ドジャースのデーブ・ロバーツ監督の父親がどんな方だったのか、気になっている方も多いのではないでしょうか。
父・ウェイモンさんは元海兵隊員として沖縄に赴任中に母・栄子さんと出会い、国際結婚に至った感動的なストーリーの持ち主です。
この記事では、ウェイモンさんのプロフィールから結婚秘話、親子エピソード、そしてロバーツ監督の家族構成や経歴まで詳しくまとめました。
・ロバーツ監督の父親ウェイモンの経歴と人物像
・沖縄での両親の出会いから結婚までのエピソード
・ロバーツ監督の家族構成や選手時代の経歴
ロバーツ監督の父親ウェイモンの人物像と親子の絆
ドジャースを率いるデーブ・ロバーツ監督の父親について、気になっている方は多いのではないでしょうか。
ここでは、父ウェイモンさんの経歴や家族のエピソード、そして親子の深い絆について詳しくお伝えしていきます。
父ウェイモンは元海兵隊員で砲術曹長
ロバーツ監督の父親は、ウェイモン・ロバーツさんといいます。
1948年8月21日にアメリカ・テキサス州ヒューストンで生まれたアフリカ系アメリカ人で、アメリカ海兵隊に所属していました。
軍では砲術曹長という階級まで昇進しており、いわゆる下士官として部隊を支える立場にあったんですね。
ウェイモンさんが海兵隊員として赴任していたのが、日本の沖縄県にある米軍基地でした。
この沖縄への赴任が、のちに息子デーブ・ロバーツ監督の人生を大きく変えるきっかけとなります。
軍人として規律正しい生活を送っていたウェイモンさんですが、家族に対してはとても温かい人柄だったようですよ。
テキサス州ヒューストン出身のアフリカ系アメリカ人
ウェイモンさんの出身地であるテキサス州ヒューストンは、アメリカ南部の大都市として知られています。
アフリカ系アメリカ人として生まれ育ったウェイモンさんが海兵隊に入隊した背景には、当時のアメリカ社会における黒人コミュニティの状況も関係していたのかもしれません。
海兵隊は厳しい訓練で知られる軍の組織ですから、そこで砲術曹長まで昇進したということは、ウェイモンさんがかなりの努力家であり、周囲からの信頼も厚かったことがうかがえます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | ウェイモン・ロバーツ |
| 生年月日 | 1948年8月21日 |
| 出身地 | テキサス州ヒューストン |
| 人種 | アフリカ系アメリカ人 |
| 職業 | アメリカ海兵隊員(砲術曹長) |
| 没年月日 | 2017年3月17日(68歳) |
沖縄で母・栄子と出会い結婚に至るまで
ウェイモンさんと、デーブ・ロバーツ監督の母・栄子さんとの出会いは、沖縄の米軍基地がきっかけでした。
栄子さんは沖縄県那覇市松川の出身で、もともとは宮古列島の伊良部島で1948年に生まれ、3歳のときに那覇市へ移り住んだという経歴を持つ方です。
2人を引き合わせたのは共通の友人で、紹介を通じて知り合った2人はすぐに深い交際へと発展していきました。
当時の沖縄は、まだアメリカの施政権下にあった時代です。
日本人女性と米軍関係者の交際は珍しくなかったものの、結婚となるとさまざまなハードルがあったんですね。
それでもウェイモンさんと栄子さんは、お互いを深く思い合い、結婚を決意するに至りました。
母・栄子のプロフィール
栄子さん(旧姓・池原)は1948年生まれで、ウェイモンさんと同い年です。
宮古列島の伊良部島という小さな島で生まれたのち、幼少期に那覇市松川へ移っています。
のちにアメリカへ渡り、カリフォルニアで暮らすことになる栄子さんですが、沖縄への愛着は生涯変わらなかったようですよ。
ちなみに、デーブ・ロバーツ監督の日本名は「池原礼(いけはら れい)」といい、母方の姓を受け継いでいます。
両親の猛反対を乗り越えた基地内の結婚式
ウェイモンさんと栄子さんが結婚を決めたとき、栄子さんのご両親からは猛反対を受けました。
反対の理由は主に2つあったといいます。
まず、2人がまだ若かったこと。
そしてもう1つは、相手がアメリカ人だったことです。
さらに、ウェイモンさんが軍人として従軍していたため、栄子さんがアメリカに移住することも両親にとっては大きな不安材料でした。
