柳澤秀夫は息子と娘に「うちにはお父さんはいない」と言われた?衝撃の親子エピソードを紹介

柳澤秀夫は息子と娘に「うちにはお父さんはいない」と言われた?衝撃の親子エピソードを紹介

記事内に広告を含みます

柳澤秀夫さんは、NHKの国際部記者として世界の紛争地帯を取材し続けてきた伝説的なジャーナリストです。

そんな柳澤さんには息子さんと娘さんの2人のお子さんがおり、娘さんは理系出身で製薬会社に勤務していることが知られています。

「徹子の部屋」では「うちにはお父さんはいない」と子供たちに言われたと告白するなど、仕事一筋に生きてきた柳澤さんの家族エピソードに迫ります。

この記事を読むとわかること
・柳澤秀夫の息子・娘のプロフィールと現在の職業
・「うちにはお父さんはいない」と言われた衝撃の親子エピソード
・妻との馴れ初めや肺がん克服の経緯

柳澤秀夫の息子・娘はどんな人?家族プロフィールと親子関係

柳澤秀夫さんには息子さんと娘さんの2人のお子さんがいます。ジャーナリストとして世界を飛び回ってきた柳澤さんと、その家族の絆を紐解いていきましょう。

息子と娘は何人いる?

柳澤秀夫さんの子供は、息子さんと娘さんの2人です。

柳澤さんは1953年生まれで現在72歳。

長年にわたりNHKのジャーナリストとして活躍し、海外特派員としてカンボジアや湾岸戦争などの紛争地帯を取材し続けてきたことから、家庭にいる時間はきわめて少なかったと言われています。

お子さんたちは2人とも一般人として生活しており、名前や年齢などの詳細情報は一切公表されていません。

芸能界や放送業界への進出もなく、いわゆる「二世タレント」とはならずに、それぞれの道を歩んでいるようですよ。

子供性別詳細
第1子息子名前・年齢・職業ともに非公開
第2子理系出身・製薬会社勤務

息子さんについては現在に至るまでほぼ情報がありませんが、娘さんについては後述するとおり、ちょっとした情報が公になっています。

娘は理系出身で製薬会社勤務

柳澤さんの娘さんは、理系の大学を卒業後、製薬会社に勤務していることがわかっています。

この情報が明らかになったのは、柳澤さんが2007年に肺がんを告知されたときのエピソードからです。

肺がんと診断された直後、娘さんが父のために「肺がんについて詳しく解説した本」を持ってきてくれたそう。

「娘が本を持ってきてくれたけど、とても読む気にはなれなかった」と柳澤さんは後に語っています。

これは製薬会社に勤める娘さんだからこそできた行動で、医療・製薬の知識を持つ娘さんが父親の病気に正面から向き合おうとしてくれた、というわけですね。

娘さんの年齢は公表されていませんが、柳澤さんが1953年生まれであることを考えると、現在は40〜50代前後と考えられます。

製薬会社での勤務経験があるということで、医療や薬学の分野で専門知識を持つ方なのかもしれませんね。

肺がん告知時に解説本を持参

前述のとおり、柳澤さんが肺がんと告知されたとき、娘さんはすぐに行動に移しました。

「お父さんに知ってほしい」という気持ちからだったのでしょう、肺がんの治療法や病状について解説した専門書を持参したそうです。

しかし柳澤さん本人は、「そんな本を読む精神的な余裕がまったくなかった」と振り返っています。

がんと告知された直後の心境として、非常にリアルな感情表現ですよね。

娘さんの行動は父への愛情と製薬の専門知識が合わさったもので、親子の絆がにじみ出るエピソードとして、柳澤さん自身が著書や番組の中で何度か語っています。

息子の職業・現在の様子は?

柳澤さんの息子さんについては、現時点でほぼ情報がありません。

名前・年齢・職業・現在の活動……どれも一切公表されておらず、徹底的に一般人として生活しているようです。

娘さんには製薬会社勤務という情報が伝わっているのに対し、息子さんについては複数のメディアや芸能情報サイトを調べても「詳細不明」との記述しか見当たらないほどです。

柳澤さん自身も、息子さんについて公の場で語った記録はほとんどなく、プライバシーを守る姿勢が強いと感じます。

柳澤さんが1953年生まれということを踏まえると、息子さんは現在40〜50代前後と推測されますが、芸能・メディア業界での活動は見受けられません。

「親の七光り」を嫌い、自分の力で生きていこうとする意思の表れかもしれませんね。

息子さんの詳細が今後明らかになることがあれば、追ってお伝えしたいと思います。

子育ては妻任せ、仕事に捧げた日々

柳澤さんが長年の仕事人生を振り返るとき、よく出てくる話題のひとつが「子育てをほぼ妻に任せきりだった」ということです。

NHKの国際部記者として活躍していた1980年代〜90年代、柳澤さんはバンコク・マニラ・カイロに特派員として赴任し、カンボジア内戦や湾岸戦争などの紛争地帯を取材していました。

