丸山希さんの実家は、長野県野沢温泉村にある民宿「丸賢山荘」です。
ミラノ五輪で銅メダルを獲得した丸山希さんを育てたのは、スキー場から5分という恵まれた環境と、父・守さんや亡き母・信子さんをはじめとする温かい家族の存在でした。
この記事では、実家の民宿の場所・詳細から父・母・兄・姉それぞれの人物像、そして丸山さんを突き動かし続ける「亡き母の言葉」まで、実家にまつわる情報をすべてお届けします。
・丸山希さんの実家「丸賢山荘」の場所と民宿の詳細
・父・守さんと亡き母・信子さんの人物像と感動エピソード
・兄・雄さんや姉・純さんなど家族全員の現在
丸山希の実家は野沢温泉村の民宿
丸山希さんの実家がある野沢温泉村は、スキー選手を育てるのにこれ以上ない環境です。
村の地形から家族の絆まで、実家を取り巻くすべての要素が、今の丸山希さんを作り上げてきました。
実家は長野県野沢温泉村にある
丸山希さんの実家は、長野県下高井郡野沢温泉村にあります。
野沢温泉村といえば、日本屈指のスキーリゾート地として知られる場所ですよね。
人口はおよそ3,000人という小さな村ながら、村内には野沢温泉スキー場をはじめ3つものジャンプ台が整備されており、まさに「スキーの聖地」とも呼べる環境が整っています。
丸山さん本人も、取材でこんなことを語っています。
「野沢温泉で生まれ育ってなかったらスキージャンプには出会ってなかったかなと思います」
この一言に、故郷への深い愛着と感謝が込められていますよね。
野沢温泉村のジャンプ台は自宅からわずか5分という距離にあり、学校が終わった後は兄と姉と一緒に毎日のように通い続けたそうです。
冬になると一面が雪に覆われ、スキーが生活の一部として根付いているこの村だからこそ、スキージャンプという競技に自然と触れることができたのでしょう。
また、野沢温泉村はオリンピック選手を数多く輩出してきた土地でもあります。
2026年のミラノ・コルティナ五輪での銅メダル獲得により、丸山さんは野沢温泉村出身のオリンピックメダリストとしては3人目という記録を打ち立てました。
小さな村から3人ものオリンピックメダリストが生まれているというのは、本当にすごいことだと思います。
村全体でスキー文化を大切に守り、選手を育ててきた歴史が、こうした成果につながっているのでしょう。
野沢温泉村のジャンプ環境
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 場所 | 長野県下高井郡野沢温泉村 |
| 人口 | 約3,000人(2026年現在) |
| ジャンプ台数 | 村内3か所 |
| 自宅からジャンプ台まで | 徒歩約5分 |
| 出身オリンピックメダリスト | 3人(2026年時点) |
父・守が営む民宿「丸賢山荘」とは
丸山希さんの実家は、父・丸山守さんが営む民宿「丸賢山荘(まるけんさんそう)」です。
場所は長野県下高井郡野沢温泉村7776で、ゴンドラ乗り場まで徒歩3分という、スキー客にとって非常に便利な好立地に位置しています。
全室禁煙・無線LAN対応という現代のニーズにも応えた宿で、スキーシーズンには多くの観光客が訪れる人気の民宿です。
この丸賢山荘には、丸山さんが長年の競技人生で獲得してきたトロフィーの数々が飾られています。
テレビ信州の特集取材に応じた父・守さんは、取材カメラに向かってこんなエピソードを話してくれました。
「これも希がなんか自分でこれは残しといてっていうやつだけ残してるんですけど、あとそうでないものはこちらの方にタグだけ取って。飾る場所がなくなってきちゃったので…」
あまりのトロフィーの多さに飾るスペースがなくなってしまっているとのことで、父親としての誇らしい気持ちが笑顔と一緒に伝わってきましたよね。
希さんが「残しておいて」と自分で選んだ記念品だけを大切に展示しているというエピソードは、選手本人の几帳面さや、実家への深い愛着を感じさせてくれます。
民宿を訪れた宿泊客の中には、飾られたトロフィーを見て「あの丸山希選手の実家だ!」と感激する人も少なくないそうです。
丸賢山荘の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 丸賢山荘(まるけんさんそう) |
| 所在地 | 長野県下高井郡野沢温泉村7776 |
| 経営者 | 父・丸山守さん(現在は兄・雄さんも共同経営) |
