岩崎良美の病気って何?パリへの異常な愛着「パリ病」の全貌と驚くべき日常

岩崎良美の病気って何?パリへの異常な愛着「パリ病」の全貌と驚くべき日常

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岩崎良美さんの「病気」を心配して調べている方、実はびっくりするほど元気に活動中なんです。

「病気」とは医学的な疾患ではなく、パリ・フランス文化への愛着が常軌を逸したレベルに達した「パリ病」のこと。

ライブで20曲中15曲以上をフランス語で歌い、代表曲「タッチ」を一切歌わなかったというから、その「病気」ぶりは本当に筋金入りなんです。

この記事を読むとわかること
・岩崎良美さんの「病気」がパリ病(フランス愛)であり医療的な疾患ではない理由
・猫へのフランス語、ライブ15曲フランス語など驚きの「パリ病」エピソード
・現在の歌手活動・大学院進学・姉宏美との絆など岩崎良美さんの最新情報

岩崎良美が病気と言われるパリ愛の実態を徹底解説

岩崎良美さんが「病気」と言われる理由、実は想像していたものとは全く違うんです。

ここでは、彼女の「パリ病」とも呼ばれるフランスへの愛着がどれほどのものなのか、具体的なエピソードとともに徹底解説していきます。

「病気」とはどういう意味?パリへの異常な愛着の正体

「岩崎良美さんの病気って何?」と検索してきた方、もしかすると「重い病気を患っているのでは?」と心配して調べた方もいるかもしれませんね。

でも安心してください。岩崎良美さんの「病気」は、医学的な意味での病気ではありません。

岩崎良美さんが「病気」と呼ばれる理由は、パリ・フランス文化への愛着が「病気的」なレベルに達しているからなんです。これは本人も笑いながら認めているエピソードで、ファンの間では「パリ病」として知られています。

では、どの程度が「病気」と呼ばれるほどの愛着なのか。一例を挙げると、若い頃からパリを20回以上訪れているのに加え、日常生活でもフランス語を使いまくる、ライブでフランス語の曲を大量に歌うなど、そのこだわりは常軌を逸したレベルと言っても過言ではないんです。

2014年にフジテレビ系「アウト×デラックス」に出演した際、自身のフランス愛を赤裸々に語って視聴者を驚かせたことで、この「病気」という表現が広まりました。

つまり、岩崎良美さんの「病気」とはフランス・パリへの情熱のことであり、医学的な疾患ではありません。

20回以上のパリ訪問と「愛してモナムール」への影響

岩崎良美さんのパリ愛がどれほど本物かを語るうえで欠かせないのが、訪問回数です。

若い頃から今に至るまで、パリを20回以上訪れていると言われています。これは観光で2〜3回行くレベルとは全く違います。ほぼ「ホーム」と言ってもいいくらいの関係性です。

実際、離婚後も「パリに遊びに行きたい」とばかり言い続けていたと報じられており、パリは岩崎さんの精神的な「もうひとつの故郷」なのかもしれません。読んでいてなんかわかる気がしませんか?心の逃げ場というか、癒しの場所がある人って強いですよね。

このパリへの深い愛は、音楽にも色濃く反映されています。その象徴とも言えるのが、1982年にリリースしたシングル「愛してモナムール」です。

東京音楽祭世界大会での受賞

「愛してモナムール」は、東京音楽祭世界大会でベストステージング賞と外国審査員団賞の2冠を受賞した作品。歌詞には「オペラ座を曲がればあの人に会える」というフレーズが登場し、パリの街角で繰り広げられるロマンチックな恋愛が描かれています。

これほどリアルにパリを描けたのは、岩崎さんが実際に何度も訪れ、街の空気を肌で感じているからこそ。単なる「外国かぶれ」ではなく、パリの文化・芸術・人々への深い理解があるからこそ生まれた楽曲だと言えます。

その後、2001年のシングル「鳥になって」からはフレンチポップスが本格的にレパートリーに加わり、岩崎さんの音楽はますますフランスの香りを帯びていくことになります。

ライブで15曲フランス語を歌い「タッチ」を省いた衝撃エピソード

これは本当に驚きのエピソードです。知ったときびっくりしませんでしたか?

