大河ドラマ『べらぼう』や『相棒』でおなじみの俳優・矢野聖人さん。落ち着いた雰囲気の役が多い方ですが、その原点に「父親のギター」があったことはあまり知られていません。
しかも、そのギターとの出会いは決して甘いものではなかったんです。矢野さん自身が「すごく怖かった」と振り返るほどのエピソードが残っています。
父親がどんな人で、幼い矢野さんに何を教えようとしていたのか。知ると、矢野さんの人物像が少し違って見えてきますよ。
・矢野聖人の父親がどんな人物で、何を目指していたのか
・小学校低学年で受けたギター指導と、そこから遠ざかった理由
・家族構成や実家など、父親のまわりで公表されている情報の範囲
矢野聖人の父親はプロを目指したギター弾き
矢野聖人さんの父親について、まとまった形で語られている場所はほとんどありません。
ただ一つだけ、本人が具体的に語った音楽メディアのインタビューがあります。ここが父親像を知るうえでの中心になりますよ。
父親の名前や職業は公表されていない
まず結論から書いておきます。矢野聖人さんの父親の名前・年齢・職業は、いずれも公表されていません。
所属事務所であるホリプロの公式プロフィールにも、Wikipediaにも、家族に関する記載は一切ありません。
公式に出ているのは、生年月日が1991年12月16日であること、出身が東京都であること、身長174cm、血液型B型、趣味・特技が料理と陶芸とボクシング、というところまで。家族欄そのものが存在しないんですね。
矢野さんの家族について書いているまとめ系のサイトもいくつかあるのですが、そのどれもが「父親についての情報は明かされていないためわかりませんでした」「父親や母親の職業などもわかりませんでした」と、はっきり書いています。
つまり、探した人が探したうえで見つからなかった、ということですね。
父親は一般人とみられる理由
この状況から考えると、父親は芸能界とは関係のない一般の方である可能性が高いと見ていいと思います。
俳優やミュージシャンの二世であれば、デビュー時点で「〇〇の息子」という形で必ず報じられます。事務所側もプロフィールに書きますし、それ自体が売り出しの材料になりますから。
矢野さんの場合はデビューから15年以上経っても一切そうした情報が出ていません。ここは素直に「一般の方だから出ていない」と受け取るのが自然かなと思います。
ですので、この記事でも氏名や勤務先といった個人が特定できる情報は扱いません。あくまで矢野さん本人が公の場で語った範囲だけを追っていきますね。
父はプロを目指し音楽の専門学校に通っていた
では、その「本人が語った範囲」に何があるのか。ここがこの記事の核心です。
2018年11月17日に音楽メディアのvois(当時のMusicVoice)に掲載されたインタビューで、矢野さんは父親についてこう語っています。
「僕の父がずっとギターをやっていて。最初はプロを目指して音楽の専門学校に行っていたらしいんです。」
父親はギターでプロを目指し、実際に音楽の専門学校まで進んでいたということですね。
「ずっとギターをやっていて」という言い方からすると、専門学校を出たあとも趣味として弾き続けていたことがうかがえます。
ここ、けっこう驚きませんでしたか。俳優の家庭というと、なんとなく芸能とは無縁の会社員家庭を想像しがちですけど、矢野家はむしろ音楽がかなり近くにあった家だったわけです。
ただし、その後プロのギタリストとして活動したかどうかまでは語られていません。矢野さん自身も「らしいんです」と伝聞の形で話しているので、そのあたりは家庭内でも詳しく共有されていなかったのかもしれませんね。
小学校低学年でギターを教わった日々
父親がギター経験者なら、当然のように息子にも教えたくなります。実際、矢野さんも幼いころに父親からギターを習っています。
時期は小学校低学年。矢野さんはこう振り返っています。
「小学校低学年の頃に、本気でやらせようと思ったのかわからないけど、教えてもらったことがあって、やっぱりその頃は手も小さいし、なかなか弾けないんです。」
ギターを触ったことがある方ならわかると思うのですが、あの楽器は手の大きさがそのまま難易度に直結します。
小学校低学年、つまり6〜8歳くらいの手では、大人サイズのギターでコードを押さえるのは物理的にかなり厳しいんですよね。指が届かない、弦が硬い、音が鳴らない。この三重苦です。
「本気でやらせようと思ったのかわからないけど」という言い方に、当時の矢野さんが父親の意図を測りかねていた様子がにじんでいる気がします。
「何でできないんだ」と叱られ遠ざかったギター
そして、このエピソードには続きがあります。ここが一番きつい部分です。
矢野さんの言葉をそのまま引くと、こうです。
「でもそれをすぐ怒るんです『こんな簡単なこと、何でできないんだ!?』って」
そして、こう締めています。
「昔、父にギターを教えてもらったことがあったんですけど、それがすごく怖かったのでそこから遠ざかったんです」
……これは、正直きつかったでしょうね。
弾けるようになりたくて手を伸ばした先で、いちばん近い大人から「こんな簡単なこと」と言われてしまったわけですから。