愛する娘が遠い異国の地へ行ってしまうかもしれない、という親心を考えると、反対する気持ちもわかりますよね。
しかし、2人の決意は固く、1971年に結婚。
両親の心がまだ穏やかでなかったこともあり、盛大な披露宴ではなく、基地内の教会に友人4人だけを招いてのささやかな結婚式となりました。
ここ、ちょっと切ない部分でもありますが、2人の強い愛情が伝わるエピソードですよね。
そして、翌1972年5月31日に長男デーブ(のちのロバーツ監督)が那覇市で誕生します。
初孫を抱いた栄子さんのご両親は大喜びし、それをきっかけにウェイモンさんに対しても心を開き、ようやく結婚を認めてくれたそうですよ。
親子関係を物語るエピソードと父への感謝
ウェイモンさんとデーブ・ロバーツ監督の親子関係は、とても温かいものだったことが複数のエピソードからうかがえます。
デーブが生まれた翌年の1973年、家族はアメリカのカリフォルニア州サンディエゴ郡オーシャンサイド市へ移住しました。
その後、ノースカロライナなど複数の赴任地を経験するのですが、ここで印象的なエピソードがあります。
母・栄子さんがホームシックになってしまったとき、ウェイモンさんは沖縄への転勤をリクエストしたんです。
妻が故郷を恋しがっているのを見て、軍の人事異動を自ら申請してまで沖縄に戻ろうとした、というのはなかなかできることではありません。
ホームシック時の沖縄転勤リクエスト
この転勤リクエストが認められ、デーブが6歳のときに家族は再び沖縄で1年間暮らすことになりました。
アメリカ軍の中で転勤先を自ら希望するというのは、必ずしも通るものではありませんから、ウェイモンさんの家族思いな一面がよくわかるエピソードですよね。
デーブにとっても、幼少期に母の故郷・沖縄で過ごした1年間は、のちの「沖縄は私の故郷だ」という発言につながる原体験となったのではないでしょうか。
ウェイモンさんは家族を大切にする父親であり、厳格な軍人でありながらも、妻や子供の気持ちに寄り添える優しい人物だったことがわかります。
父の死去と遺灰をまいたドジャースタジアム
ウェイモンさんは2017年3月17日に、68歳で亡くなりました。
ロバーツ監督にとって、父の死は大きな悲しみだったに違いありません。
しかし、ロバーツ監督は父の存在を野球の世界で感じ続けていたようです。
ロバーツ監督は父の日のインタビューで、こんなことを語っています。
「2017年、アストロズとのワールドシリーズ第1戦の前にこの場所(三塁ベンチ)に立って、父の遺灰を少しだけまいた」
試合中に座っている場所から、いつも父のことを思い出すのだそうです。
ドジャースタジアムという、自分が最も輝く場所に父を「一緒にいさせたい」という思いが込められた行為は、多くのファンの心を打ちました。
監督という重責を背負いながら、常に亡き父への思いを胸に抱いている姿は、とても人間味があって素敵ですよね。
2020年ワールドシリーズ優勝時の母の言葉
父ウェイモンさんが亡くなった3年後の2020年、ドジャースはワールドシリーズで優勝を果たしました。
このとき、母・栄子さんは亡き夫ウェイモンさんの墓前を訪れ、手を合わせてこう語りかけたそうです。
「デーブがやったよ。あなたが天国から見守ってくれたおかげで、ドジャースが勝ったよ」
この言葉を聞くと、ウェイモンさんと栄子さんの夫婦の絆、そしてロバーツ監督への深い愛情が感じられて、胸が熱くなりますよね。
母・栄子の現在とロバーツ監督との同居生活
父ウェイモンさんが亡くなった後、母・栄子さんは現在、ロバーツ監督とロサンゼルスで同居しているとされています。
栄子さんにとって、息子がメジャーリーグの監督として活躍する姿を間近で見られるのは、何よりの喜びでしょう。
2020年のワールドシリーズ優勝時には、沖縄のメディアにも登場し、息子の活躍を誇らしげに語っていました。
栄子さんは「息子にも(沖縄の景色を)見せたかったな」と語ることもあり、故郷・沖縄への思いは今も変わらないようです。
ロバーツ監督自身も「沖縄は私の故郷だ」「自分は母方の代表でもある」と公言しており、母のルーツである沖縄を大切にし続けています。
親子の絆は、父ウェイモンさんが亡くなった後も、母・栄子さんを通じてしっかりと受け継がれているんですね。