2014年8月に放送されたフジテレビ系「アウト×デラックス」で、岩崎良美さんが自身のライブについてとんでもない告白をしました。

ライブで20曲中15曲以上をフランス語で歌い、代表曲「タッチ」を一切歌わなかったというのです。

「タッチ」と言えば、1985年のアニメ主題歌として岩崎良美さんの名前を全国に広めた最大のヒット曲です。第27回日本レコード大賞金賞も受賞した、誰もが知っているあの曲を、です。

ライブに来たお客さんは当然「タッチ」を期待して会場に来ていますよね。なのに20曲中15曲以上がフランス語で、「タッチ」もない。観客が「キョトン」としてしまったというのも、そりゃそうだなという感じですよね。

それでも岩崎さんは悪びれる様子もなく、楽しそうにこのエピソードを語ったと言います。この自由さと信念の強さ、ある意味すごいと思いませんか。

「パリ病」とは、ここまでファンよりも自分のやりたいことを優先してしまうほどの情熱、ということかもしれません。

猫にフランス語で語りかけ留守電もフランス語にした日常

ライブだけではありません。岩崎良美さんの「パリ病」は日常生活にまで深く浸透しています。

同じく「アウト×デラックス」での告白によれば、自宅で飼っていた猫にフランス語で話しかけていたというんです。猫はフランス語を解さないはずですが、それでも日常的にフランス語で語りかけていたというのですから、もはや「習慣」を超えて「呼吸」のようなものになっているんですよね。

さらに、留守電のメッセージもフランス語で設定していたとのこと。これは電話をかけてきた相手を驚かせるどころか、混乱させてしまいますよね。実際、当時の夫(産婦人科医)がこの留守電についてだけは咎めたと岩崎さん自身が語っています。

面白いのは、猫にフランス語で話しかけることや、ライブでフランス語を連発することは夫に咎められなかったのに、留守電だけは咎められたというポイントです。それほど日常への影響が大きかったということでしょう。

友人関係もフランス語教室で出会った男性がほとんどになっていたという報道もあり、フランスへの愛着がライフスタイル全般を変えていったことが伝わってきます。

フランス愛が離婚の原因になったとされる真相

岩崎良美さんは2011年10月に都内の大学病院に勤める産婦人科医の男性と結婚しました。当時50歳、相手は3歳年上という遅めの結婚で、ファンも多く喜んだそうです。

2人には動物好きという共通点があり、元夫も猫を1匹飼っていたことが縁になったとも言われています。結婚後は岩崎さんの猫を含めた3匹の猫を一緒に飼っていたとのこと。なんかほっこりするエピソードですよね。

元夫との結婚の経緯と共通点

結婚発表当時、岩崎さんはそれまで「熱愛報道」がほぼゼロだったことで知られており、出会いから結婚まで約5ヶ月というスピード婚も話題になりました。元夫は8年前に前妻を亡くしており、23歳の長男と18歳の長女がいたとされています。岩崎さんはいきなり二人の継母になったわけですが、特に娘さんを可愛がっていたというエピソードが伝わっています。

しかし2018年(結婚から7年目)に離婚。2019年6月に週刊文春の報道で発覚しました。

岩崎さん本人は離婚理由について「お互いに性格不一致ということで」と答えるにとどめていますが、週刊文春の報道では並外れたフランス愛・家庭より趣味を優先する姿勢が離婚の一因になったと伝えています。

「ここ数年、友人といえばフランス語教室で出会った男性がほとんど」「家庭より趣味を優先する岩崎に、夫が愛想を尽かした」という芸能記者のコメントも報じられています(これは報道内容であり、確定的な事実ではありません)。

ただ確かなのは、岩崎さんが離婚後も「パリに行きたい」と言い続けていたという事実であり、それが彼女の優先順位をある程度物語っているとも言えます。

ジェーン・バーキンへの憧れと自立の思いが「パリ病」の根源

では、なぜ岩崎良美さんはここまでフランス・パリに魅了されたのでしょうか。

本人がインタビューで語っているところによると、そのルーツは歌手活動の休業期間にあります。1980年代後半、姉・宏美さんとの比較に悩み、大好きだった歌が次第に楽しくなくなっていった岩崎さん。その苦しい時期に出会ったのが、ジェーン・バーキンの音楽でした。

