世良公則さんの実家について、気になっている方は多いのではないでしょうか。
実は県営アパート育ちだった世良さんが音楽に目覚めたきっかけは、カープファンだった父親の真空管ラジオだったというから驚きですよね。
この記事では、世良公則さんの実家の場所や両親の職業、家族構成から現在の暮らしまで、詳しくお伝えしていきます。
・世良公則の実家の場所と県営アパート暮らしだった幼少期の様子
・父親(公務員)と母親(保育士・お寺の娘)の人物像
・実家は金持ちだったのか、国籍の真相、兄弟の有無
世良公則の実家は広島県福山市の県営アパート
世良公則さんの実家がどこにあるのか、どんな家庭環境で育ったのかが気になっている方は多いと思います。
ここでは実家の場所や両親の職業、兄弟の情報、そして「金持ちだったのか」という噂の真相まで、まとめてお伝えしていきます。
実家の場所は福山市水呑町
世良公則さんの実家は広島県福山市水呑町(みずのみちょう)にあります。
福山市は広島県の東部に位置する人口約46万人の都市で、ばらのまちとして知られる穏やかな町です。
世良さんはこの福山市水呑町で生まれ育ち、地元の学校に通いながら少年時代を過ごしました。
出身高校は広島県立福山葦陽高等学校で、地元では進学校として知られている学校ですね。
高校卒業後は大阪芸術大学芸術学部放送学科に進学し、大阪へと拠点を移しています。
幼少期は県営アパート暮らし
世良さんの実家は一戸建てではなく、県営アパートだったことがわかっています。
県営アパートというと、公営住宅のイメージが強いですよね。
父親が公務員、母親が保育士という共働き家庭で、決して裕福な暮らしではなかったものの、堅実な家庭だったことがうかがえます。
世良公則さんの実家は、広島県福山市水呑町の県営アパートで、庶民的だけれど温かい家庭環境だったということですね。
父親は公務員で広島カープファンだった
世良公則さんの父親は地方公務員として勤務していた方です。
堅実な職業で家庭を支えていたお父さんですが、大の広島東洋カープファンだったことでも知られています。
自宅には野球中継を聴くための真空管ラジオがあり、カープの試合を熱心に追いかけていたそうですよ。
真空管ラジオが音楽の原点に
実はこの父親のカープ用ラジオが、世良さんの音楽人生の原点になっているんです。
世良さんは夜になると、父親のラジオをこっそり自分の部屋に持ち込んでいたといいます。
当時はイヤホンがない時代だったため、布団をかぶって小さな音で音楽番組を聴いていたのだとか。
……なんか、いいですよね、このエピソード。
お父さんがカープの試合を聴くために買ったラジオが、息子の音楽への扉を開くきっかけになるなんて。
なお、お父さんは既に他界されており、世良さんは2023年5月23日の命日にはお墓参りに行っている様子をInstagramで報告しています。
世良さんの父親は地方公務員で、カープファンの穏やかなお父さんだったようです。
母親は保育士でお寺の娘
世良公則さんの母親は保育士として働いていた方です。
公立の保育園で勤務されていたようで、父親の公務員としての給料と合わせて共働きで家計を支えていました。
注目すべきは母親の実家の背景です。
世良さんの母方の実家はお寺で、祖父は僧侶を務めていたことがわかっています。
母方の祖父は僧侶だった
Wikipediaにも「広島の寺の孫として生まれ」と記載されており、これは母方の祖父がお寺の住職だったことを指しています。
お寺の家系ということは、精神的な価値観や礼儀作法などの面で、世良さんの人格形成にも少なからず影響を与えた可能性がありますね。
実家は県営アパート暮らしでしたが、母方がお寺という背景もあり、金銭面以外の精神的な支えがしっかりあった家庭だったのかもしれません。
世良さんの母親は保育士で、母方の実家はお寺という、温かさと品のある家庭環境で育ったことがわかります。
兄弟は兄がいるとの情報も
世良公則さんの兄弟については、情報源によって内容が異なっています。
一部のサイトでは「兄がいる」と記載されており、兄も学生時代は洋楽ロックを好んでいた音楽好きだったという情報があります。
この情報が正しければ、世良さんは4人家族(父・母・兄・本人)の次男ということになりますね。
ただし、別のソースでは「兄弟姉妹:不明」と記載されているものもあり、公式に本人が兄弟について語った記録は見当たりません。
ここでやや注意が必要なのは、世良さんがバイオリンを始めたきっかけとして語っている「近所のお兄さん」の存在です。
