近に控えていた頃、進路が未定で「ふらふら」していた時期がありました。
そんな時期に、自身も愛聴していたPerfumeの音楽プロデューサー・中田ヤスタカさんとクラブイベントで偶然出会ったんです。
最初の出会いは原宿スタイルコレクションというイベントで、「CAPSULE好きのおもしろい読者モデルがいる」と紹介されて軽く挨拶した程度だったといいます。
その後、中田ヤスタカさんが主催する10代も入れる昼のクラブイベント「TAKENOKO!!!」に、きゃりーさんがDJとして出演するようになり、交流が深まっていきました。
きゃりーさんが「歌手になりたい」と話していたこと、そして原宿文化の渦中にいるきゃりーさんというキャラクターの面白さが重なり、中田ヤスタカさんプロデュースでのデビューが決まります。
きゃりーさん本人も「中田ヤスタカのプロデュースでなかったら絶対にデビューしていなかった」と語っています。
この出会いがなければ、世界に羽ばたく「きゃりーぱみゅぱみゅ」という存在は生まれていなかったかもしれない。そう思うと、縁というものの不思議さをつくづく感じますよね。
プレデビュー曲「ミラクルオレンジ」
歌手活動の最初の一歩として、2010年3月30日にエイベックス主宰の高校生シンガーによるプレデビュー企画『HIGHSCHOOLSINGER』から「きゃりー」名義で「ミラクルオレンジ」をリリースしています。
このときはまだ「きゃりーぱみゅぱみゅ」という芸名ではなく、「きゃりー」名義での活動。高校生シンガーとしての第一歩でした。
そして2011年5月にワーナーミュージック・ジャパンからのデビューを発表し、8月には満を持してミニアルバム『もしもし原宿』でメジャーデビューを果たします。
PONPONPONが世界的ヒットになるまでの軌跡
きゃりーぱみゅぱみゅさんの名前を世界に広めたのが、なんといっても「PONPONPON」ですよね。
このMVは2011年7月16日にYouTubeで公開されたのですが、公開直後から世界中で大きな反響を呼びました。
「PONPONPON」はメジャーデビューミニアルバム『もしもし原宿』のリード曲として、世界23カ国のiTunes Storeで先行配信。フィンランドとベルギーのエレクトロランキングでは、日本人アーティスト最高位となる首位を獲得するという快挙を達成しています。
日本国内でのテレビ初披露は2011年10月10日の「カミスン!」。当時はまだその奇抜な表現に賛否両論が巻き起こった時代でもありました。余りに斬新すぎて、世間がまだ追いついていなかったんでしょうね。
ただ、その後の快進撃はご存知の通り。
2012年には「CANDY CANDY」のMVがYouTube年間再生回数ランキングで全世界2位(邦楽アーティスト最高位)を獲得。同年のマクロミル調査「ヒットした人物」部門では39%の票を集めてダントツの1位に輝くなど、「PONPONPON」は世界的なJ-POPブームの火付け役となりました。
きゃりーさん本人のブログタイトルが「きゃりーぱみゅぱみゅのウェイウェイブログ」だったことから、中田ヤスタカさんが歌詞に〈うぇいうぇい〉というフレーズを入れたというエピソードも有名ですよね。
昔のブログ活動が楽曲にまで影響を与えているところに、きゃりーさんのセルフプロデュース力を感じます。
きゃりーぱみゅぱみゅの昔を調べる人向けの関連情報
きゃりーぱみゅぱみゅさんの昔を調べる方が気になる情報をまとめてご紹介します。
顔の変化や整形疑惑、現在の結婚生活など、気になるトピックを詳しくチェックしていきましょう。
昔と今で顔が変わった?整形疑惑を検証
きゃりーぱみゅぱみゅさんについてよく見られる検索キーワードの一つが「顔が変わった」「整形」というもの。
昔と今の画像を比較してみると確かに印象が違うように見える……という声は少なくないんです。
変化の要因として多く指摘されているのは以下の点です。
メイクの変化
デビュー当初は目元をアイラインやアイシャドウで思い切り強調する、原宿系らしい派手なメイクが中心でした。現在は年齢に合わせたナチュラル系メイクへと転換しており、この変化が「顔が変わった」という印象を生んでいる可能性が高いです。
年齢による自然な変化
デビュー時は18歳。現在は33歳になり、10年以上の歳月が経過しています。顔の輪郭や表情筋のつき方など、年齢による自然な変化があることも事実です。
整形疑惑については
一部では「涙袋へのヒアルロン酸注入」などの疑惑も指摘されていますが、明確な根拠はなく、本人からの公式コメントもありません。
多くの比較サイトでも「整形というよりメイクや成長の影響が大きい」という見解が多く、きゃりーさんの昔と今の変化はメイクと年齢による自然なものとみる意見が主流です。
2024年に18歳当時の雑誌表紙写真を公開した際には、ファンから「今と変わらなくないですか」「相変わらずの美貌」というコメントが多数寄せられており、昔からかわいいという評価は変わっていません。
