猪口邦子の祖父・横田昇一は著作権に貢献した実業家!祖母は歌人の横田葉子

猪口邦子の祖父・横田昇一は著作権に貢献した実業家!祖母は歌人の横田葉子

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猪口邦子さんの祖父がどんな人物だったのか、気になっている方も多いのではないでしょうか。

猪口邦子さんの祖父・横田昇一さんは、雑誌『蓄音器世界』を発刊し日本の著作権制度の整備に貢献した実業家でした。

この記事では祖父・横田昇一さんの功績から、歌人だった祖母・横田葉子さん、父・横田偉一さんの経歴、さらに旦那さんや火事の詳細まで猪口邦子さんの家族を徹底的にまとめています。

この記事を読むとわかること
・猪口邦子の祖父・横田昇一の実業家としての功績と著作権への貢献
・祖母・横田葉子が若山牧水に師事した歌人だったこと
・父・横田偉一の経歴や旦那・猪口孝との結婚、火事の詳細

猪口邦子の祖父・横田昇一と華麗な家系

猪口邦子さんの祖父や家族のルーツが気になっている方は多いのではないでしょうか。

ここでは、祖父・横田昇一さんの実業家としての功績から、歌人だった祖母・横田葉子さん、そして父・横田偉一さんの経歴まで、猪口邦子さんの華麗な家系を詳しくご紹介します。

祖父・横田昇一は著作権制度に貢献した実業家

猪口邦子さんの祖父にあたるのが、横田昇一さんです。

横田昇一さんは実業家として活躍した人物で、雑誌『蓄音器世界』を発刊したことで知られています。

蓄音器世界というのは、当時の音楽メディアである蓄音機に関する専門誌ですね。

昇一さんはこの雑誌の発刊を通じて、日本における著作権制度の保護・整備に大きく貢献しました。

明治から大正にかけての日本では、音楽や文学の著作権をめぐる法整備がまだ十分ではありませんでした。

そうした時代に著作権の重要性を訴え、制度の確立に力を尽くした昇一さんの功績は、日本の文化産業の発展に大きな影響を与えたといえるでしょう。

また、昇一さんは蓄音機の輸入販売も手がけていたとされ、文化事業と実業の両面で活躍していたことがうかがえます。

大正12年(1923年)に歌人の横田葉子さんと結婚し、長男の偉一さん(後の猪口邦子さんの父親)が誕生しています。

昇一さんは文化に対する深い理解と先見性を持った実業家であり、その知的な気質は孫の猪口邦子さんにも確実に受け継がれているといえますね。

祖母・横田葉子は若山牧水に師事した女流歌人

猪口邦子さんの祖母にあたるのが、横田葉子さんです。

横田葉子さんは明治23年(1889年)に千葉県大多喜町市川の高橋家に生まれました。

本名は「満ん」といい、はじめ「眉葉」と号し、後に「葉子」と改めています。

地元の板谷尋常小学校と西畑尋常高等小学校を卒業した後、夷隅女子教員養成所を修了しました。

その後、千葉県女子師範学校に入学しましたが、視力低下のため中退。

帰郷してからは老川小学校や西畑小学校で代用教員として教壇に立ちました。

この頃、高橋徹さん、吉野仁吉さん、市原蒼生さんらと「西畑短歌会」を結成し、歌の研究に励んでいます。

葉子さんの歌人としての才能が大きく開花したのは、尾上柴舟と若山牧水に師事したことがきっかけでした。

若山牧水といえば、「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」などの名歌で知られる明治・大正期を代表する歌人ですよね。

その牧水から「異色ある女流歌人」として賞賛されたというのですから、葉子さんの歌の実力は相当なものだったことがわかります。

項目内容
本名満ん
眉葉→葉子
生年明治23年(1889年)
出身地千葉県大多喜町市川
師事した歌人尾上柴舟、若山牧水
結婚大正12年(1923年)に横田昇一と結婚
没年昭和11年(1936年)享年46歳