| ゴンドラまでの距離 | 徒歩3分 |
| 設備 | 全室禁煙・無線LAN対応 |
父・守は娘を支えた最大の理解者
丸山希さんの父・丸山守さんは、民宿「丸賢山荘」を営みながら娘の競技を長年にわたってサポートしてきた、まさに「最大の理解者」です。
父・守さんのInstagramには、娘の試合を現地観戦したときの様子や試合結果など、希選手に関する投稿が多数掲載されており、親バカならぬ「理解者バカ」とも言えるほどの熱量で娘を見守り続けています。
子どもの頃の丸山さんについて、守さんはこんなふうに振り返っています。
「めっちゃ陽気でムードメーカーというか。あと『負けず嫌い』っていうのはありましたね。お兄ちゃんお姉ちゃんには負けたくないみたいな。それが今の成績に繋がってるのかなっていうのもありますしね」
末っ子ならではの負けず嫌いな性格が、今の世界トップクラスの実力を支えているというわけですね。
2021年の膝の大けが(左膝前十字靱帯損傷・外側半月板損傷・大腿骨腓骨骨挫傷)で、北京五輪出場が絶望的となった時期も、守さんはずっと傍で娘を支え続けました。
歩くことから始めたリハビリ、実戦復帰、そして2026年のミラノ五輪での銅メダルと、すべての瞬間を父として見届けてきた守さんの思いはいかばかりでしょうか。
現在、民宿は兄の雄さんも一緒に経営していますが、守さんはいまも変わらず、娘の応援に駆けつけ続けています。
亡き母・信子の「1番になれ」が原動力
丸山希さんの人生を語るうえで欠かせない存在が、母・丸山信子さんです。
信子さんは丸山選手の最大の応援団であり、同時に厳しさを教えてくれた大切な存在でした。
いつも娘に言い続けていた言葉は「1番になりなさい」。
その言葉は今も丸山さんの胸の中で生き続けています。
「だから頑張ろうと思えた」と、丸山さんは取材のたびにその言葉の重みを語ります。
しかし信子さんは、2017年1月10日にガンのため50歳という若さで亡くなりました。
丸山さんが明治大学に入学した年のことです。
闘病中も、信子さんは倒れるその直前まで娘の試合会場に足を運んで応援を続けていたといいます。
亡くなる2か月前の白馬村での大会にも足を運んだそうで、競技を愛する娘への想いは最後まで変わらなかったようです。
大学願書を破り捨てた母の厳しさ
信子さんの「厳しさ」を物語るエピソードとして語り継がれているのが、大学の願書を破り捨てた出来事です。
大学受験を控えていたある日、冬の遠征の合間に実家に帰った丸山さんが家でリラックスしていると、信子さんからこう言われました。
「家のことも手伝えない子はもうやらなくていい」
そして、本当に目の前で大学の願書を破り捨ててしまったのです。
この一件は「厳しいお母さん」のエピソードとしてよく紹介されますが、競技と学業と家庭を同時に両立することを一切妥協させなかった信子さんの教育方針が、今の丸山さんの精神的な強さを作り上げたのは間違いありません。
母に言われた「1番になりなさい」の言葉と、この厳しさの記憶が、丸山さんを世界トップクラスのジャンパーへと育てた原動力になっているのです。
母の葬儀よりも遠征を選んだ理由
丸山希さんが今の競技人生において最も大切にしているエピソードのひとつが、亡き母から受け取った「最後の言葉」にまつわる話です。
母・信子さんが亡くなる直前、丸山さんはちょうどW杯初出場のために遠征先の札幌にいました。
危篤の知らせを受けて一度帰宅し、母に会うことができましたが、その際に信子さんは父に向かってこんな伝言を残しました。
「せっかく自分でつかんだことを、もう変えられないことに使うんじゃない」
これは娘の帰宅を案じながらも、「チャンスを無駄にするな」と背中を押したメッセージでした。
丸山さんはこの言葉を受け、母の葬式に出ずに再び遠征へ旅立ちました。
W杯初出場という大きなチャンスを、天国へ旅立つ直前の母が手放すことを許さなかったのです。
「あの言葉が今につながっているのかな。まだ近くにいるじゃないかという思いが大きいです」
と丸山さんは振り返っています。
そして2026年ミラノ・コルティナ五輪で銅メダルを獲得した直後、丸山さんはテレビカメラの前でこうコメントしました。
「天国のお母さんに取ったよと伝えたいです。ゴールドメダルじゃないので怒ってるかもしれないですけど…」
涙ぐみながら笑顔でそう話す丸山さんの姿に、日本中が感動しましたよね。