父親のギター指導が怖かったこと。それが、矢野聖人さんがギターから遠ざかった理由です。
ただ、少しだけ父親の側に立ってみると、見え方も変わります。
自分がプロを目指して専門学校まで行った楽器です。自分にとっては本当に「簡単なこと」だったのでしょうし、息子にできない理由が実感としてわからなかったのかもしれません。
できる人ほど、できない人の詰まりどころが見えなくなる。よくある話ですよね。
もちろんだからといって幼い子どもが怖い思いをしていい理由にはならないのですが、悪意があってのことではなかったんだろうな、とは思います。
家に洋楽とジャズが流れていた家庭環境
ギターの指導は苦い思い出になりましたが、家庭全体としては音楽がとても身近な環境だったようです。
矢野さんは両親についてこう語っています。
「うちの両親もわりと洋楽が好きだったので。あとジャズなんかは、土日になると家に掛かっているような感じで。」
父親だけでなく両親そろって洋楽好きで、週末になると家の中にジャズが流れている。そういう家だったんですね。
具体的に挙げられているアーティストは、カーペンターズとバックストリート・ボーイズ。それにジャズ全般です。
矢野さん本人も「小学生のときからジャズとかカーペンターズ、洋楽とかを聴いていて」と話しています。
興味深いのは、その聴き方についての表現です。矢野さんは自分と音楽の関係を「自分から聴くというよりは自然に耳に入ってくるというか」と言い、音楽は「生活の一部」だと表現しています。
能動的に好きになったのではなく、気づいたらそこにあった。矢野聖人さんにとっての音楽は、父親が持ち込んだ生活の一部だったということですね。
ピアノやサックスも勧められた習い事
矢野家の音楽推しはギターだけでは終わりませんでした。
矢野さんはこうも語っています。
「親は、小学生の頃はいろいろやらせようとしていたみたいで。それこそピアノも通ったといっていたし、あとはサックスとドラムをやれとすごくいわれていましたし…。」
整理すると、こうなります。
| 楽器 | 矢野さんの証言 |
|---|---|
| ギター | 小学校低学年で父から直接指導を受けた |
| ピアノ | 「通ったといっていた」=教室に通った時期があったとされる |
| サックス | 「やれとすごくいわれていた」=強く勧められた |
| ドラム | 同上 |
ギター、ピアノ、サックス、ドラム。4種類の楽器を小学生のうちに勧められていたことになります。
これはもう、ご両親としては音楽の道に進んでほしいという気持ちがあったと考えるのが自然かなと思います。とくに父親自身がプロを目指した経験を持っているわけですから、なおさらですよね。
ただ、矢野さんの語り口には「やらせようとしていたみたいで」「やれとすごくいわれていましたし…」と、少し距離のある響きがあります。
結果として矢野さんが選んだのは音楽ではなく、俳優の道でした。親が敷こうとしたレールと、本人が歩いた道が違ったわけですね。
父に習えなかったギターと役での再会
ここで終わると少し寂しい話なのですが、実はこのエピソードには後日談があります。
矢野さんは大人になってから、仕事を通じてもう一度ギターに触れることになりました。
きっかけは映画『天国からのエール』でのバンドマン役です。役としてギターを弾く必要があったんですね。
子どものころ「怖い」で終わってしまった楽器と、俳優の仕事を通じて再会する。父親から離れたはずのギターが、選んだ道の先で戻ってきたということです。
……なんか、いいですよね、これ。
1カ月通ったギター教室
この役をきっかけに、矢野さんは実際にギター教室へ通い始めています。
期間はおよそ1カ月。ただ、そこで途切れてしまいました。
矢野さん本人の言葉では「その後仕事が入って、習いに行けなくなっちゃった」とのこと。インタビュー時点ではギターも所有していないと話しています。
ちなみに、このインタビューの直前の雑談では、スタジオにオブジェとして飾ってあったウクレレに矢野さんが興味を示し、ギターの話に触れていたそうです。
手元にはもう無いけれど、目に入れば気になる。この距離感、なんだかとても人間らしいなと感じました。
矢野聖人の父親を調べる人向けの関連情報
ここからは、父親を調べている方が一緒に気にしていることをまとめていきます。
家族構成や実家、よく話題になる「あの俳優との兄弟説」まで、あわせて確認しておきましょう。
家族構成は父・母・兄の4人とされる
矢野聖人さんの家族構成は、父・母・兄・本人の4人家族とされています。
ただし注意点があります。この情報は複数のまとめ系サイトに共通して書かれているものの、事務所の公式プロフィールやWikipediaといった一次情報では確認できません。
兄についても、年齢差や職業などは一切わかっていません。芸能活動をしている様子もないので、一般の方だと考えられます。
つまり4人家族という点はネット上で広く共有されてはいるものの、公式に裏づけられた情報ではない、というのが正確なところです。
矢野さん本人がインタビューで「うちの両親も」と複数形で話しているので、両親そろっているという部分については本人の発言からも読み取れますね。