しかし残念なことに、葉子さんは昭和11年(1936年)に交通事故により亡くなってしまいます。

享年46歳という若さでの死は、多くの人に惜しまれました。

現在、千葉県大多喜町の大多喜西小学校正門脇には葉子さんの歌碑が建てられており、ふるさとを愛し詠んだ歌が今も大切に受け継がれています。

歌誌「草の実」の創刊と「声の文庫の会」の活動

横田葉子さんの文学活動はさらに広がりを見せます。

大正14年(1925年)には、女流歌人の川上小夜子さん、長岡とみ子さん、北見志保子さん、水町京子さん、川口千香枝さんらとともに歌誌「草の実」を創刊しました。

葉子さんは後にこの歌誌の編集発行人となり、女流歌人の活動の場を広げることに尽力しています。

さらに「声の文庫の会」を創設し、詩歌人の肉声による記録を後世に伝えようという先駆的な取り組みも行っていました。

これは現在でいう「オーラルヒストリー」に近い発想で、当時としては非常に画期的な活動だったといえるでしょう。

父・横田偉一は東京海上火災の元サンパウロ支店長

猪口邦子さんの父親は横田偉一さんです。

横田偉一さんは1924年9月生まれで、2024年11月時点では100歳を迎えていらっしゃいました。

偉一さんは一橋大学を卒業後、東京海上火災保険(現在の東京海上日動火災保険)に入社しています。

東京海上火災保険といえば、日本を代表する損害保険会社ですよね。

偉一さんはそこでキャリアを積み、1962年から1967年の5年間にわたりブラジル・サンパウロの支店長を務めました。

項目内容
名前横田偉一
生年月1924年9月
学歴一橋大学卒
勤務先東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)
海外赴任ブラジル・サンパウロ支店長(1962年〜1967年)
その後の役職日本損害保険代理業協会 専務理事
家族妻・久江、長女・猪口邦子、次女、三女

この海外赴任は猪口邦子さんの人生に大きな影響を与えています。

猪口邦子さんは小学4年生から中学2年生の頃まで、家族5人(父・母・猪口邦子さん・妹2人)でブラジルに渡り、サンパウロ日本人学校やアメリカンスクールに通いました。

幼少期に海外生活を経験したことが、後に国際政治学者となり、軍縮会議の日本政府特命全権大使を務めるまでになった猪口邦子さんのグローバルな視野を育んだのかもしれませんね。

帰国後、偉一さんは日本損害保険代理業協会(日本代協)の専務理事を務めています。

また、偉一さんは本が好きで、幼少期の猪口邦子さんによく本を読み聞かせてくれたそうです。

日曜日には駅近くの本屋に連れていき、次に読む本を1冊買ってくれるのが日課だったとか。

猪口邦子さんが学者の道に進んだのは、読書家だった父親の影響が大きかったのでしょう。

母・横田久江と2人の妹について

猪口邦子さんの母親は横田久江さんといいます。

残念ながら、久江さんは2022年6月27日に92歳で亡くなられています。

猪口邦子さんには妹が2人おり、3人姉妹の長女として育ちました。

妹のうちの1人、斎藤久代さんは猪口邦子さんの秘書を務めていることが知られています。

家族の絆の強さがうかがえるエピソードですね。

家系図で見る横田家と猪口家のつながり

猪口邦子さんの家系図を整理すると、横田家と猪口家の知的な系譜がよくわかります。

世代人物職業・役職
祖父横田昇一実業家(蓄音器世界発刊、著作権制度に貢献)
祖母横田葉子歌人(若山牧水の弟子)
横田偉一東京海上火災保険サンパウロ支店長
横田久江
本人猪口邦子参議院議員・上智大学名誉教授
猪口孝東京大学名誉教授・新潟県立大学元学長
長女・次女(双子)非公表

祖父・横田昇一さんは著作権制度の整備に貢献した実業家、祖母・横田葉子さんは若山牧水に師事した女流歌人という、文化と実業の両方に秀でた家系であることがわかりますね。

父・横田偉一さんは一橋大学を出て東京海上火災保険のサンパウロ支店長を務めたエリートビジネスマン。

そして猪口邦子さん自身は上智大学からイェール大学大学院に進み国際政治学者となり、夫の猪口孝さんは東京大学名誉教授。

横田家と猪口家は、まさに学者と実業家が融合した華麗な一族といえるでしょう。

祖父母から受け継いだ知的な家風

猪口邦子さんの知的な経歴の原点をたどると、祖父母の存在にたどり着きます。

祖父・横田昇一さんが文化事業と実業を通じて社会に貢献し、祖母・横田葉子さんが歌人として文学の世界で活躍した。

この「知と文化を大切にする家風」は、父・横田偉一さんの読書好きな性格にも表れていますし、猪口邦子さんが国際政治学という学問の道に進んだことにもつながっています。

猪口邦子さんは1972年にNHK「青年の主張」で全国最優秀賞(文部大臣賞)を受賞していますが、これは20歳の時のことです。

若くして全国の舞台で認められた猪口邦子さんの知性と表現力は、祖父母から脈々と受け継がれてきたものだったのかもしれませんね。

また、祖母の横田葉子さんが「声の文庫の会」で詩歌人の肉声を記録しようとしたように、記録を残し後世に伝えることへの使命感は、学者として多くの論文や著書を残した猪口邦子さんの姿勢とも通じるものがあります。