当然、家族と一緒にいる時間はほとんどなく、妻が子供たちの教育や日常の世話をひとりで引き受けていたのです。

妻に対して柳澤さんは「連絡がないということは、生きているということと思ってて」という言葉を残していたそうで、危険な地域での取材中は生死の確認さえままならない状況だったことがわかります。

それだけ過酷な環境に身を置きながら記者としての使命感で動き続けていたわけで、家庭を守ってくれた妻への感謝は相当なものだったでしょう。

妻にすべてを委ねて仕事に打ち込む姿勢は、当時のNHK記者としてはある意味「当たり前」の生き方だったかもしれません。

しかし、それが家族にどういう影響を与えたかは、次の項目で紹介するエピソードに如実に表れています。

「うちにはお父さんはいない」と言われた親子エピソード

柳澤さんがテレビ朝日系「徹子の部屋」に出演した際、とても印象的な告白をしています。

それが「子供たちに『うちにはお父さんはいない』と言われた」という話です。

子育てのほぼすべてを妻に任せ、仕事最優先で生きてきた結果、子供の目には「家にいないお父さん」として映っていたわけです。

本人も、この話を恥ずかしそうに、でもどこかユーモアを交えながら話していたそう。

「徹子の部屋」という番組の性質上、黒柳徹子さんとのやりとりの中で自然と出てきた話題だったと思われますが、笑い話のようでいて、家族との関係を深く反省している柳澤さんの本音が垣間見えます。

海外特派員として家族のいる日本を長期間離れることを繰り返してきた結果、子供の成長を間近で見ることができなかった……これは柳澤さん世代のNHK記者が多く抱えている悩みでもあるかもしれません。

ただ、現在も妻と離婚せず、子供たちとも関係が続いているという点では、時間をかけて家族の絆を取り戻してきたのかもしれませんよね。

家族に対する世間の声

柳澤さんの家族に関するネット上の声をまとめると、おおむね温かい反応が多いです。

特に多いのが「妻が偉い」という声。

海外の紛争地帯に夫を送り出し、連絡もままならない状況で子供2人を育て上げた妻の姿勢を称える声は非常に多く見られます。

娘さんが製薬会社に勤めているというエピソードについても、「子供がしっかり育っているのは妻の子育ての賜物では」というコメントが目立ちます。

一方で、「徹子の部屋」の「うちにはお父さんがいない」発言については、「笑える話だけどちょっと切ない」「仕事命だったんだな」という共感の声が多く、柳澤さんの人柄や生き様に理解を示すコメントが目立ちます。

息子さんについては情報がまったくないため、「どんな人なんだろう」「芸能界に出ないのかな」という好奇心のある声もちらほら見られますよ。

柳澤秀夫の息子を調べる人向けの関連情報

柳澤秀夫さんの息子さんを検索する方が気になる関連情報もまとめました。妻との夫婦エピソードや肺がん克服の経緯、NHK退職の理由まで、柳澤さんの人生をより深く知ることができますよ。

妻は中学時代の同級生

柳澤さんの妻は、中学時代の同級生だということが複数の情報源で確認されています。

2人は福島県会津若松市の出身ということもあり、地元の中学校で出会ったものと思われます。

結婚後の詳細な年齢や名前は公表されていませんが、1953年生まれの柳澤さんと同学年とすると、現在は70代前後ということになります。

幼い頃からの知り合いということもあって、2人の絆は非常に深いようです。

柳澤さんが海外特派員として長期間家を空けていた間も、妻は黙って家族を守り続け、離婚することなく今日に至っています。

中学時代の旧知の仲だからこそ、危険な仕事に身を投じる夫の使命感を理解し、信頼し続けることができたのかもしれませんよね。

肺がん治療中に言われた「親より先に死ぬのは親不孝」

柳澤さんが2007年に肺がんの告知を受けたとき、妻から言われた言葉が今も語り草になっています。

その言葉が「親より先に死ぬのは親不孝」。

がんと聞いて動揺しているなか、優しい言葉でもなく、励ましの言葉でもなく、妻がかけたのはこのシンプルで直球な一言だったというのです。

柳澤さん本人は、この言葉に強くはっとさせられたと語っています。

「死んだらおしまいだ。なりふり構わず、しぶとく生きる」という決意をした柳澤さんにとって、妻のこの言葉は回復への大きな原動力となったようです。

長年、夫の帰りを待ち続けてきた妻だからこそ言える言葉だったかもしれません。

厳しくも深い愛情が感じられる、印象的なエピソードです。

肺がんを克服した経緯

柳澤さんが肺がんと診断されたのは2007年のことです。

当時、NHKの看板番組「ニュースウオッチ9」のメインキャスターに就任してから1年半が経ったころのことでした。

きっかけは職場の定期健康診断。

X線フィルムを確認した医師が「右の肺の上部に影がある」と指摘し、精密検査の結果、肺がんと診断されます。

「まさか自分が」という思いが強かったと、柳澤さんは後に著書や番組で明かしています。

それまで世界の紛争地帯を取材し、砲弾が飛び交う現場でも臆せず動き続けてきた人物が、病気という目に見えない敵に突然立ちはだかられた形になりました。

時期出来事
2007年定期健診で右肺上部に影を発見。肺がんと診断
2007年ニュースウオッチ9のキャスターを降板
2007〜2008年右肺上部摘出手術。抗がん剤・放射線治療を約1年間受ける
2009年解説委員として仕事に復帰
2012年NHKスペシャルで初めて肺がんを公表

