衆議院議員の大塚拓さんの父親がどんな人物なのか気になっている方も多いのではないでしょうか。
大塚拓さんの父・大塚勲さんは、日本最古の靴メーカー「大塚製靴」の創業者一族に生まれ、子会社パピーシューズの会長を務めた実業家でした。
この記事では、父親のプロフィールから大塚家の家系図、大塚拓さん自身の経歴や家族情報まで、まるごとお届けします。
・大塚拓の父親・大塚勲のプロフィールと経歴
・実家の大塚製靴と大塚家の家系図
・妻・丸川珠代との馴れ初めや息子の情報
大塚拓の父親は大塚製靴一族の実業家
自民党の衆議院議員として活動する大塚拓さんの父親について気になっている方も多いのではないでしょうか。
ここでは、父・大塚勲さんのプロフィールや大塚製靴との関わり、そして大塚家の家系について詳しくお伝えしていきます。
父・大塚勲のプロフィールと経歴
大塚拓さんの父親は、大塚勲(おおつか いさお)さんです。
1926年(大正15年)に生まれた勲さんは、日本最古の靴メーカー「大塚製靴」の創業者一族に連なる人物ですよ。
勲さんのプロフィールを表にまとめました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 大塚勲(おおつか いさお) |
| 生年 | 1926年(大正15年) |
| 没年月日 | 2013年11月3日 |
| 享年 | 87歳 |
| 最終経歴 | パピーシューズ会長 |
勲さんは大学卒業後、1949年に三菱電機に入社しています。
大手電機メーカーでキャリアをスタートさせたわけですね。
その後、1972年に三菱テー・アール・ダブリューへの出向を経て、1981年に大塚製靴の子会社であるパピーシューズの専務に就任しました。
三菱電機からパピーシューズへの転身
三菱電機で約30年近く勤めた後、なぜ畑違いの靴業界に転身したのか気になるところですよね。
パピーシューズは大塚製靴の子会社で、アメリカ発の人気シューズブランド「ハッシュパピー」の製造・販売を手がけていた会社です。
勲さんの実家である大塚家が経営する企業グループの一角ということで、一族としてグループ経営に携わる形になったのでしょう。
パピーシューズでは専務からスタートし、1983年に社長、1996年に会長と着実にステップアップしています。
| 年 | 役職 |
|---|---|
| 1949年 | 三菱電機入社 |
| 1972年 | 三菱テー・アール・ダブリュー出向 |
| 1981年 | パピーシューズ専務 |
| 1983年 | パピーシューズ社長 |
| 1996年 | パピーシューズ会長 |
ちなみに大塚拓さんは、勲さんが47歳のときに生まれたお子さんです。
1926年生まれの勲さんが47歳ということは1973年で、大塚拓さんの生年月日である1973年6月14日とぴったり一致しますね。
遅くに授かったお子さんだったこともあり、きっとかわいがっていたのではないでしょうか。
実家は日本最古の靴メーカー大塚製靴
大塚拓さんの実家は、日本最古の靴メーカーとして知られる「大塚製靴株式会社」の一族です。
ここ、気になりますよね。
大塚製靴は1872年(明治5年)に創業した、まさに老舗中の老舗メーカーなんです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 会社名 | 大塚製靴株式会社 |
| 創業 | 1872年(明治5年) |
| 創業者 | 大塚岩次郎 |
| 本社 | 東京都大田区久が原2丁目24-24 |
| 特徴 | 日本最古の靴メーカー |
大塚製靴の歴史と創業者・岩次郎
大塚製靴の創業者は、大塚岩次郎さんです。
岩次郎さんの父である大塚隊之丞さんは、佐倉藩(現在の千葉県佐倉市あたり)の藩士でした。
明治維新後に横浜で靴の製造販売を始めたのが大塚家と靴の出会いです。
1872年、隊之丞さんの息子である岩次郎さんが、東京・新橋で「大塚商店」を開業しました。
なんと岩次郎さんは当時まだ14歳だったというから驚きですよね。