猪口邦子の祖父を調べる人向けの関連情報

猪口邦子さんの家族について調べている方は、祖父だけでなく旦那さんや子供のことも気になっていることが多いです。

ここでは、猪口邦子さんの夫・猪口孝さんや双子の娘さん、さらに若い頃のエピソードや近年の火事の出来事まで、幅広くお伝えしていきます。

旦那の猪口孝は東大名誉教授の政治学者

猪口邦子さんの旦那さんは、国際政治学者の猪口孝さんです。

猪口孝さんは1944年1月17日に新潟県新潟市で生まれました。

東京大学教養学部を卒業後、同大学院社会学研究科の修士課程を修了。

さらにアメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)大学院で政治学の博士号を取得しています。

項目内容
名前猪口孝(いのぐち たかし)
生年月日1944年1月17日
出身地新潟県新潟市
学歴東京大学教養学部卒→同大学院修士→MIT博士
主な経歴東京大学教授→東大名誉教授→新潟県立大学学長
語学力英語、中国語、韓国語、ロシア語、ドイツ語、フランス語
受賞歴サントリー学芸賞、瑞宝中綬章

猪口孝さんは英語はもちろん、中国語、韓国語、ロシア語、ドイツ語、フランス語など多言語に堪能な国際派の学者でした。

1988年に東京大学東洋文化研究所の教授に就任し、定年まで務めて名誉教授の称号を得ています。

1982年の著書『国際政治経済の構図』はサントリー学芸賞を受賞しました。

2023年には秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章しています。

猪口邦子さんと猪口孝さんは1976年に結婚しました。

当時、猪口邦子さんは24歳、猪口孝さんは32歳でした。

出会いのきっかけは、猪口孝さんが上智大学外国語学部で助手を務めていた時期に、同じ上智大学の猪口邦子さんと知り合ったとみられています。

結婚のわずか1ヶ月後、猪口邦子さんはアメリカのイェール大学に単身留学しています。

妻の留学を快く後押しした猪口孝さんは、当時としては非常に先進的な考えを持った夫だったといえますね。

「学生の間に2トンの本を読もう」という名言を残しており、学問に対する情熱がうかがえます。

新潟県立大学の初代学長としての功績

猪口孝さんは2009年に開学した新潟県立大学の初代学長に就任し、2017年まで8年間にわたりその職を務めました。

国際関係論を専門とする学識を活かし、大学のグローバル化や研究環境の充実に尽力しています。

また、英文の学術雑誌を複数創刊するなど、日本の政治学研究を国際的に発信する基盤を築きました。

双子の娘は1991年生まれ

猪口邦子さんと猪口孝さんの間には、1991年生まれの双子の娘さんがいます。

2024年時点で33歳になりますね。

娘さんたちの名前や職業については公表されていません。

猪口邦子さんは国会議員として多忙な日々を送りながらも、子育てにはしっかり向き合っていたことが知られています。

朝は6時前に起床し、娘さんたちの朝食とお弁当を準備してから、7時30分頃に家を出るという生活を送っていたそうです。

政治家として、学者として、そして母親としての三足のわらじを履きこなしていたのは本当にすごいことですよね。

若い頃の経歴と華やかな学歴

猪口邦子さんの若い頃の経歴は、まさに華やかのひと言です。

千葉県市川市に生まれ、市川市立八幡小学校に入学しましたが、先述の通り父親の海外赴任に伴い小学4年生でブラジルへ。

帰国後は名門・桜蔭中学校・高等学校に入学しています。

桜蔭は東大合格者数で女子校トップを誇る超進学校として知られていますよね。

さらにアメリカ・マサチューセッツ州のコンコードアカデミー高校にも留学。

上智大学外国語学部を1975年に卒業した後、イェール大学大学院政治学研究科に進学し、1982年に政治学の博士号(Ph.D.)を取得しました。

時期経歴
1952年千葉県市川市に生まれる
小4〜中2ブラジル・サンパウロで海外生活
中学〜高校桜蔭中学校・高等学校
高校時代米コンコードアカデミー高校に留学
1975年上智大学外国語学部卒業
1976年猪口孝さんと結婚、直後にイェール大学へ留学
1982年イェール大学で政治学博士号取得、上智大学助教授
1983年ハーバード大学国際問題研究所客員研究員
1990年上智大学教授
2002年軍縮会議日本政府代表部特命全権大使
2005年衆議院議員当選、内閣府特命担当大臣就任
2010年参議院議員当選(以降3期連続)

