朝丘雪路の父・伊東深水は美人画の巨匠!人力車通学の溺愛エピソードがすごい

朝丘雪路の父・伊東深水は美人画の巨匠!人力車通学の溺愛エピソードがすごい

記事内に広告を含みます

朝丘雪路さんの父親は、美人画の巨匠として知られる日本画家の伊東深水さんです。

非嫡出子ながらも父に溺愛され、人力車での通学や傘も差せない生活など、驚きのエピソードが数多く残っています。

この記事では、伊東深水さんのプロフィールや朝丘雪路さんへの溺愛ぶり、家系図や兄弟の情報まで詳しくまとめました。

この記事を読むとわかること
・朝丘雪路の父・伊東深水の経歴と美人画の巨匠としての功績
・人力車通学や傘禁止など父の溺愛エピソードの数々
・伊東深水一族の家系図と兄弟の情報

朝丘雪路の父・伊東深水の人物像と溺愛エピソード

朝丘雪路さんの父親は、日本画壇の巨匠として知られる伊東深水さんです。

ここでは、伊東深水さんのプロフィールや画家としての功績、そして朝丘雪路さんへの溺愛ぶりが伝わるエピソードを詳しくお伝えしていきます。

伊東深水は美人画の巨匠として名を馳せた日本画家

朝丘雪路さんの父である伊東深水さんは、1898年(明治31年)2月4日に東京府東京市深川区(現在の東京都江東区)で生まれました。

本名は伊東一(はじめ)で、歌川派浮世絵の正統を継ぐ日本画家・版画家として、大正から昭和にかけて活躍した人物です。

項目内容
本名伊東一(いとう はじめ)
生年月日1898年2月4日
没年月日1972年5月8日(74歳没)
出身地東京府東京市深川区
職業日本画家・浮世絵師・版画家
師匠鏑木清方
代表分野美人画

