ミラノ・コルティナ五輪スノーボード男子ビッグエアで金メダルを獲得した木村葵来選手。その活躍の裏には、父・木村友浩さんの存在が大きく関わっています。
「葵来(きら)」の名前の由来はガンダムSEED?毎週末の片道3時間半の送迎や、1時間にわたる叱咤激励など、父と子の絆が詰まったエピソードが満載です。
この記事では、木村葵来選手の父親のプロフィールや職業、両親の年齢、弟の活躍まで、気になる情報をまるっとまとめました。
・木村葵来の父・木村友浩さんの人物像や年齢、職業について
・父がスノーボードを始めさせた経緯と毎週末の送迎エピソード
・弟・悠斗の全日本選手権優勝や両親の年齢などの関連情報
木村葵来の父・友浩の人物像と支援エピソード
引用元:X
木村葵来選手の父・友浩さんは、息子のスノーボード人生を幼少期からずっと支え続けてきた存在です。
名前の由来から毎週の練習送迎、そして厳しくも愛のある叱咤激励まで、父と子の絆が詰まったエピソードを詳しく見ていきましょう。
木村葵来のお父さんはどんな人?
木村葵来(きら)選手のお父さんは、木村友浩(ともひろ)さんといいます。2026年2月時点で53歳、岡山市にお住まいの方です。
友浩さん自身もスノーボードを趣味として楽しんでいた方で、実は葵来選手がスノーボードに出会ったきっかけも、お父さんの存在がかなり大きいんですよね。後ほど詳しく触れますが、友浩さんが知人から借りたプロスノーボーダーのビデオが、葵来選手の運命を変えることになります。
「葵来(きら)」の名前に込められた想い
そして注目したいのが「葵来」という名前の由来です。これはお父さんが大好きなアニメ「機動戦士ガンダムSEED」の主人公・キラ・ヤマトから取ったものなんです。報道陣から「アムロ・レイではないんですか?」と聞かれた葵来選手は「確かに」と笑いつつ、「でもカッコいい登場人物。僕も気に入っている」と話していました。ガンダム好きのお父さんが息子の名前にまで想いを込めるあたり、情熱的で愛情深い方だということが伝わってきます。
金メダル確定後のひと言が印象的
ミラノ・コルティナ五輪のビッグエアで金メダルが確定した際、倉敷翠松高校でのパブリックビューイングに参加していた友浩さんは「道具の手入れをしっかりして、次も頑張れ」とコメント。大喜びするのではなく、次のスロープスタイルに向けた実務的なアドバイスを送るところに、お父さんの人柄がよく表れていますよね。
木村葵来の父親の職業や仕事について
木村葵来選手の父・友浩さんの職業や仕事については、現時点で公式に明かされていません。各メディアの報道を確認しても、友浩さんの具体的な勤務先や職種について触れた記事は見当たらない状況です。
ただ、葵来選手の競技活動を幼少期から長年にわたって支え続けてきたことを考えると、相当な時間と費用を捻出してきたことは間違いありません。
スノーボード競技の費用負担は相当なもの
一般的に、スノーボード競技にかかる費用は決して安くありません。用具代だけでもボード・ブーツ・ビンディング・ウエアなどで年間数十万円はかかりますし、リフト代や遠征費、練習施設の利用料なども加わります。ジュニア期から海外遠征が始まると、年間の競技関連費用は数百万円規模になることも珍しくないといわれています。
さらに友浩さんは、中学時代から毎週末に片道3時間半かけて京都府内の練習施設まで車で送迎していたわけですから、ガソリン代や高速道路代、車中泊の費用なども重なっていたはずです。こうした長期的なサポートを実現できていたことから、安定した収入基盤のある仕事に就かれていたのではないかと考えられます。
木村葵来の親がスノボを始めさせた経緯
木村葵来選手がスノーボードに出会ったのは、わずか3歳のときです。ここ、かなりドラマチックなエピソードがあるんですよね。
アンパンマンの棚にあったスノボのビデオ
当時、葵来選手の家にはアンパンマンのビデオがずらりと並ぶ棚がありました。その棚に、お父さんの友浩さんが知人から借りたプロスノーボーダーのビデオが紛れていたんです。保育園から帰ってきた葵来選手は、ビデオをデッキに入れる遊びに夢中だったのですが、あるとき偶然そのスノーボードのビデオが自動再生されました。
画面に映し出されたジャンプ映像にくぎ付けになった葵来選手は、そこから毎日のようにそのビデオを繰り返し見るようになり、「やりたい」と親にせがみ始めたそうです。
まだ早いと思った父の判断