世良さんは幼い頃、近所の仲の良いお兄さんがバイオリンを弾いているのを見て「ぼくもこれやってみたい」と言ったことがきっかけでバイオリンを始めています。
この「お兄さん」が実の兄なのか、近所に住んでいた年上の子なのかが混同されている可能性もあります。
兄弟については「兄がいる」という情報が複数サイトに見られますが、公式な確認は取れていない状況です。
実家は金持ちだったのか検証
「世良公則 実家 金持ち」というキーワードで検索する方も多いようです。
ここ、気になりますよね。
結論から言うと、世良さんの実家は特別なお金持ちではなかったというのが実態です。
父親は地方公務員、母親は保育士で、住まいは県営アパート。
公務員と保育士の共働きですから、生活に困るほどではないけれど、裕福と言えるほどでもない、いわゆる一般的な家庭環境だったと考えられます。
3歳からバイオリンを習えた家庭環境
ただし、世良さんは3歳からバイオリンを習い始めて高校2年まで続けているんです。
バイオリンは楽器自体も高額ですし、レッスン代もそれなりにかかります。
県営アパート暮らしながら、子供にバイオリンを習わせ続けたということは、教育にはお金を惜しまない方針だったということでしょう。
世良さん自身も「習い事をなんでも途中で投げ出す自分が、自ら”バイオリンやりたい”と言い出したので、ちょっと無理をしてもということでやらせてくれた」と語っています。
また、母方の実家がお寺だったので、そちらからの支援があった可能性も指摘されています。
世良さんの実家は裕福ではなかったものの、子供の教育にはしっかりお金をかける堅実な家庭だったということですね。
国籍は日本で三代続く純日本人
世良公則さんの国籍について検索される方もいるようです。
これは2022年の参議院選挙に無所属で立候補した際に話題になった件ですね。
SNS上で世良さんの国籍に関する根拠のない噂が拡散されたことがありましたが、世良さん本人がこれをきっぱりと否定しています。
世良さんは自身のSNSで「三代続く純日本人」であると明言しました。
さらに、立候補の申請時には戸籍謄本を提出しており、三代遡っても日本国籍であることが公的に確認されています。
世良公則さんの国籍は日本であり、本人が公的書類をもとに明確に否定済みです。
世良公則の実家を調べる人向けの関連情報
世良公則さんの実家について調べている方は、家族構成や現在の暮らしぶりも気になるところだと思います。
ここからは、嫁や子供、自宅、さらに病気の噂や若い頃のエピソードまで幅広くお伝えします。
嫁の柳井典子は高校の同級生
世良公則さんは1980年に柳井典子(やない・のりこ)さんと結婚しています。
典子さんは高校時代の同級生で、福山葦陽高校で出会いました。
高校時代から交際を始め、8年間の純愛を貫いた末にゴールインしたというから驚きですよね。
結婚当時、世良さんは25歳でアイドル的人気の絶頂期。
1980年3月12日に神前式で挙式し、赤坂プリンスホテルで記者会見を行っています。
結婚前の典子さんは化粧品会社に勤めるOLだったという情報と、保育士だったという情報の両方がありますが、いずれにしても一般人の女性です。
世良さんがプロポーズ代わりに作った曲が、1980年2月にリリースされたシングル「LOVE SONG」だったというエピソードも素敵ですね。
……個人的にすごく好きなんですよね、このエピソード。
結婚後、新婚時代に住んでいたマンションには松田聖子さん・神田正輝さん夫妻も住んでいて、ご近所付き合いをしていたという逸話も残っています。
世良さんと典子さんは40年以上連れ添っており、高校時代からの純愛を貫いた夫婦として知られています。
子供は息子と娘の2人
世良公則さんには息子と娘の2人の子供がいます。
現在はいずれも成人していますが、世良さんは子供たちのプライバシーを非常に大切にしており、公の場でほとんど語ることがありません。
息子さんについては「世良大吾」という名前で、かつてファッション雑誌「ポップティーン」の読者モデルをしていたという噂があります。
また、元ジャニーズだったという情報も一部で見られますが、信憑性は定かではありません。
娘さんは「世良明音(あかね)」さんという名前が伝えられており、アナウンサーではないかとの噂もありました。
ただし、実際にテレビ局のアナウンサーにそのような人物は確認できず、一般人である可能性が高いとされています。
