芥川賞作家の吉田修一さん。
『悪人』『横道世之介』、そして映画も大ヒットした『国宝』の原作者として知られていますよね。
その吉田修一さんの父親について調べていくと、2017年の新聞に載った小さな訃報にたどり着きます。
そして『国宝』の最後のページには、父へ宛てた一行が静かに置かれているんです。
・吉田修一の父・吉田修さんについて公表されていること
・『国宝』の最後に置かれた父への献辞と、連載中に起きた出来事
・長崎の実家や母、生い立ちなど家族まわりでわかっている範囲
吉田修一の父親はどんな人物だったのか
吉田修一さんの父親について公になっている情報は、決して多くありません。
ただ、その数少ない事実を時系列で並べていくと、作品とのつながりが驚くほどはっきり見えてきますよ。
父は2017年に81歳で亡くなっている
まず、いちばん確かな記録から見ていきましょう。
吉田修一さんの父親は、2017年2月19日に心不全のため亡くなっています。
これは毎日新聞が2017年2月21日付で掲載した訃報で報じられた内容です。
見出しは「訃報:吉田修さん81歳=芥川賞作家・吉田修一さんの父」というものでした。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 吉田修(よしだ・おさむ)さん |
| 続柄 | 芥川賞作家・吉田修一さんの父 |
| 死去日 | 2017年2月19日 |
| 死因 | 心不全 |
| 年齢 | 81歳 |
| 報道 | 毎日新聞 2017年2月21日 |
1935年前後の生まれで、81年の生涯だったことになります。
葬儀は長崎市内で営まれたと伝えられています。
全国紙が訃報を掲載しているのは、あくまで「芥川賞作家の父」という立場によるものです。
逆にいえば、公の記録として残っている父親の情報は、ほぼこの訃報だけなんですね。
名前は吉田修さんという一般人
父親の名前は吉田修(よしだ・おさむ)さんです。
息子である修一さんとは、一字違いの名前ということになりますね。
……こうして並べてみると、名付けに込めた気持ちが少し想像できる気がします。
吉田修さんは作家でも芸能関係者でもなく、一般の方です。
受賞歴や役職といった公的な記録は確認できませんでした。
ご家族が一般の方である以上、住まいや勤務先などをこれ以上詮索するのは適切ではありません。
この記事でも、公表されている訃報の内容と、吉田修一さん本人が語ってきた範囲にとどめています。
実家は長崎で酒屋を営んでいた
父親の人物像を知るうえで、いちばん手がかりになるのが実家の話です。
吉田修一さんはインタビューで、「長崎の実家は酒屋だし」とはっきり語っています。
坂の多い長崎の街に建つ、家族経営の酒屋。
そこが吉田修一さんの育った場所でした。
文芸評論の分野でも、この点は重視されています。
左右社から出ている『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』という研究書があるのですが、その第1章には「父親と酒屋」という節が立てられているんです。
研究者が一節を割いて論じるほど、父と家業は作品世界の土台になっているということですね。
作品に出てくる酒屋は「実家そのもの」ではない
ここで一つ、注意しておきたいことがあります。
吉田修一さんの小説には、長崎の酒屋を舞台にした作品があります。
そこには家業を継いだ弟や、父親らしき人物が登場します。
ただ、それらはあくまで小説の登場人物です。
作中の父親像を、そのまま実在の吉田修さんの姿だと受け取るのは避けたほうがいいでしょう。
国宝の最後に置かれた父への献辞
ここからが、この記事でいちばんお伝えしたい話です。
映画化で大きな話題になった『国宝』。
歌舞伎の女形として生きる立花喜久雄の一代記ですが、この長い物語は本文で終わりません。
最後のページに、亡き父へ捧げる一行の献辞が置かれています。
読書会のレポートやSNSの感想でも、この一行に触れた投稿がいくつも見つかります。
「最後の献辞にぐっときた」という声もありました。
物語を読み終えたあとにこの一行と出会うと、それまでの数百ページの意味が変わって見えてきます。
……正直、ここは何度読んでも胸にきます。
『国宝』は、父を亡くした作家が父へ手渡した作品でもあった、ということです。
朝日新聞の連載中に父を亡くした
では、なぜ『国宝』に父への献辞が置かれたのでしょうか。
理由は時系列を並べるとすぐにわかります。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2017年1月1日 | 朝日新聞で『国宝』の連載が始まる |
| 2017年2月19日 | 父・吉田修さんが心不全で死去(81歳) |
| 2018年5月29日 | 『国宝』の連載が完結 |
| 2018年9月7日 | 単行本が上下巻で刊行される |
連載が始まって、わずか1か月半後の出来事でした。
約1年5か月にわたる長期連載の、いちばん最初の時期に父を見送ったことになります。
AERAに掲載された尾上菊之助さんとの対談記事でも、朝日新聞の連載が進むなかで吉田さんの父は世を去った、と書かれています。
そして『国宝』という物語自体が、主人公が父を失うところから始まる話なんですよね。
父を亡くす場面を書きながら、現実でも父を見送る。
これはきつかったと思います。
連載中に訪れた父との別れが、あの献辞につながっていったと考えられます。
父が生きた街と気性の荒い男たち
最後に、父親が暮らした長崎という土地の話をしておきます。
吉田修一さんは自身の育った環境について、こう語っています。
親戚には肉体労働者も多く、気性の荒い男たちがたくさんいた、と。
そして「地方の街で、ああいう人たちの近くで育つと、人間の生っぽい感じがよくわかるんですよ」とも話しています。
酒屋という商売は、まさにそういう男たちが集まる場所ですよね。
店先で交わされる会話、荒っぽい笑い声、生活の匂い。