友浩さんは最初「まだ早い」と考え、スキー場ではソリ遊びをさせていました。ところが葵来選手はソリの上に立ってしまったんです。この時点で「この子は普通じゃないぞ」と感じたかもしれませんね。知人から子ども用のボードを譲り受け、3歳で雪上デビュー。リフトに乗れるようになる小学1年までは、ゲレンデの下にお父さんが手作りしたジャンプ台でジャンプを繰り返していたそうです。
親がスノーボードの趣味を持っていたからこそ生まれた出会い。もし友浩さんがあのビデオを借りていなかったら、金メダリスト・木村葵来は生まれていなかったかもしれません。
木村葵来の両親が支えた練習環境
木村葵来選手の競技力を育てたのは、本人の才能や努力はもちろんですが、両親が作り上げた練習環境の影響も非常に大きいです。
中学1年から始まった片道3時間半の送迎
中学1年でプロを目指すと決意した葵来選手に対し、友浩さんは最初「そんな簡単じゃない」と反対したそうです。「どこを目指すんだ」と覚悟をただすと、息子は少し考えて「宇宙一だ」と答えました。この言葉を聞いて、友浩さんは息子の背中を押す決断をします。
そこから始まったのが、毎週末の壮絶なスケジュールです。金曜日の夜に岡山市内の自宅を出発し、片道約3時間半かけて京都府内のジャンプ練習施設へ向かいます。車中泊をして、土曜日は施設の開業時間から閉業時間まで約12時間、日曜日は開業から夕方までみっちり練習。これを毎週繰り返していたというのだから驚きです。
平日も欠かさなかった自主練習
週末の練習だけでなく、平日も手を抜きませんでした。葵来選手は下校後、自転車で近所のスノーボードショップにある箱型の練習施設に通っていたそうです。岡山市南区のスノーボードショップ経営・阿部好広さんは15年以上前から葵来選手と交流があり、「苦手なこともコツコツやる姿をずっと見てきた」と振り返っています。
| 練習スケジュール | 内容 |
|---|---|
| 金曜夜 | 岡山から京都の練習施設へ出発(片道3時間半) |
| 土曜 | 開業~閉業まで約12時間練習 |
| 日曜 | 開業~夕方まで練習、その後岡山へ帰宅 |
| 平日放課後 | 近所のスノーボードショップの練習施設へ |
両親の献身的なサポートがあったからこそ、葵来選手は着実にステップアップしていくことができたんですね。
木村友浩さんが岡山から見届けた金メダル
2026年2月8日(日本時間)、ミラノ・コルティナ冬季五輪スノーボード男子ビッグエア決勝。木村葵来選手が日本人初の金メダルを獲得したその瞬間を、父・友浩さんは岡山県倉敷市で見届けました。
パブリックビューイングでの歓喜
母校・倉敷翠松高校で開かれたパブリックビューイングには、木村選手の両親や教職員ら約50人が集まっていました。1回目の滑走で首位に立った木村選手は、2回目の着地で失敗して4位に後退。会場に緊張が走ります。
迎えた3回目の滑走、「大丈夫だ」との声援が響く中、5回転半を見事に決めて再び首位に浮上。後続選手の得点が伸びず金メダルが確定すると、参加者たちはバルーンをたたいたり、抱き合ったりして喜びを爆発させました。
帰国後「一番話したいのはお父さんお母さん」
帰国した葵来選手は、一番話したい人を聞かれて「僕はお父さんお母さんで」と即答。「イタリアでも連絡は取っていたけど、結果の話はあまりしていないので、直接会ってからメダルを見せて結果の話をしようかなと考えています」と語っていました。
幼少期から二人三脚で歩んできた父と子だからこそ、大事な報告は直接会って伝えたいという気持ちがあったのでしょう。友浩さんにとっても、息子が金メダルを手に帰ってくる瞬間は格別だったに違いありません。
木村葵来の父親が語った叱責と丸刈りの真相
木村葵来選手の競技人生は順風満帆ではありませんでした。大学2年の夏ごろ、ニュージーランドでの練習中に右足首の脛腓靱帯を損傷。思うような結果が出なくなった時期がありました。
父が感じ取った息子の変化
この時期、友浩さんは息子の変化を敏感に感じ取っていたそうです。葵来選手の口から、頻繁に遊びの話題が出るようになっていたのです。生活面の緩みを感じた友浩さんは、1時間にわたって息子を叱ったとされています。
ずっと支えてきた父だからこその厳しい言葉。葵来選手はこの叱責を胸に奮起し、最終3本目で逆転の金メダルを勝ち取ったとき「結果で返せた」と語ったそうです。
「短くしろ、雑念を捨てろ」から生まれた丸刈り