伊東深水さんの実家はもともと質屋を営む裕福な家庭でしたが、1907年に家が没落してしまいます。

わずか小学校3年で中退を余儀なくされ、看板屋に奉公したり、印刷会社の活字工として働きながら、独学で絵の道を志していきました。

鏑木清方への入門と「深水」の号の由来

1911年、13歳のときに日本画の大家・鏑木清方さんに入門を果たします。

ここで師匠から授かった号が「深水」で、深川の水にちなんで名付けられたものでした。

その後、わずか17歳で院展に初入選するという驚異的な才能を発揮し、一躍注目を集めるようになります。

1916年には版元の渡邊庄三郎さんに誘われて新版画運動に参加し、木版画「対鏡」をはじめとする多くの名作を生み出しました。

本妻・好子をモデルにした大作群

伊東深水さんが特に評価されたのは、やはり美人画の分野です。

鏑木清方さんや上村松園さんと並んで「美人画の三巨匠」と呼ばれるほどの存在でした。

正妻の好子さんをモデルにした大作を数多く発表し、1948年には「鏡」で日本芸術院賞を受賞しています。

日本画独特の柔らかな表現で描かれた美人画は多くの人を魅了しましたが、その人気ゆえに美人画以外の注文がなかなか来ず、画家として困惑していた時期もあったそうですよ。

父に溺愛され人力車で通学した幼少期

朝丘雪路さんは1935年7月23日、東京市京橋区(現在の東京都中央区)築地で生まれました。

母親は芸者出身で、のちに料亭「勝田」の女将となった勝田麻起子さんです。

朝丘雪路さんは伊東深水さんの非嫡出子、いわゆる妾の子として生まれましたが、父からの愛情は計り知れないものがありました。

通っていた銀座の泰明小学校へは、なんと養育係とともに人力車で登下校していたというから驚きです。

しかも養育係は朝丘雪路さんが授業を受けている間もずっと車屋と学校で待機していたそうで、常に付き添いがいる状態だったんですね。

傘も差せず切符も買えなかった生活

深水さんの過保護ぶりはそれだけにとどまりません。

雨が降っても「指を怪我したら大変だ」と傘の開閉すら許さず、もちろん傘を持たせることもなかったそうです。

その結果、朝丘雪路さんは自分で切符を買ったことも、お金の使い方を覚えることもないまま成長しました。

生涯にわたって一人で公共交通機関に乗れなかったという逸話が残っているほどです。

中学生のとき、ほんの気まぐれで一人での通学を試みたところ、途中で迷子になってしまい大騒ぎになったこともあったといいます。

また、膳に並んだシラスを見て「おとと(お魚)の目が怖い」と言えば、姉や婆やが魚の目を一つひとつ取り除いてくれたというエピソードも伝わっています。

芸名「朝丘雪路」は深水ら3人が込めた願い

朝丘雪路さんの芸名には、父・伊東深水さんの深い思いが込められています。

この芸名を考えたのは、伊東深水さん、歌舞伎役者の花柳章太郎さん、そして阪急東宝グループ創始者の小林一三さんの3人でした。

「冬の早朝、丘の上に白い雪が降り積もる。その路を美しく歩く女優に育ってほしい」

こんなロマンチックな意味を込めて「朝丘雪路」という芸名が誕生したんですね。

日本画家ならではの美的センスが光る命名で、まるで一枚の絵画のような情景が目に浮かびます。

ちなみに朝丘雪路さんは日舞の深水流家元としても活動しており、その際は「深水美智雪」という名を使っていました。

こちらも父の号「深水」をいただいた名前で、父と娘の絆の深さを物語っていますね。

宝塚入学のきっかけも父の交友関係だった

朝丘雪路さんが山脇学園中学校を卒業後、宝塚音楽学校に入学したのも、父の交友関係がきっかけでした。

伊東深水さんは娘の進路について、友人であり歌舞伎役者の花柳章太郎さんに赤坂の料亭で相談しました。

その場には、深水さんの友人で宝塚歌劇団の創始者でもある小林一三さんも同席していたそうです。

小林一三の「浮世離れした生活」への忠告

小林一三さんは深水さんに対してこう忠告しました。

「このような浮世離れした生活をさせていては、娘さんがだめになる」

この言葉を受けて、深水さんは渋々ながらも、朝丘雪路さんがいずれは実家を出て自立した生活を送ることを了承したといいます。

朝丘雪路さん本人も後年のトークショーで「宝塚に入りたいって父に頼んで裏口入学したの」と発言し、周囲を慌てさせたことがありました。

父と小林一三さんが友人同士だったことから、コネクションを使って入学したということなんですね。

宝塚に入ってからは上級生から「裏口入学はどの子?」と聞かれたり、いじめを受けたこともあったそうですが、本人は「全然つらくなかったし、なぜだかまったく平気でした」と振り返っています。

それまで洗い物や雑巾がけをしたことがなかったため、予科でのそうした作業がレッスンよりも楽しかったほどだったそうですよ。

1952年に宝塚歌劇団に入団し、月組の娘役として活躍しました。

「女の子は叱らない」が深水の子育ての信条

伊東深水さんの子育てには一つの確固たる信条がありました。

それは「女の子を叱っちゃいけない」というものです。

2012年のWendy-Netのインタビューで朝丘雪路さん本人がこう語っています。

「父はしょっちゅう『レディーでいなさい』と言っていました。『前髪が眉にかかってるよ、レディーはもう少し短くしておかないとね』なんて、こんな風にやさしく声をかけてくれるんです」

「でも、父の言うことを聞かなくても全然怒られない。『女の子を叱っちゃいけない』というのが父の持論で、女性を叱ったら後々まで恨まれるからと、まるで大人に話すみたいに中学生の私に語っていました」

父と娘の顔がそっくりだったこともよく知られていて、どこに行っても「似すぎておかしい」と笑われたそうです。

深水さんは自分の写真を求められると必ず朝丘雪路さんと一緒に写った写真を差し出していたほどで、娘に似ていると言われることをうれしく思っていたようですね。

友達が家に遊びに来ると「雪江ちゃんのパパに会いたい!」と大人気だったそうで、「今日は張り切ってごちそうするぞ」と奥に声をかけて「おーい、南京豆を皆に1粒ずつ持ってきておくれ」なんてジョークを言うような、お茶目で三枚目な性格の持ち主でもありました。