一方で、フリーランスでMCやナレーション、イベント司会などを手がけているという情報も一部にはあります。
子供は息子と娘の2人ですが、いずれもプライベートが守られており、詳細は公表されていません。
自宅は世田谷区成城の豪邸
世良公則さんの現在の自宅は、東京都世田谷区成城にあります。
成城といえば都内でも屈指の高級住宅街ですよね。
自宅は薄茶色のタイルを外壁に使ったモダンな外観で、三角屋根が特徴的な豪邸だと言われています。
この情報は、所ジョージさんがBSフジの「世田谷ベース」という番組でゲストの木梨憲武さんとのトーク中に世良さんの自宅が成城にあることを話したことで広まりました。
県営アパート育ちの世良さんが、成城の豪邸に住むまでになったと思うと、その努力と才能のすごさを感じずにはいられません。
大ヒット曲を何曲も持ち、作詞作曲も手がけ、さらに俳優としても活躍してきた世良さんですから、それだけの収入があるのは納得です。
実家は県営アパートでしたが、現在は世田谷区成城の豪邸に住んでおり、まさに自力で成功を掴んだ人生と言えます。
病気の噂の真相とは
世良公則さんを検索すると「病気」というワードが関連検索に出てくることがあります。
ちょっと心配になりますよね。
しかし、実際には世良さんはこれまでに大きな病気を患ったことはなく、健康そのものだとされています。
この噂が出た原因としては、いくつかの要因が考えられます。
まず、世良公則&ツイストのメンバーだった大上明さんが病気で脱退を余儀なくされた過去があり、これが世良さん本人の病気と混同された可能性があります。
また、2018年に世良さんが過労による貧血で倒れ、病院に搬送されたことがありました。
これをきっかけにファンが心配し、「世良公則 病気」という検索が増えたのではないかと見られています。
世良さん本人は大病を患ったことはなく、病気の噂は周囲の出来事が混同されたものです。
若い頃はアイドル的人気のロッカーだった
世良公則さんの若い頃は、ロックミュージシャンでありながらアイドル的な人気を誇っていました。
1977年にツイストのボーカルとしてデビューし、デビュー曲「あんたのバラード」が大ヒット。
その後も「銃爪(ひきがね)」「宿無し」「燃えろいい女」と立て続けにヒットを飛ばし、6曲連続でオリコンTOP10入りという快挙を成し遂げています。
| 順位 | 曲名 | 発売年 | 売上枚数 |
|---|---|---|---|
| 1位 | 銃爪 | 1978年 | 54.8万枚 |
| 2位 | 宿無し | 1978年 | 52.2万枚 |
| 3位 | あんたのバラード | 1977年 | 43.5万枚 |
| 4位 | 燃えろいい女 | 1979年 | 41.0万枚 |
| 5位 | 性 | 1978年 | 31.8万枚 |
容姿端麗でカリスマ性のある世良さんはアイドル雑誌にも頻繁に登場し、西城秀樹さん、沢田研二さんとともに「SSS」と呼ばれたこともあったそうですよ。
紅白歌合戦にも1978年と1979年に連続出場。
1981年にツイストが解散した後はソロでの音楽活動と並行して俳優業にも進出し、人気ドラマ「太陽にほえろ!」のボギー刑事役で新たなファンを獲得しました。
近年では「カムカムエヴリバディ」や「下町ロケット」などにも出演し、さらに陶芸にも力を入れるなど、多才な活動を続けています。
若い頃はロック御三家の一角として時代を席巻し、現在も音楽・俳優・陶芸と幅広く活躍する世良公則さんは、まさに日本の芸能界を代表するアーティストの一人です。
世良公則の実家のまとめ
- 実家は広島県福山市水呑町にある
- 幼少期は県営アパートで暮らしていた
- 父親は地方公務員で広島東洋カープファンだった
- 父親の真空管ラジオが音楽に目覚めるきっかけになった
- 母親は保育士として公立の保育園に勤務していた
- 母方の実家はお寺で、祖父は僧侶だった
- 「広島の寺の孫」としてWikipediaにも記載されている
- 兄がいるとの情報があるが公式には未確認
- 実家は特別な金持ちではなく一般的な共働き家庭だった
- 3歳からバイオリンを習うなど教育にはお金を惜しまなかった
- 国籍は日本で、三代続く純日本人と本人が明言済み
- 嫁の柳井典子は高校時代の同級生で、8年の交際を経て1980年に結婚
- 子供は息子と娘の2人で、いずれも一般人とされる
- 現在の自宅は東京都世田谷区成城の豪邸
- 県営アパート育ちから成城の豪邸へ、自力で成功を掴んだ人生