名前「希」という字は、母・信子さんがつけてくれた名前です。
希望を叶えた「希」の字の通り、母の想いはミラノの空に届いたに違いありません。
家族と実家への世間の声
2026年のミラノ・コルティナ五輪で銅メダルを獲得した丸山希さんの活躍に、SNSや各種メディアでは家族や実家への温かいコメントが多数寄せられました。
Instagramでは、以前に丸賢山荘を訪れたことがあるというユーザーが、こんなコメントを投稿しています。
「丸山さんの実家は野沢温泉の丸賢山荘という宿屋で、何回かお世話になり泊まっていました。関西弁のおかみさんが、娘はジャンプをやってると言っていたのを思い出します。おめでとうございます」
このコメントから、かつては信子さんが民宿でおかみさんとして働いていたことがわかりますよね。
関西弁でお客様に娘の活躍を語っていたお母さんの姿が目に浮かぶようで、思わず胸が熱くなります。
Yahoo!ニュースのコメント欄でも、感動的な声が多く届きました。
「孝行したい時に親はなし、というけれど、亡くなられたお母様も娘の活躍を草葉の陰から喜んでおられることでしょう」
「苦労した人が報われると、見ている方も嬉しいものですね」
メダル獲得後の涙のインタビューで「天国のお母さんに」と語った場面には、多くの人が涙したはずです。
競技での強さだけでなく、母への深い想いを持ち続ける人間としての丸山さんの姿が、これほど多くの人の心を動かしているのでしょう。
丸山希の実家を調べる人向けの関連情報
丸山希さんの実家や家族について調べている方が気になるのは、やはり兄弟や家族の詳細ではないでしょうか。
家族全員がスポーツに深く関わっているというのも、丸山希さんならではの面白いポイントですよ。
兄・雄は実家の民宿を父と共に経営
丸山希さんには、6歳年上の兄・丸山雄さんがいます。
雄さんはもともとノルディック複合の選手で、スキーの技術を活かした競技に打ち込んでいました。
丸山家の子どもたちは、まず兄がスキージャンプを始め、その背中を見た姉が続き、末っ子の希選手がジャンプの道へ導かれていったのです。
東京の会社に勤めていた雄さんですが、2024年に仕事を辞めて実家の野沢温泉村に戻り、現在は父・守さんと一緒に民宿「丸賢山荘」を経営しています。
妹の活躍を誰よりも近くで見てきた兄として、雄さんは今シーズンの躍進をこう語っています。
「今までのシーズンも通して見てますけど、急に覚醒したなっていうふうに自分は見てます」
東京の仕事を捨ててまで実家に戻り、父と家業を守りながら妹を全力で応援する兄の姿は、丸山家の絆の深さを物語っていますよね。
姉・純もスキージャンプの実力者だった
丸山希さんには、3歳年上の姉・丸山純さんもいます。
純さんは東海大学に進学し、大学時代もスキージャンプを続けて活躍しました。
さらにはワールドカップ(W杯)への出場経験もあるというから、姉もかなりの実力者ですよね。
実は、希さんがスキージャンプの道に進んだのは、この純さんの影響によるところが大きいのです。
希さん自身は、最初にジャンプ台に立った時のことをこう振り返っています。
「3つ上に姉がいて6つ上に兄がいるんですけど、兄が最初にスキージャンプをはじめた影響で姉がはじめて、姉がはじめた時にクラブチームに女の子がいなかったので一緒に行こうって言われて、無理やり手を引っ張られて最初ジャンプ台に行ったのを覚えています」
「無理やり手を引っ張られて」ジャンプ台に連れて行かれたというエピソードが微笑ましいですよね。
その引っ張られた先に、オリンピックの表彰台があったというのですから、姉の一手が丸山希というアスリートを生み出したと言っても過言ではないかもしれません。
5人家族の末っ子として育った生い立ち
丸山希さんは、父・母・兄・姉・本人の5人家族の末っ子として生まれ育ちました。
野沢温泉村で民宿を営む家庭で生まれ、幼い頃から多くの宿泊客と接する環境で育ったことが、現在の人懐っこい性格や笑顔の明るさにつながっているのかもしれません。
スキーとの出会いは非常に早く、2歳の時にはじめてスキーを履いたといいます。
小学1年生の時、姉に「無理やり手を引っ張られて」ジャンプ台に連れて行かれ、そこで出会ったコーチのもとで練習を開始。
小学4年生から本格的にスキージャンプの練習をスタートしました。
最初のジャンプ体験については、こんな可愛らしいエピソードが残っています。