ただし、3人の弟たちには厳しく接していたそうで、娘への溺愛ぶりとの対比がまた興味深いですね。

朝丘雪路の父を調べる人向けの関連情報

朝丘雪路さんと父・伊東深水さんの関係を調べると、家系図や兄弟、遺産の行方など、さまざまな周辺情報も気になるところです。

ここからは、朝丘雪路さん自身の経歴やご家族に関する関連情報をまとめてお届けします。

家系図でわかる伊東深水一族の華麗な系譜

伊東深水さんの家系は、芸術と芸能の世界に数多くの著名人を輩出しています。

関係名前職業・備考
父(深水の父)伊東半三郎質屋経営(深川の素封家)
正妻好子深水の美人画のモデル
二男(正妻との子)伊東万燿日本画家(内閣総理大臣賞・日本芸術院賞受賞)
愛人勝田麻起子料亭「勝田」女将
娘(愛人との子)朝丘雪路(勝田雪会)女優・タレント
息子(愛人との子)勝田深氷日本画家
息子(愛人との子)勝田祥三電通勤務

朝丘雪路さんの夫は俳優の津川雅彦さんで、津川さんの家系もまた華麗です。

津川さんの祖父は「日本映画の父」と呼ばれる牧野省三さん、父は俳優の沢村國太郎さん、母は女優のマキノ智子さん、そして兄は俳優の長門裕之さんという、まさに芸能一家でした。

朝丘雪路さんにとって長門裕之さんは義兄にあたり、長門さんの妻である南田洋子さんは義姉にあたります。

芸術の一族と芸能の一族が婚姻によってつながったわけで、その家系図はまさに日本の文化史を映し出すようなものですね。

兄弟は異母兄の伊東万燿と同母弟の勝田深氷

朝丘雪路さんには複数の兄弟がいました。

まず、異母兄にあたるのが伊東万燿(いとう まんよう)さんです。

伊東万燿さんは伊東深水さんと正妻・好子さんの間に1921年に生まれた二男で、父と同じく日本画家の道に進みました。

内閣総理大臣賞や日本芸術院賞を受賞するなど輝かしい実績を残しましたが、1970年に食道がんのため49歳という若さで亡くなっています。

一方、朝丘雪路さんと同じ母親(勝田麻起子さん)から生まれた同母弟として、日本画家の勝田深氷さんと、電通に勤務していた勝田祥三さんがいます。

朝丘雪路さん本人もインタビューで「3人の弟がいた」と語っており、弟たちには父が厳しく接していたのに対し、自分だけは特別に甘やかされていたことを振り返っています。

父の号を受け継いだ「深氷」という名からもわかるように、勝田深氷さんも伊東深水さんの芸術的DNAを継承した人物だったといえますね。

遺産や深水の絵画は津川雅彦の事業で売却された

朝丘雪路さんの遺産に関して話題になったのは、夫・津川雅彦さんの事業に関連する出来事でした。

津川雅彦さんは玩具・絵本販売店「グランパパ」を経営していましたが、この事業が6億円もの負債を抱えてしまいます。

その返済のために、2008年には朝丘雪路さん名義の豪邸を売却することになりました。

さらに、父・伊東深水さんから受け継いだ貴重な絵画作品も返済に充てるためにほぼ売却されてしまったといわれています。

伊東深水さんの美人画は現在も美術市場で高い評価を受けており、作品によっては数百万円から数千万円の値がつくほどです。

それだけの価値がある作品群が手放されることになったのは、やはり惜しまれる出来事だったのではないでしょうか。

若い頃は宝塚の娘役として活躍していた

朝丘雪路さんは1952年に宝塚歌劇団に入団し、月組の娘役として舞台に立っていました。

在団中にはジャズ歌手としてもデビューを果たし、数々のステージを踏んでいます。

宝塚退団後は松竹映画と専属契約を結び、女優としてのキャリアをスタートさせました。

その後フリーとなり、映画やテレビドラマ、バラエティ番組と幅広いジャンルで活躍していきます。

特にテレビ番組「11PM」での司会者としての姿が広く知られており、天然キャラのお嬢様タレントとして多くの視聴者に親しまれました。

主な出来事
1935年東京都中央区築地で誕生
1952年宝塚歌劇団に入団(月組)
1960年代松竹映画と専属契約、女優活動を本格化
1965年頃「11PM」の司会者として人気を博す
1981年文化庁芸術祭優秀賞を受賞
2003年芸術選奨文部科学大臣賞を受賞
2011年旭日小綬章を受章