ロバーツ監督の父親を調べる人向けの関連情報
ロバーツ監督の父親について調べている方は、監督自身のプロフィールや家族構成も気になるところですよね。
ここでは、ハーフとしてのルーツや妻・子供、妹、そして選手時代の経歴や沖縄との関係まで、幅広くご紹介します。
デーブロバーツはハーフで沖縄県那覇市生まれ
デーブ・ロバーツ監督は、アフリカ系アメリカ人の父ウェイモンさんと日本人の母・栄子さんの間に生まれたハーフです。
正式名はデビッド・レイ・ロバーツ(David Ray Roberts)で、日本名は池原礼(いけはら れい)といいます。
1972年5月31日に沖縄県那覇市で誕生し、1歳のときに家族でカリフォルニア州サンディエゴ郡オーシャンサイド市へ移住しました。
幼い頃に渡米しているため、日本語を話すことはできないそうですが、日本との縁は深く、2025年の日本開幕シリーズにも特別な思いを持って臨んでいます。
「自分は母方の代表でもある。沖縄、日本は自分の一部」と語っており、自身のルーツに誇りを持っている監督なんですね。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | デビッド・レイ・ロバーツ(David Ray Roberts) |
| 日本名 | 池原礼(いけはら れい) |
| 生年月日 | 1972年5月31日 |
| 出生地 | 沖縄県那覇市 |
| 国籍 | アメリカ合衆国 |
| 身分 | 日本人の母とアフリカ系アメリカ人の父を持つハーフ |
妻トリシアとは高校時代に恋に落ちた仲
ロバーツ監督の妻は、トリシア・ロバーツさんです。
カリフォルニア州サンディエゴ出身で、高校時代にロバーツ監督と同じランチョ ブエナビスタ高校に通っていました。
ロバーツ監督自身が「あれは15歳、恋に落ちました」と語っているように、高校生の頃に出会い、そのままお付き合いが始まったそうですよ。
1997年に結婚し、結婚生活は2025年現在で28年以上になります。
トリシアさんはワインのソムリエ資格を持ち、さらに自身でインテリアデザイン会社を立ち上げて経営しているという、才色兼備な女性です。
ロバーツ監督は53歳の今でも「デートしています」と公言しており、夫婦仲の良さはファンの間でも有名ですよ。
さまざまなイベントにも夫婦で参加する姿がたびたび目撃されており、理想的なパートナーシップと言えますね。
子供は息子コールと娘エマーソンの2人
ロバーツ監督とトリシアさんの間には、2人のお子さんがいます。
長男のコールさんは、父と同じ野球の道を歩んでいるんです。
ロヨラ・メリーマウント大学で野球に打ち込み、二塁手・遊撃手・外野手を守れるユーティリティプレーヤーとして活躍していました。
2023年にはアリゾナ・ダイヤモンドバックスに入団しましたが、2024年に退団。
その後、2025年にはフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結んでおり、父のようにメジャーリーグで活躍する日を目指して奮闘中です。
長女のエマーソンさんは、名門スタンフォード大学に通っています。
スタンフォードといえばアメリカの超難関大学ですから、文武両道の家庭で育ったことがうかがえますよね。
ロバーツ監督の家庭は、スポーツと学問の両方を大切にする教育方針のようです。
妹メリッサの家族とソフトボール一家の一面
ロバーツ監督には、妹のメリッサ・パーカーさんがいます。
実家の家族構成は、父ウェイモンさん、母栄子さん、長男デーブ(ロバーツ監督)、長女メリッサさんの4人家族でした。
メリッサさんは結婚してパーカー姓になっており、4人のお子さんの母親です。
面白いのは、メリッサさんの子供たちもスポーツに打ち込んでいること。
娘のエラさんはオクラホマ大学で、ミアさんはジョージ・ワシントン大学で、それぞれソフトボールをプレーしています。
兄のデーブが野球選手から監督へ、妹の子供たちがソフトボール選手と、ロバーツ家はまさにスポーツ一家ですね。
家族みんなが球技に縁があるというのは、ウェイモンさんと栄子さんがスポーツに理解のある家庭を築いていたからこそかもしれません。
選手時代は243盗塁の俊足外野手だった