文明開化の時代、西洋靴がこれからの日本に必要になると見越して事業を始めたそうです。
その後、1882年(明治15年)には明治天皇の靴の製造を受注するまでに成長しています。
1884年には海軍省から水兵靴の製造を受注し、1889年にはパリ万国博覧会に出展して賞状と銀牌を受賞するなど、国際的にも認められる靴メーカーへと発展していきました。
現在も職人による手作りの靴づくりで高い評価を受けており、2012年には六本木ヒルズに直営店をオープンしています。
フルオーダーの靴は50万円以上になることもあるそうですよ。
大塚拓さんにとって、大塚隊之丞さんは高祖父(祖父の祖父)にあたります。
祖父・大塚菊雄は大塚製靴の2代目社長
大塚拓さんの祖父は、大塚菊雄(おおつか きくお)さんです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 大塚菊雄 |
| 生年 | 1891年 |
| 没年 | 1977年 |
| 経歴 | 大塚製靴社長→会長 |
菊雄さんの出自がちょっと複雑なんですよね。
菊雄さんの実の父親は、創業者・岩次郎さんの弟である大塚金之助さんです。
金之助さんの三男として生まれた菊雄さんは、伯父である岩次郎さんの養子に入りました。
つまり、血縁としては岩次郎さんの甥っ子にあたるのですが、養子縁組によって大塚製靴を継ぐ立場になったということです。
元陸軍歩兵中尉から経営者へ
菊雄さんの経歴はかなり異色です。
陸軍幼年学校と士官学校に学び、陸軍歩兵中尉として歩兵第五十七連隊第一師団司令部に勤務していました。
もともとは軍人だったんですね。
しかし大正8年(1919年)に軍職を退き、以後は養父・岩次郎さんが個人経営していた大塚商店の経営発展に尽力したとされています。
1950年に大塚製靴の社長に就任し、1972年には会長に就いています。
菊雄さんの妻(大塚拓さんの祖母)は桜井照世さんで、千葉県出身の桜井茂三郎さんの二女です。
この桜井家もまた政界と縁があり、照世さんの弟の桜井茂尚さんは社会党の衆議院議員を1期務めています。
父の介護と最期を家族で支えた日々
大塚勲さんは晩年、病気により要介護5の状態になりました。
要介護5は介護保険制度における最も重い区分で、日常生活のほとんどに全面的な介助が必要な状態です。
この介護を中心的に担ったのが、大塚拓さんの母親でした。
家族で在宅介護を続けたというのは、本当に大変なことだったと思います。
大塚拓さん自身も、長年にわたり要介護5の父を自宅で最期まで介護してくれた母に感謝の言葉を述べています。
勲さんは大正15年生まれで、夕食の席では戦争の恐ろしさを子どもたちに繰り返し語っていたそうです。
戦争を経験した世代として、平和の大切さを家庭の中で伝え続けていたんですね。
2013年11月3日、勲さんは87歳でこの世を去りました。
なお、大塚拓さんは父の介護費用やアメリカ留学費用を捻出するために不動産経営を始めたというエピソードもあります。
政治家としての活動だけでなく、家族を支えるための実業家としての一面も持っていたことがわかりますね。
大塚家の家系図は経営者一族
大塚家の家系図を見ると、まさに経営者だらけの一族であることがわかります。
主要な人物と役職を表にまとめてみました。
| 人物 | 大塚拓との関係 | 役職 |
|---|---|---|
| 大塚隊之丞 | 高祖父 | 佐倉藩士→靴製造販売業 |
| 大塚岩次郎 | 曾祖父(養祖父の養父) | 大塚商店(大塚製靴)創業者 |
| 大塚菊雄 | 祖父 | 大塚製靴社長→会長 |
| 大塚斌 | 伯父 | 大塚製靴社長→会長→相談役 |
| 大塚勲 | 父 | パピーシューズ専務→社長→会長 |
| 五井賢之助 | 祖父の娘婿 | パピーシューズ社長 |
| 山田智子 | 従姉妹 | 大塚製靴会長(現任) |
| 山田晋右 | 従姉妹の夫 | 大塚製靴社長 |
伯父・大塚斌と現在の大塚製靴
大塚拓さんの伯父にあたる大塚斌(あきら)さんは、菊雄さんの次男として1923年に生まれました。