数々の賞を受賞してきた実力派であり、父・伊東深水さんが芸名に込めた「美しく歩く女優に育ってほしい」という願いを見事に体現した人生だったといえますね。

娘の真由子は生後5か月で誘拐事件に遭った

朝丘雪路さんと津川雅彦さんの間には、1974年3月18日に長女の真由子さんが誕生しています。

しかし、真由子さんが生後わずか5か月の1974年8月15日午前3時、東京都世田谷区の自宅2階から何者かに連れ去られるという衝撃的な事件が起きました。

犯人は身代金500万円を要求し、第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)の偽名口座への振り込みを指示しました。

津川さんは警察の指示に従い、まず150万円を指定口座に振り込みます。

翌日の8月16日、犯人が現金自動支払機で引き出しを行ったところを張り込みの刑事が確保し、逮捕に至りました。

真由子さんは犯人の自宅がある千葉県我孫子市のアパートで、約41時間ぶりに無事保護されています。

真由子さんは成人後に女優としてデビューし、現在も芸能活動を続けています。

2024年12月には「徹子の部屋」に出演し、2018年に相次いで亡くなった両親への思いを語りました。

朝丘雪路さんの没後に出てきた「大切なもの」と書かれた2つの箱の中身について明かすなど、母との思い出を振り返っています。

津川雅彦さんは真由子さんの結婚には長年反対し続けていましたが、最終的には結婚を認めてくれたそうですよ。

死因はアルツハイマー型認知症だった

朝丘雪路さんは2018年4月27日、82歳でこの世を去りました。

死因はアルツハイマー型認知症と発表され、認知症が直接の死因として記載されるのは珍しいことだと当時話題になりました。

朝丘雪路さんは亡くなる4〜5年前にアルツハイマー型認知症を発症しており、それまで別居生活を送っていた津川雅彦さんが自宅での介護に切り替えて、家族で過ごす時間を増やしたといいます。

アルツハイマー型認知症は認知能力の低下だけでなく、循環器や呼吸器にも支障をきたすことがあり、嚥下障害から肺炎を引き起こすケースも多い病気です。

朝丘雪路さんの訃報は夫の津川雅彦さんが会見で発表し、「大丈夫じゃないね」と悲痛な胸の内を明かしました。

そしてその約3か月後の2018年8月4日、津川雅彦さんも後を追うように78歳で亡くなっています。

おしどり夫婦として知られた2人が同じ年に相次いで旅立ったことは、多くのファンに深い悲しみを与えました。

朝丘雪路の父のまとめ

  • 朝丘雪路の父は日本画家の伊東深水で、美人画の巨匠として知られる
  • 伊東深水は1898年東京・深川生まれで、鏑木清方に師事し「深水」の号を授かった
  • 小学校3年で家が没落し中退、苦労の末に17歳で院展初入選を果たした
  • 正妻の好子をモデルにした美人画で1948年に日本芸術院賞を受賞
  • 朝丘雪路は深水と料亭女将・勝田麻起子の間に非嫡出子として誕生
  • 小学校へは養育係とともに人力車で通学するほど溺愛された
  • 傘も差せず切符も買えないまま育ち、生涯一人で公共交通に乗れなかった
  • 芸名「朝丘雪路」は深水・花柳章太郎・小林一三の3人が命名
  • 「冬の早朝、丘の上に雪が積もる路を美しく歩く女優に」との願いが込められている
  • 宝塚入学は小林一三と父の友人関係がきっかけで実現した
  • 深水は「女の子を叱っちゃいけない」が子育ての信条だった
  • 異母兄の伊東万燿は日本画家で49歳で早世、同母弟に勝田深氷らがいる
  • 伊東深水の絵画は津川雅彦の事業の負債返済のためにほぼ売却された
  • 娘の真由子は生後5か月で誘拐事件に遭い約41時間後に無事保護
  • 朝丘雪路は2018年にアルツハイマー型認知症で82歳で死去し、津川も約3か月後に逝去

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)