それを子どもの目で見ていたわけです。
自伝的な色合いが濃い『長崎乱楽坂』については、「でてくる人物や風景は、僕が見てきたものばかりです」と語っています。
父が暮らした長崎の店とその周辺こそが、作家・吉田修一の原風景だったといえます。
吉田修一さん自身、長崎で育ったことを作家として得だったと振り返っていますよ。
吉田修一の父親を調べる人向けの関連情報
父親以外の家族や、生い立ち・経歴についても気になりますよね。
ここからは検索されることの多い項目を、わかっている範囲で整理していきます。
母親について語られていること
母親についてのまとまった情報は、実はほとんど出てきません。
名前も年齢も公表されておらず、インタビューで詳しく語られた記録も見当たりませんでした。
ただ、先ほど紹介した研究書『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』には、「母親と『成熟と喪失』」という節があります。
『成熟と喪失』は江藤淳さんの評論で、日本文学における母と子の関係を論じた一冊です。
研究の世界では、母という存在も吉田作品を読み解く鍵として扱われているということですね。
なお、ネット上には母親の人物像を細かく描写した記事もありますが、出典が確認できないものが目立ちます。
ここでは裏づけの取れない話は載せないでおきます。
生い立ちは長崎市から始まった
吉田修一さんは1968年9月14日生まれ、長崎市の出身です。
生年月日は複数の公式プロフィールで一致しています。
坂と海に囲まれた長崎の街で、酒屋を営む家に育ちました。
幼いころの記憶として、実家の玄関先にビニールプールを出してもらった話などを、自伝的な文章の中で書いています。
……なんだか、いいですよね。
ごく普通の家庭の風景が、のちに人間を描く小説家の目を育てていったわけです。
出身中学と長崎南高校の情報
学歴についても見ておきましょう。
| 学校 | 内容 |
|---|---|
| 中学校 | 公表されていない |
| 高校 | 長崎県立長崎南高等学校 |
| 大学 | 法政大学経営学部 |
出身中学については公表されておらず、確認できませんでした。
高校は長崎県立長崎南高等学校で、これは各種プロフィールで共通しています。
その後は上京して法政大学経営学部へ進学しました。
文学部ではなく経営学部だった、というのは意外に思う方も多いのではないでしょうか。
卒業後はスイミングスクールのインストラクターなどのアルバイトを経験しています。
経歴は文學界新人賞から始まった
作家としての歩みも簡単にまとめておきます。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1997年 | 「最後の息子」で第84回文學界新人賞を受賞しデビュー |
| 2002年 | 『パレード』で第15回山本周五郎賞 |
| 2002年 | 「パーク・ライフ」で第127回芥川龍之介賞 |
| 2016年 | 芥川龍之介賞の選考委員に就任 |
| 2018年 | 『国宝』を刊行 |
2002年に山本周五郎賞と芥川賞を立て続けに受賞しています。
純文学とエンターテインメントの両方で評価された、珍しいタイプの作家なんですね。
『悪人』『怒り』『横道世之介』『路』など、映像化された作品も数多くあります。
妻やパートナーは公表されていない
結婚しているのかどうかも、よく検索されている項目です。
妻やパートナーの存在について、吉田修一さんは公表していません。
結婚や離婚を報じた記事も確認できませんでした。
作家は芸能人と違って私生活が報道される機会が少ないので、情報が出てこないこと自体は珍しくありません。
ちなみに公表されている家族といえば、2匹の猫の存在があります。
ベンガルの金ちゃんと、スコティッシュフォールドの銀ちゃんです。
かなりの愛猫家として知られていますよ。
国宝の立花喜久雄の父親は誰か
最後に、もう一つの父親についても触れておきます。
実は吉田修一の父親と検索する人の中には、『国宝』の主人公の父親を探している方もいるんです。
主人公・立花喜久雄の父は、立花権五郎という人物です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 立花権五郎 |
| 立場 | 長崎の任侠一家・立花組の組長 |
| 関係 | 主人公・立花喜久雄の父 |
| 最期 | 宴席での抗争に巻き込まれ銃弾に倒れる |
物語の冒頭、長崎で開かれた宴の席が、対立する組との抗争の場になります。
喜久雄は父が撃たれる場面を目の前で見ることになります。
原作小説では、権五郎を撃ったのは信頼していた弟分の辻村でした。
ここから喜久雄は歌舞伎の世界へ入っていくわけですね。
なお、この立花権五郎はあくまで作中の人物で、吉田修一さんの実の父親とはまったく別です。
作品の父と、作家自身の父。
その両方が重なって、あの献辞の一行がより深く響くのだと思います。
吉田修一の父親のまとめ
- 父の名は吉田修(よしだ・おさむ)さんで一般人
- 2017年2月19日に心不全のため81歳で死去
- 毎日新聞が2017年2月21日付で訃報を掲載した
- 訃報には芥川賞作家・吉田修一さんの父と記された
- 葬儀は長崎市内で営まれたと伝えられている
- 実家は長崎の酒屋で、本人がインタビューで語っている
- 研究書『吉田修一論』には父親と酒屋の節がある
- 小説に登場する酒屋の父親像は作中の人物であり実像ではない
- 『国宝』は亡き父へ捧げる献辞で締めくくられている
- 『国宝』の朝日新聞連載は2017年1月1日に開始
- 父の死去は連載開始からおよそ1か月半後だった
- 親戚には肉体労働者が多く気性の荒い男たちが身近にいた
- 『長崎乱楽坂』の人物や風景は自身が見てきたものだと語る
- 母については公表情報がほとんどなく詳細は不明
- 『国宝』の主人公の父・立花権五郎は実父とは無関係の作中人物