もうひとつ話題になったのが、葵来選手の丸刈りスタイルです。スノーボード選手といえば個性的なヘアスタイルが特徴ですが、葵来選手は2025年末に丸刈りにしました。
これは以前から友浩さんに「短くしろ、雑念を捨てろ」と言われていたことがきっかけです。大学を休学し、五輪に全てを懸ける覚悟を決めた葵来選手は、リビーニョ入り後も選手村でさらに2ミリメートル短く刈り込んで気合を入れたそうです。本人は「やってみたら過ごしやすいし、結構気に入っている」と笑顔で語っていました。
父からの叱咤激励がなければ、ミラノの頂点に立つことはできなかったかもしれません。厳しさの裏にある深い愛情を、葵来選手自身もよく理解しているのでしょう。
木村葵来の父を調べる人向けの関連情報
木村葵来選手の父・友浩さんについて調べている方は、葵来選手本人のプロフィールや家族構成も気になるところですよね。ここからは、両親の年齢や学歴、身体的特徴、さらに弟の活躍まで、関連する情報をまとめてお届けします。
木村葵来の両親は何歳?父と母の年齢まとめ
木村葵来選手の両親の年齢は、ミラノ・コルティナ五輪の報道で明らかになっています。
| 家族 | 名前 | 年齢(2026年2月時点) |
|---|---|---|
| 父 | 木村友浩さん | 53歳 |
| 母 | 木村利美さん | 44歳 |
| 本人 | 木村葵来選手 | 21歳 |
お父さんの友浩さんは53歳、お母さんの利美さんは44歳ということで、9歳差のご夫婦なんですね。葵来選手は2004年6月30日生まれの21歳ですから、友浩さんが32歳、利美さんが23歳のときに生まれた計算になります。
母・利美さんは金メダル確定後に「優勝したという実感がまだない。多くの応援が彼のパワーになったと思う」とコメント。父・友浩さんの「道具の手入れをしっかりして、次も頑張れ」という言葉とは対照的に、喜びと感謝を素直に表現されていたのが印象的です。
両親ともに息子の活躍をずっと近くで見守り続けてきた存在であり、それぞれの形で葵来選手を支えてきたことが伝わってきます。
木村葵来の高校は倉敷翠松高校
木村葵来選手の出身高校は、岡山県倉敷市にある倉敷翠松高校です。
母校に掲げられた祝福の懸垂幕
金メダル獲得後の2026年2月14日には、同校の校舎に木村選手の功績をたたえる懸垂幕が掲げられました。約70人の在校生が立ち会い、卒業生の偉業をかみしめていたそうです。
在校生からは「最後の3日目で決め切ってすごかった。自分が通っている学校から金メダリストが出てとてもすごいと思った」という声が上がりました。天野洋祐校長も「高校時代も次々と大会で結果を残し始めていたので、将来への期待を感じていた」と振り返っています。
高校時代から芽生えた競技者としての才能
葵来選手の学歴を整理すると以下の通りです。
| 学校 | 所在地 |
|---|---|
| 岡山市立吉備小学校 | 岡山県岡山市 |
| 岡山市立吉備中学校 | 岡山県岡山市 |
| 倉敷翠松高等学校 | 岡山県倉敷市 |
| 中京大学(休学中) | 愛知県豊田市 |
高校時代には既に大会で結果を残し始めており、競技活動への理解が深い中京大学に進学する頃にはワールドカップで表彰台に乗れるレベルに成長していました。倉敷翠松高校は葵来選手の競技人生における大事なステップだったといえるでしょう。
木村葵来の中学校は岡山市立吉備中学校
木村葵来選手が通っていた中学校は、岡山市にある岡山市立吉備中学校です。小学校も同じ学区の岡山市立吉備小学校に通っていました。
プロを目指す決意を固めた中学1年
中学生時代は葵来選手にとって大きなターニングポイントでした。2014年のソチ五輪で活躍する国内外のトップライダーをテレビで見たことがきっかけで、中学1年から本格的にビッグエアの競技に取り組み始めます。
それまでは体操教室にも通っていましたが、プロを目指すと決めてからはスノーボード一筋に。小学校入学前から続けていた体操教室もやめて、すべての時間をスノーボードに費やすようになりました。
「宇宙一になる」と父に宣言
先ほども触れた通り、中学1年のある日、プロになると決意した葵来選手に対して父・友浩さんは「どこを目指す」と問いました。そのとき搾り出した答えが「宇宙一だ」。この壮大な宣言をきっかけに、毎週末の京都遠征が始まることになります。