ロバーツ監督は、監督になる前はメジャーリーガーとして活躍していた選手でもあります。
1994年のMLBドラフトでデトロイト・タイガースに28巡目で指名されてプロ入り。
その後、クリーブランド・インディアンスへのトレードを経て、1999年にメジャーデビューを果たしました。
メジャーに定着したのは2002年のロサンゼルス・ドジャース加入後で、この年にはチームトップとなる45盗塁を記録しています。
選手として最も語り継がれているのが、2004年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズでの「伝説の盗塁」です。
ボストン・レッドソックスに移籍していたロバーツは、ニューヨーク・ヤンキースとの第4戦で0勝3敗と追い込まれた場面に代走で登場。
1点ビハインドの9回に見事な盗塁を決め、チームの反撃のきっかけを作りました。
レッドソックスはその後4連勝でシリーズを逆転し、ワールドシリーズも制覇。
この盗塁は「ザ・スティール」と呼ばれ、レッドソックスの86年ぶりの優勝を語る上で欠かせないプレーとなっています。
通算成績は721安打、23本塁打、213打点、243盗塁、打率.266で、2009年に現役を引退しました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| プロ入り | 1994年 MLBドラフト28巡目(タイガース) |
| メジャーデビュー | 1999年 |
| 主な所属チーム | インディアンス、ドジャース、レッドソックス、パドレス、ジャイアンツ |
| 通算安打 | 721本 |
| 通算盗塁 | 243個 |
| 通算打率 | .266 |
| 引退 | 2009年 |
沖縄県民栄誉賞を受賞した故郷との絆
ロバーツ監督は2016年からドジャースの監督を務めており、球団史上初のマイノリティ(少数派人種)出身の監督として歴史を作りました。
監督としての成績は10年間で944勝575敗、勝率.621という素晴らしいもので、ナ・リーグ西地区優勝は9回、ワールドシリーズにも5回出場して3回優勝(2020年・2024年・2025年)を達成しています。
そんなロバーツ監督と故郷・沖縄との関係は、とても深いものがあります。
2024年のワールドシリーズ優勝時には、那覇市の知念覚市長が「沖縄県民の誇り」とコメントし、那覇市特別栄誉賞が授与されました。
さらに2025年6月14日には、ドジャースタジアムで沖縄県の玉城デニー知事から沖縄県民栄誉賞も授与されています。
ロバーツ監督は「沖縄に認められて光栄」「これからも責任を持ってウチナーンチュの姿を皆様に届けたい」と語りました。
2025年11月には琉球朝日放送の30周年記念講演会のために来沖し、那覇空港では親戚や友人が「おかえり」「連覇おめでとう!」と出迎えました。
ロバーツ監督は「故郷に帰ってきてうれしい、幸せだ。沖縄は私の故郷だ」と笑顔で語っており、父ウェイモンさんのルーツでもあるこの地との絆は、これからもずっと続いていくことでしょう。
ロバーツ監督の父親のまとめ
- ロバーツ監督の父親はウェイモン・ロバーツで、テキサス州ヒューストン出身のアフリカ系アメリカ人
- ウェイモンはアメリカ海兵隊員で砲術曹長の階級だった
- 沖縄の米軍基地に赴任中、友人の紹介で母・栄子と出会った
- 栄子は沖縄県那覇市松川出身で、旧姓は池原
- 1971年に結婚したが、栄子の両親からは猛反対を受けた
- 結婚式は基地内の教会で友人4人だけを招いて挙行
- 1972年5月31日に長男デーブ(ロバーツ監督)が那覇市で誕生
- 初孫の誕生がきっかけで栄子の両親がウェイモンを受け入れた
- 1973年にカリフォルニア州サンディエゴ郡オーシャンサイドに移住
- 栄子のホームシック時にウェイモンが沖縄転勤をリクエストし1年間暮らした
- ウェイモンは2017年3月17日に68歳で死去
- ロバーツ監督は2017年WS前にドジャースタジアムに父の遺灰をまいたとされる
- 母・栄子は現在ロバーツ監督とロサンゼルスで同居中とされる
- デーブ・ロバーツの日本名は池原礼(いけはら れい)
- 妻トリシアとは高校時代に出会い1997年に結婚し、2人の子供(コール、エマーソン)がいる