実家は東京都東久留米市
矢野聖人さんの出身地は東京都です。事務所の公式プロフィールにも「東京都」と記載されています。
より細かい市名まで見ると、東京都東久留米市と紹介されていることが多いです。Wikipediaをはじめ、複数の媒体がこの市名を挙げています。
東久留米市は都心から西へ向かった多摩地域の市で、住宅地が広がるエリアですね。
ただし、公式プロフィール側は「東京都」までしか出していません。市名以下の具体的な場所については当然ながら公開されていませんし、ここを詮索するのは避けたいところです。
東映アカデミーから仮面ライダーアギトへ
矢野さんは小学生時代、東映撮影所の中にあった養成所「東映アカデミー」に通っていました。
そして2001年放送の『仮面ライダーアギト』に子役として出演しています。
音楽を勧められていた同じ時期に、演技の養成所にも通っていたわけですね。矢野さんが子ども時代にどれだけ多くの入り口に立たされていたかが伝わってきます。
ただ、この子役時代がそのまま俳優業につながったわけではありません。
高校時代は読者モデルとして活動し、高校卒業後はいったん飲食店でアルバイトをしていました。そこで雑誌を見たホリプロからオーディションを勧められた、というのがWikipediaに記されている流れです。
2010年、ホリプロ創業50周年記念舞台『身毒丸』のオーディションでグランプリを獲得。演出家の故・蜷川幸雄さんの目に留まったと伝えられています。
同じ年にフジテレビのドラマ『GOLD』で俳優デビューし、2011年からは『身毒丸』で座長を務めました。
磯村勇斗との兄弟説はデマだった
矢野聖人さんを検索すると、かなりの確率で一緒に出てくるのが俳優の磯村勇斗さんです。
顔立ちや雰囲気がよく似ていることから、SNS上で「似すぎてパニック」といった声が上がり、そこから兄弟なのではという噂が広がりました。
結論を書いておくと、2人に血縁関係は一切ありません。完全な他人の空似です。
身長も矢野さんが174cm、磯村さんが176cmとほぼ同じ。ドラマ『デイジーラック』で共演した際には、視聴者がどちらがどちらか分からなくなったという反応も出ていました。
本人たちも似ていることは認識しているようで、ツーショットを撮ったりもしているそうです。
父親を調べている方の中には「兄弟なら父親も同じでは」と考えて検索した方もいるかもしれませんが、そこはきっぱり無関係ということですね。
奥さんはいる?結婚と熱愛報道の現在
結婚についても触れておきます。
矢野聖人さんの結婚は発表されておらず、独身とされています。
過去には2019年1月に、女優の武田梨奈さんとの交際が報じられたことがありました。ただ、その後に結婚の発表は出ていません。
事務所の公式プロフィールにも結婚に関する記載はなく、この点は現時点で公表されている情報がないというのが実際のところです。
べらぼうやウシジマくんなど主な出演作
最後に、矢野聖人さんの主な出演作をまとめておきます。
ドラマでは『リーガル・ハイ』『ラジエーションハウス』シリーズ、『王様戦隊キングオージャー』など。映画では『空飛ぶタイヤ』『燃えよ剣』『引っ越し大名!』といった作品に出演しています。
舞台では、デビューのきっかけとなった『身毒丸』で主演を務めました。
2026年の出演作
近年も出演が続いています。
NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』に出演したほか、Amazon Original映画『Broken Rage』は第81回ベネチア国際映画祭に正式出品されました。
2026年は、WOWOWの連続ドラマW-30『ながたんと青と -いちかの料理帖-2』に羽崎役で出演(2026年2月20日放送開始)。テレビ朝日『相棒season24』第7話にも登場しています。
さらに映画『心のパズル』では主演を務め、2026年5月23日に公開されました。
音楽の道は選ばなかった矢野さんですが、俳優としてしっかり歩みを重ねていますね。
矢野聖人の父親のまとめ
- 矢野聖人の父親は名前・年齢・職業ともに公表されていない
- 事務所の公式プロフィールにもWikipediaにも家族欄の記載はない
- 芸能関係の情報が一切出ていないことから一般人とみられる
- 父はギターをずっと続けており、最初はプロを目指していたと本人が語っている
- 父は音楽の専門学校に通っていたとされる
- 矢野聖人は小学校低学年のころ父から直接ギターを教わった
- 当時は手が小さく、コードがうまく押さえられなかった
- 父から「こんな簡単なこと、何でできないんだ」と叱られたと語っている
- その指導が怖かったためギターから遠ざかったと本人が説明している
- 両親はそろって洋楽好きで、週末は家にジャズが流れていた
- カーペンターズやバックストリート・ボーイズを幼少期から聴いていた
- ピアノ・サックス・ドラムも小学生のころに勧められていた
- 大人になってから映画のバンドマン役でギターに再会し、1カ月ほど教室に通った
- 家族構成は父・母・兄の4人とされるが公式の裏づけはない
- 磯村勇斗との兄弟説は誤りで、2人に血縁関係はない