遊びもほかのやりたいことも諦め、スノーボードだけに集中する生活。中学生にとっては大きな犠牲ですが、「それでもやる」と言い切った葵来選手の覚悟と、それを全力で支えると決めた友浩さんの決断が、のちの金メダルにつながっていきます。
木村葵来の身長は166cmで体操経験も
木村葵来選手の身長は166cmです。スノーボード選手としては小柄な部類に入りますが、その身体能力は「フィジカルモンスター」と評されるほどの高さを誇ります。
幼少期の体操が生んだ空中感覚
葵来選手は幼少期から中学入学まで体操教室に通っていました。この経験が空間認知能力を大きく高め、スノーボードのジャンプ競技に活きているんですよね。本人も「空中で今自分がどこにいるのか把握できるし、テイクオフでミスってしまっても、うまいこと体で持っていける」と語っています。今でも陸上で軽々とバク宙ができるほどの身体能力です。
けがを経て肉体改造に着手
2024年夏、ニュージーランドで右足首の脛腓靱帯を損傷するけがを負った葵来選手は、今シーズンに向けて本格的な肉体改造に取り組みました。パーソナルトレーナーをつけ、臀部などの筋力を強化。以前は自重のみだった筋力トレーニングに重りを加えました。さらに岡山の整骨院で体の連動を学び、ジャンプの精度を高めていきました。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 身長 | 166cm |
| 生年月日 | 2004年6月30日 |
| 出身地 | 岡山県岡山市 |
| 所属 | ムラサキスポーツ |
| 大学 | 中京大学(休学中) |
| 特技 | バク宙(体操経験あり) |
166cmという小柄な体格ながら、W杯で総合優勝を果たし、五輪で金メダルを獲得するまでに至った背景には、体操で培った空間認知能力とたゆまぬ肉体改造の努力があったんですね。
木村葵来の弟・悠斗もビッグエア選手
木村葵来選手には弟がいます。木村悠斗(ゆうと)選手、17歳です。実は悠斗選手もスノーボード・ビッグエアの選手として活躍しているんですよね。
全日本選手権で兄を破って優勝
2026年2月26日に福島県磐梯町のネコママウンテンで行われたスノーボード・ビッグエアの全日本選手権で、弟・悠斗選手が見事優勝を果たしました。しかも、兄でありオリンピック金メダリストの葵来選手を抑えての頂点です。
| 順位 | 選手名 | 合計得点 |
|---|---|---|
| 優勝 | 木村悠斗 | 174.00 |
| 2位 | 木村葵来 | 173.33 |
| 3位 | 木俣椋真 | 169.00 |
悠斗選手は決勝1本目と2本目でともに87.00点を獲得し、合計174.00点をマーク。一方の葵来選手は1本目こそ19.00点にとどまりましたが、2本目で90.33点、3本目で83.00点を記録して合計173.33点。わずか0.67点差で弟が兄を上回るという劇的な結果になりました。
木村家はスノーボード一家
兄弟そろってビッグエアのトップ選手という木村家。お父さんの友浩さんが趣味のスノーボードをきっかけに葵来選手を育てたように、弟の悠斗選手もその環境の中で自然とスノーボードの道に進んだのでしょう。17歳で全日本チャンピオンに輝いた悠斗選手の今後の成長にも大きな期待がかかります。
将来的に兄弟でオリンピックの舞台に立つ姿を見られるかもしれませんね。
木村葵来の父についてのまとめ
- 木村葵来の父は木村友浩さん、53歳(2026年2月時点)で岡山市在住
- 母は木村利美さん、44歳
- 「葵来(きら)」の名前は父が好きなガンダムSEEDのキラ・ヤマトが由来
- 父の職業や仕事は公式には非公開
- 父が借りたスノーボードのビデオを3歳の葵来が偶然見てスノボに興味を持った
- 中学1年でプロを目指すと決意し父に「宇宙一になる」と宣言
- 父は毎週末、岡山から片道3時間半の京都の練習施設まで送迎
- 金曜夜出発で車中泊、土日は開業から閉業までみっちり練習
- 結果が出ない時期に父が1時間にわたり叱責、生活面の緩みを指摘
- 「短くしろ、雑念を捨てろ」という父の言葉で丸刈りを決断
- ミラノ五輪の金メダルを母校のパブリックビューイングで両親が見届けた
- 父のコメントは「道具の手入れをしっかりして、次も頑張れ」
- 帰国後の葵来は「一番話したいのはお父さんお母さん」と即答
- 弟・悠斗も17歳でビッグエア全日本チャンピオンに輝いた
- 木村家は父の趣味をきっかけに兄弟揃ってトップ選手に成長したスノーボード一家