手術は右肺上部を摘出するもので、その後は抗がん剤投与と放射線治療を1年間にわたって受け続けました。

治療中には妻の「親より先に死ぬのは親不孝」という言葉に背中を押され、「しぶとく生きる」という決意で治療に臨んだそうです。

2009年には無事に仕事に復帰し、解説委員として活動を再開。

2012年放送のNHKスペシャルで初めて自ら肺がんであったことを公表し、がんサバイバーとして闘病体験を世に伝えるようになりました。

現在は肺がんを完全に克服しており、精力的にコメンテーターとして活躍しています。

NHKを退職した理由

柳澤さんがNHKを退職したのは2018年9月30日のことです。

退職の理由は「雇用期間の満了」というシンプルなもの。

NHKでは定年が60歳で、その後は最長65歳まで再雇用として契約更新を続けることができます。

柳澤さんはこの再雇用期間をフルに使い、65歳で完全退職という形を選びました。

退職時に発表したコメントが「小生 現役でいたい」というもの。

65歳を迎えてもジャーナリストとして最前線に立ち続けたいという強い意志が、このシンプルな一言に詰まっています。

退職直後の2018年10月1日からは、芸能プロダクション「ホリプロ」とマネジメント契約を締結。

テレビ朝日の情報番組「ワイド!スクランブル」の水・金曜コメンテーターとして民放デビューを果たしました。

NHKという組織の枠を超えて、フリーのジャーナリストとして自由な発言ができる立場に身を置こうとした柳澤さんの選択は、当時も多くの注目を集めました。

「現役でいたい」という言葉どおり、退職後も衰えることなく精力的な活動を続けています。

現在の活動と出演番組

2018年にNHKを退職後、ホリプロ所属のジャーナリストとして活躍を続けている柳澤さん。

現在の主な活動は、テレビのコメンテーターと講演会です。

「ワイド!スクランブル」(テレビ朝日)を中心に、さまざまな情報番組でコメンテーターとして政治・国際情勢・社会問題などについて鋭い発言を続けています。

2020年には初の著書「記者失格」(朝日新聞出版)を出版。

NHK記者時代の経験、肺がんとの闘い、生への執着、組織ジャーナリズムの矛盾など、記者人生のすべてを書き下ろした作品で、発売後に話題を集めました。

また意外なところでは、アマチュア無線が趣味で、コールサインは「JA7JJN」として活動しています。

2020年にはテレビ出演を自宅の無線室から行うという珍しい試みも話題になりました。

草彅剛さんとはドキュメンタリー番組「ニュースな街に住んでみた!」の企画で、韓国・ソウルのアパートに2人きりで住み込むロケを行ったこともあり、独特の交友関係が注目されることもあります。

現在72歳ながら、その発言の鋭さと現場感覚は健在で、テレビの現場での存在感は衰えていません。

柳澤秀夫の息子・娘と家族についてのまとめ

  • 柳澤秀夫には息子1人・娘1人の合計2人の子供がいる
  • 子供たちはいずれも一般人として生活しており、名前・年齢は非公開
  • 娘は理系の大学を卒業し、製薬会社に勤務している
  • 息子については名前・年齢・職業を含め一切の詳細情報が公表されていない
  • 肺がん告知時、娘が解説本を持参してくれたが柳澤さんは読む気になれなかったと語っている
  • 子育てはほぼ妻に任せきりで、仕事優先の生き方を貫いてきた
  • 「徹子の部屋」出演時に子供たちから「うちにはお父さんはいない」と言われたと告白した
  • 妻は中学時代の同級生で、名前や年齢は非公開
  • 妻は海外赴任中の柳澤さんに「連絡がないということは生きているということ」と伝え、家族を守り続けた
  • 肺がん告知時、妻から「親より先に死ぬのは親不孝」という言葉をもらい、それが回復の大きな原動力となった
  • 2007年に肺がんを発症し、右肺上部摘出手術・抗がん剤・放射線治療を1年間受けた
  • 2009年に仕事復帰し、2012年のNHKスペシャルで初めて闘病を公表した
  • 2018年9月30日にNHKを退職(65歳・再雇用満了)、「小生 現役でいたい」とコメント
  • NHK退職後はホリプロ所属でフリーとなり、「ワイド!スクランブル」等でコメンテーターとして活躍中
  • 趣味はアマチュア無線(コールサインJA7JJN)で、2020年には無線室からテレビ出演も話題になった

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)