菊雄さんの長男・茂さんが1945年に亡くなったため、斌さんが大塚製靴を継ぐことになりました。
斌さんは1950年に大塚商店に入社後、大塚製靴の専務、1968年に副社長、1972年に社長、1997年に会長、2003年に相談役を歴任しています。
まさに大塚製靴の3代目として長年にわたり会社を率いた人物ですね。
斌さんの妻はナイカイ塩業会長の野崎丹斐太郎さんの三女・保子さんで、財界同士の婚姻関係がうかがえます。
斌さんは2011年に亡くなりましたが、その長女の山田智子さんが現在の大塚製靴の会長を務めています。
智子さんは大塚拓さんにとって従姉妹にあたりますね。
社長は智子さんの夫である山田晋右さんが務めており、現在も大塚家の親族によって経営が続けられています。
姻戚関係と政界とのつながり
大塚家は靴業界だけでなく、政界ともつながりがあったことがわかっています。
菊雄さんの妻・照世さんの妹である喜久世さんは、竹谷源太郎さんに嫁いでいます。
竹谷源太郎さんは民主社会党所属の衆議院議員で、なんと当選7回を数えた大物政治家です。
また先述のとおり、照世さんの弟である桜井茂尚さんも社会党から衆議院議員に当選しています。
大塚拓さんが政治の道に進んだのも、こうした家系の影響があったのかもしれませんね。
大塚拓の父を調べる人向けの関連情報
大塚拓さんの父親について調べていると、母親のことや大塚拓さん自身の経歴、家族構成なども気になってきますよね。
ここからは、大塚拓さんに関する関連情報をまとめてお届けします。
母親は山本晴子で母方祖父も実業家
大塚拓さんの母親は、山本晴子さんです。
晴子さんは山本商会の会長を務めた山本精一さんの長女として生まれました。
この山本精一さんがまた、すごい経歴の持ち主なんですよね。
山本精一さんは三百年続く廻船問屋の跡取りに生まれましたが、明治維新後に商権を失った家業を嫌い、なんと小学校卒業後に家出してしまいます。
その後、大陸を経由して樺太に渡り、国内最大級の炭鉱を掘り当てたというから驚きです。
豊畑炭礦の経営で成功を収めましたが、敗戦によってすべてを失ってしまいます。
戦後は石油商社と株で再起を図りましたが、没後7日目に起こったオイルショックで株価が暴落するという、なんとも劇的な人生でした。
エネルギッシュでありながら、政治に翻弄された事業家と評されています。
大塚拓さんの母・晴子さんは、要介護5になった夫・勲さんを自宅で最期まで介護し続けた方です。
大塚拓さんも、母親の献身的な介護に深く感謝していることを公の場で語っています。
経歴と学歴は慶應からハーバード
大塚拓さんの学歴と経歴は、まさにエリートコースそのものです。
| 時期 | 内容 |
|---|---|
| 幼少期〜高校 | 慶應義塾幼稚舎→普通部→高校 |
| 大学 | 慶應義塾大学法学部政治学科 |
| 1997年 | 東京三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)入行 |
| 2003年3月 | 東京三菱銀行退職 |
| 2003年7月 | 渡米、スタンフォード大学サマープログラム |
| 2003年9月 | ハーバード大学ケネディ行政大学院入学 |
| 2005年6月 | 公共政策修士号取得(国際貿易・金融専攻) |
| 2005年9月 | 第44回衆議院議員総選挙で初当選 |
慶應義塾幼稚舎から大学まで一貫して慶應で学んだ後、東京三菱銀行でバンカーとしてのキャリアをスタートさせています。
6年間の銀行勤務を経て退職し、アメリカへ留学しました。
ハーバード大学ケネディ行政大学院では国際貿易・金融を専攻し、公共政策修士号を取得しています。
在学中はハーバード大学日本人会の会長やジャパンコーカスの代表を務め、エズラ・ボーゲル名誉教授のハーバード松下村塾で日本のリーダーシップと日中問題を研究したそうです。
帰国後わずか数か月で衆議院議員選挙に出馬し、初当選を果たしているのもすごいですよね。