1972年、20歳の時にNHK「青年の主張」で全国最優秀賞(文部大臣賞)を受賞。

1989年には読売新聞の吉野作造賞、2003年にはエイボン女性年度賞を受賞するなど、学者として数々の栄誉に輝いています。

2002年から2004年には軍縮会議日本政府代表部の特命全権大使を務め、2005年には衆議院議員に初当選。

第3次小泉改造内閣では内閣府特命担当大臣(少子化・男女共同参画担当)に就任しました。

若い頃から国際的な舞台で活躍してきた猪口邦子さんのキャリアは、祖父母から受け継いだ知的な資質と、幼少期の海外経験が大きく影響していると感じますね。

自宅マンションの火事で夫と長女が死亡

2024年11月27日午後7時10分頃、猪口邦子さんの自宅がある東京都文京区の6階建てマンションの最上階から火災が発生しました。

火災により約150平方メートルが全焼し、夫の猪口孝さん(80歳)と長女(33歳)が亡くなるという痛ましい出来事となりました。

死因は2人とも焼死と発表されています。

猪口邦子さんと次女は当時外出中だったため無事でした。

猪口邦子さんは事務所で仕事をしていたとのことです。

この火災では、近隣住民から「バルコニーの角に人が手を振って、助けを求めていた」という目撃証言も報じられています。

また、火災時にマンション屋上付近でペットボトルのようなものを持った人影が撮影された映像が一部メディアで放送され、物議を醸しました。

ただし、この人影については専門家から「火災の最盛期で推定800度〜1200度に達する環境では動き回れるような状況ではない」との指摘があり、映像の真偽については結論が出ていません。

猪口孝さんとの結婚生活は約48年間にわたりました。

猪口邦子さんは以前、「政界はジャングルですが、家庭は温かい草原なんです」と語っていたとされ、家庭を大切にしていた様子がうかがえます。

火事の原因は失火の可能性が高い

猪口邦子さんの自宅火災の出火原因については、特定には至っていないものの、事件性はなく失火とみられています。

警察の調査によると、特に燃え方が激しかった応接室が出火元とみられています。

室内にはストーブがなく、ライターなどの着火物も発見されませんでした。

さらに、外部から人が侵入した形跡や、室内に油をまいた跡も確認されていません。

これらの状況から、電気火災の可能性も視野に入れた調査が行われています。

また、マンション最上階という特殊な住戸構造が消火活動を困難にしたとの専門家の指摘もあります。

一般的なマンション住戸と異なる構造が、消火作業の障害になった可能性が報じられています。

現在は国会審議に復帰して活動中

猪口邦子さんは、自宅火災で夫と長女を失うという大きな悲しみの中、2024年12月17日に国会審議に復帰しました。

火災からわずか約3週間後の復帰ということで、その強い責任感に敬意を表する声が多く上がっています。

自由民主党の参議院議員として3期目を務めている猪口邦子さんは、2025年10月には参議院環境委員会の委員長に就任しています。

2024年9月の自民党総裁選では高市早苗さんを支持し、2025年の総裁選では小林鷹之さんを支持するなど、党内での活動も精力的に続けています。

悲劇を乗り越えて国政に取り組む猪口邦子さんの姿に、多くの国民が心を打たれているのではないでしょうか。

猪口邦子の祖父のまとめ

  • 猪口邦子の祖父は実業家の横田昇一で、雑誌『蓄音器世界』を発刊した
  • 横田昇一は日本の著作権制度の保護・整備に大きく貢献した人物
  • 祖母の横田葉子は千葉県大多喜町出身の女流歌人
  • 横田葉子は若山牧水に師事し「異色ある女流歌人」と賞賛された
  • 大正14年に歌誌「草の実」を創刊し編集発行人を務めた
  • 横田葉子は昭和11年に交通事故で死去、享年46歳
  • 大多喜西小学校には横田葉子の歌碑が建てられている
  • 父・横田偉一は一橋大学卒で東京海上火災保険に勤務
  • 横田偉一は1962年〜1967年にブラジル・サンパウロ支店長を務めた
  • 猪口邦子は小4〜中2まで家族5人でブラジルに住んでいた
  • 夫の猪口孝は東京大学名誉教授の国際政治学者
  • 猪口孝は多言語に堪能で新潟県立大学の初代学長も歴任
  • 子供は1991年生まれの双子の娘
  • 2024年11月の自宅火災で夫と長女が死亡、原因は失火の可能性
  • 火災後約3週間で国会審議に復帰し現在も参議院議員として活動中

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