18歳の頃の写真が「今と変わらない」と話題に
2024年6月5日、きゃりーぱみゅぱみゅさんが自身のXに、18歳の頃の写真を公開して話題になりました。
「本屋さんにて18歳の私と目が合った、、、!懐かしい~」とつづり、2011年に表紙を飾ったファッション誌『FRUiTS』の写真を投稿したんです。
フードをかぶった金髪ロングの写真と、革ジャンとスカートを組み合わせたコーデの写真が公開されると、ファンからは「やばい懐かしすぎる……」「このときからすでにカリスマの兆しが……」「今も昔もかわいいな」といったコメントが続々と寄せられました。
18歳当時から、すでにカリスマ性があふれていたのがわかりますよね。
当時はまだメジャーデビュー前で、読者モデルとして活動していた時期。それでもこれだけのオーラを放っていたというのは、今思えば必然だったのかもしれません。
現在は葉山奨之と結婚して第一子も誕生
昔の話ばかりになりましたが、現在のきゃりーぱみゅぱみゅさんの状況もチェックしておきましょう。
きゃりーさんは2023年3月21日に、俳優の葉山奨之さんと結婚を発表しました。
葉山さんはきゃりーさんより3歳年下の俳優で、ドラマなどに多数出演しています。
きゃりーさんはかつて「将来30歳くらいまでには結婚したいな」と語っており、その希望通りに30歳での結婚となりました。
そして2024年10月8日には第一子の誕生を発表。
「産まれてきてくれてありがとう」というメッセージとともに報告し、多くのファンから祝福の言葉が届きました。
歴代彼氏はSEKAI NO OWARIのFukase
結婚前にきゃりーぱみゅぱみゅさんと交際していたとして知られているのが、SEKAI NO OWARIのボーカル・深瀬慧さん(Fukase)です。
2013年に交際が報じられ、翌2014年8月頃にFukaseさん自身がTwitter上で認める発言をしたことで、公然の交際関係として知られるようになりました。
その「交際宣言」の時点ですでに2年の交際期間を経ていたことも公表されています。
2014年末の「第56回日本レコード大賞」では、きゃりーさんが優秀作品賞、Fukaseさんが大賞と、揃って受賞するという出来事もありました。
その後お二人は別れ、きゃりーさんは葉山奨之さんと結婚することになります。
昔から現在までの活動まとめ
きゃりーぱみゅぱみゅさんは、学生時代のモデル活動からデビュー、そして現在に至るまで、常に時代の先端を走り続けてきました。
2013年には初のワールドツアー「100%KPP WORLD TOUR」を成功させ、8カ国・13都市・19公演で2万8千人を動員。
2022年にはアメリカ最大規模の音楽フェス「コーチェラ・フェスティバル」への出演を果たすなど、日本のポップカルチャーを世界に発信するアーティストとして確固たる地位を築いています。
音楽活動だけでなく、テレビ番組「世界の何だコレ!?ミステリー」のMCや、NHK Eテレ「u&i」でのパペットキャラクターの声優なども担当。結婚・出産を経た現在も、多方面で精力的に活動を続けています。
昔の「地味で陸上部の中学生」から、世界的なアーティストへ。その変化の軌跡を辿ると、きゃりーぱみゅぱみゅさんの「好き」を追いかけ続けた強さが、すべての原動力だったのだとわかります。
きゃりーぱみゅぱみゅの昔のまとめ
- きゃりーぱみゅぱみゅの本名の下の名前は「桐子」で、2023年10月に本人が公表した
- 出身は東京都西東京市(旧・田無市)で、血液型はB型、身長は158cm
- 中学時代は陸上部に所属し、100m走の短距離が専門だった
- 中3頃まではファッションに無縁で、イオンで服を買う程度の一般的な生徒だった
- 高校は立川女子高等学校に進学し、制服が可愛いという理由で選んだ
- 高校時代は母親から門限・化粧禁止・携帯制限などのルールを課されていた
- 友達と放課後に原宿に行ったことがファッションへの目覚めのきっかけとなった
- 母親に「まともでいろ」と言われ続け、最寄り駅のトイレで着替えてから出かけていた
- 父親は密かに応援しており、金髪ウィッグをネット通販で買ってくれることもあった
- 2009年秋に原宿のストリートスナップで『KERA』に初登場し、専属モデルに抜擢された
- 読者モデル時代はファミレスでアルバイト(時給700円)もしながら活動していた
- 芸名「きゃりーぱみゅぱみゅ」は高校時代に友人からのあだ名「きゃりー」と一発ギャグの「ぱみゅ」を組み合わせて生まれた
- 中田ヤスタカとは原宿のイベントで出会い、クラブイベントを通じて交流が深まりデビューにつながった
- 2011年7月にYouTubeで公開した「PONPONPON」のMVが世界的に注目を集め、23カ国で先行配信された
- 2023年に俳優・葉山奨之と結婚し、2024年10月に第一子が誕生している