その後は法務大臣政務官、内閣府大臣政務官、財務副大臣、内閣府副大臣、衆議院安全保障委員長など数々の要職を歴任しています。
妻・丸川珠代との馴れ初めと結婚
大塚拓さんの妻は、同じく自民党の政治家である丸川珠代(まるかわ たまよ)さんです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 丸川珠代(本名:大塚珠代) |
| 生年月日 | 1971年1月19日 |
| 出身地 | 兵庫県神戸市 |
| 学歴 | 東京大学経済学部経営学科卒 |
| 前職 | テレビ朝日アナウンサー |
| 政治家経歴 | 参議院議員(当選3回)→衆議院議員 |
丸川さんは元テレビ朝日のアナウンサーで、東京大学卒という経歴の持ち主です。
2人の出会いは2007年の参議院議員選挙でした。
東京選挙区から出馬した丸川さんの選挙応援に大塚拓さんが駆けつけたのがきっかけだそうです。
大塚拓さんは丸川さんに一目惚れだったと言われています。
元アナウンサーとしての知名度はもちろん知っていたものの、実際に会ったときの優しさにギャップを感じて惹かれたんだとか。
同じ自民党での政治活動を通じて親交を深め、2008年6月16日に明治神宮で挙式しました。
丸川さんは1971年生まれ、大塚拓さんは1973年生まれなので、2歳年上の姉さん女房ということになりますね。
丸川さんは環境大臣や東京オリンピック・パラリンピック担当大臣などを務めた実力派の政治家です。
家族構成は妻と息子の3人家族
大塚拓さんの現在の家族構成は、妻の丸川珠代さん、そして息子さん1人の3人家族です。
大塚拓さん自身が大塚製靴の創業者一族の出身、妻の丸川珠代さんは東京大学卒の元アナウンサーということで、まさにエリート一家といえますよね。
丸川珠代さんの実家も医師の家系で、父親・母親ともに医師だったことが知られています。
ただし丸川さんの両親は幼い頃に離婚しており、母親と妹との母子家庭で育ったそうです。
経済的には恵まれた環境だったようで、大阪教育大学附属高等学校から東京大学に進学しています。
大塚家と丸川家、どちらもハイスペックな家系が結びついた形ですね。
息子は慶應義塾で親子2代のエリート
大塚拓さんと丸川珠代さんの間には、2012年6月26日に誕生した息子さんが1人います。
息子さんの名前は公表されていません。
慶應義塾幼稚舎に通っているとされ、2019年には週刊誌が入学式の様子を報じたこともあるようです。
大塚拓さん自身が慶應義塾幼稚舎出身で、そこから慶應義塾大学までストレートで進学した慶應ボーイです。
息子さんも同じ道を歩んでいるとすれば、まさに親子2代にわたる慶應義塾のエリートコースということになりますね。
父の大塚拓さんは慶應からハーバード、母の丸川珠代さんは東京大学と、日本を代表する名門校出身のご両親のもとで育つ息子さんの将来がどうなるのか、注目が集まるところです。
大塚拓の父のまとめ
- 大塚拓の父親は大塚勲(いさお)で、1926年生まれ
- 大塚勲は三菱電機に入社後、大塚製靴の子会社パピーシューズの専務→社長→会長を歴任
- パピーシューズは「ハッシュパピー」ブランドで知られる靴メーカー
- 大塚勲は2013年11月3日に87歳で死去
- 晩年は要介護5の状態で、母親中心に家族で在宅介護を行った
- 大塚拓は父・勲が47歳のときに生まれた子ども
- 実家は日本最古の靴メーカー「大塚製靴」の創業者一族
- 大塚製靴は1872年(明治5年)に大塚岩次郎が東京・新橋で創業
- 祖父・大塚菊雄は元陸軍歩兵中尉で、大塚製靴の2代目社長
- 菊雄は創業者・岩次郎の弟の息子で、養子として大塚製靴を継いだ
- 伯父・大塚斌は大塚製靴の3代目社長を務め、その娘・智子が現会長
- 母親は山本晴子で、母方祖父の山本精一は樺太で炭鉱を掘り当てた実業家
- 大塚家は政界ともつながりがあり、親族に衆議院議員が複数いる
- 妻は元テレビ朝日アナウンサーで政治家の丸川珠代、2008年に結婚
- 息子は2012年生まれで、慶應義塾幼稚舎に通っているとされる