「コーチに台の真ん中くらいの場所に連れて行ってもらって、両腕をコーチが左右に持ってくれていたんですけど、全然心の準備ができていなくて。数分したらコーチも手が疲れるじゃないですか。で、いきなり手を離されて飛んだのを覚えています」
心の準備ができないまま「いきなり手を離されて飛んだ」という最初の一歩が、今や世界トップクラスのジャンパーへの道の始まりだったと思うと、何とも感慨深いですよね。
中学時代には、全日本スキー連盟ジュニアチームに中学生として唯一選ばれるほどの実力を発揮。
飯山市サマージャンプ大会では中学生女子の部で3年連続優勝を達成し、早くからその才能を証明しました。
「家族でスキー」が当たり前の日常だったこと、兄と姉と一緒に毎日ジャンプ台に通い続けた経験が、世界で戦える選手の土台を作り上げたのです。
| 年齢・時期 | できごと |
|---|---|
| 2歳 | はじめてスキーを履く |
| 小学1年生 | 姉に連れられジャンプ台に立つ |
| 小学4年生 | 地元ジャンプクラブで本格練習開始 |
| 中学時代 | 飯山市サマージャンプ大会中学女子3年連続優勝 |
| 中学在学中 | 全日本スキー連盟ジュニアチームに中学生唯一選出 |
| 高校入学(2014年) | 長野県飯山高等学校へ進学 |
| 2017年 | 明治大学政治経済学部に進学 |
野沢温泉村で育まれたジャンプの才能
野沢温泉村という場所が、丸山希というジャンプ選手を生み出すうえでいかに大きな役割を果たしたか、改めて整理してみましょう。
村内にある野沢温泉スキー場のジャンプ台は、丸山家から徒歩5分という距離にありました。
学校が終われば兄・姉と一緒にジャンプ台に向かうのが毎日の日課。
スキージャンプが「特別な競技」ではなく「遊び場で楽しむもの」として身体に染み込んでいたのが、野沢温泉という地域ならではの環境でした。
村内には大・中・小の3つのジャンプ台があり、それぞれ難易度に合わせて練習できる恵まれた施設が整っています。
全国的に見ても、村単位でこれだけの数のジャンプ台を持つ地域は非常に珍しく、「ジャンプの村」と呼ぶにふさわしい場所です。
さらに、周辺地域にも飯山市の「飯山シャンツェ」というノーマルヒルのジャンプ台があり、丸山さんにとってはホームグラウンドのような存在でした。
幼少期からこの飯山シャンツェで大会に出場し、技術を磨いてきたのです。
地元のジャンプクラブに所属し、地域全体でスキーを愛する雰囲気の中で育ってきた丸山さん。
野沢温泉村という土地の力と、家族の支え、そして何より本人の才能と努力が重なり合って、2026年のオリンピックメダリストが誕生しました。
「人口3,300人の村から、3人のオリンピックメダリスト」というニュースは、スキー文化を守り続けてきた野沢温泉村の誇りでもありますね。
丸山希の実家のまとめ
- 実家は長野県下高井郡野沢温泉村で、民宿「丸賢山荘(まるけんさんそう)」を家族で経営している
- 野沢温泉村は人口約3,000人ながら、ジャンプ台が3か所ある日本屈指のスキーの聖地
- 実家から野沢温泉スキー場のジャンプ台まで徒歩5分という環境でスキー選手として育った
- 父・丸山守さんは民宿経営者で、娘の競技活動を長年にわたって支えてきた一番の理解者
- 民宿「丸賢山荘」の館内には、希さんが競技で獲得したトロフィーが所狭しと飾られている
- ゴンドラ乗り場まで徒歩3分の好立地にある、スキー客に人気の宿
- 母・丸山信子さんは2017年1月10日、ガンにより50歳で他界
- 信子さんは「1番になりなさい」という言葉を娘に言い続けた最大の応援者でもあった
- 信子さんは闘病中も試合会場に足を運んで応援し続けた
- 母の死の直前、「チャンスを無駄にするな」という伝言が、丸山さんが葬式を欠席してW杯に向かう決断につながった
- 丸山さんの名前「希」は母・信子さんがつけた名前で、その「希望」がオリンピックのメダルという形で実を結んだ
- 兄・雄さんは2024年に東京から戻り、父と共に実家の民宿を経営している
- 姉・純さんもスキージャンプ選手として活躍し、ワールドカップへの出場経験を持つ実力者
- 丸山さんは3人きょうだいの末っ子で、兄・姉の背中を追ってスキージャンプの道へ進んだ
- 2歳でスキーを始め、小学4年生から本格的にジャンプクラブで練習をスタートした