「ヨーロッパの風が吹くような、自立した女性を応援するような歌を歌いたい」という思いを持つようになり、その実現のためにフランス語やシャンソンを学び始めたのです。

ジェーン・バーキンはフランスで活躍したイギリス人女優・歌手で、セルジュ・ゲンズブールとのパートナーシップでも知られる存在。自由奔放でアーティスティックな生き方は、当時の岩崎さんにとって「こうありたい」という理想像だったのかもしれません。

歌手復帰後の1998年に「Message」を発表し、2001年のシングル「鳥になって」ではフレンチポップスを本格的に取り入れ始めます。自らが作詞した楽曲もあり、フランス語への愛着がそのまま音楽の方向性を決めていきました。

「鳥は少しずつ巣を作る」というフランスのことわざを信条に掲げているとも言われており、コツコツと積み重ねていく姿勢もフランス文化から受け取ったものなのかもしれませんね。

世間が感じるパリ愛への共感と驚き

岩崎良美さんのパリ愛について、世間ではどんな声が上がっているのでしょうか。

テレビ出演時に披露されたエピソードが話題になるたびに、「すごい」「自由すぎる」「でもなんか好き」という声が多く見られます。ライブで20曲中15曲フランス語というエピソードには「それはファンへの配慮が…」という驚きの声もありますが、「岩崎良美らしい」「ブレないところが好き」という肯定的な受け止めも少なくありません。

フランスを愛する人たちからは「わかる、パリって一度行ったら忘れられない」「パリ病は本当にある」という共感の声も。岩崎さんのケースは極端ではあっても、パリに魅了される感覚は多くの人が持っているようです。

また、年齢を重ねても自分の好きなことを追い求める姿勢に「60代でも変わらずかっこいい」「こういう大人になりたい」という憧れの声もあります。還暦を過ぎても大学院に進学し、45周年記念ライブを開催する岩崎さんのバイタリティは、多くの人にとってのロールモデルになっているかもしれません。

まとめ:岩崎良美の「病気」はパリへの情熱そのもの

  • 岩崎良美さんの「病気」とは医学的な疾患ではなく、パリ・フランス文化への異常なまでの愛着を指す「パリ病」のこと
  • 若い頃から現在まで、パリを20回以上訪れており、フランスは岩崎さんにとっての「もうひとつの故郷」
  • 「愛してモナムール」(1982年)は「パリ病」が生んだ代表作で、東京音楽祭世界大会でベストステージング賞・外国審査員団賞を受賞
  • ライブで20曲中15曲以上をフランス語で歌い、代表曲「タッチ」を歌わなかったという衝撃的なエピソードがある
  • ペットの猫にフランス語で語りかけ、留守電のメッセージをフランス語にするなど、日常生活もフランス一色だった
  • 留守電のフランス語設定については、当時の夫(産婦人科医)から咎められたと本人が語っている
  • 2018年に離婚し、並外れたフランス愛が一因になったとも報道されているが、真相は「性格不一致」と岩崎さんは語っている
  • 「パリ病」の根源は、歌手休業時代にジェーン・バーキンの音楽に出会い、「自立した女性を応援する歌を歌いたい」と思ったこと
  • 2020年春のコロナ禍による活動自粛を機に、翌2021年4月に桜美林大学大学院修士課程(経営学)に入学
  • 修士論文のテーマは3〜9歳を対象とした絵本ビジネスで、6か所の幼稚園で自作絵本の読み聞かせ調査を実施
  • 2024年には「タッチ(2024)」をavex traxよりリリース、2025年12月には45周年記念ライブを開催するなど現役で精力的に活動中
  • 姉・岩崎宏美さんとは幼少期から深い絆で結ばれており、芸能界入りも宏美さんの後押しがあってこそ
  • 2008年に姉妹初のジョイントコンサート「Precious Night」を開催、以降定期的に姉妹ライブを実施している
  • 1985年の「タッチ」は第27回日本レコード大賞金賞を受賞し、岩崎良美の名を全国に広めた最大のヒット曲
  • 2006年からNHK Eテレ「おさるのジョージ」のナレーターを継続的に担当している

岩崎良美の病気を調べる人向けの関連情報

岩崎良美さんを調べている方が一緒に知っておきたい関連情報をまとめました。現在の活動から大学院進学の経緯、姉・宏美さんとの関係まで、岩崎良美さんのことをもっとよく知れる内容です。

現在も続く精力的な歌手活動と45周年記念ライブ

「岩崎良美さんって今も活動しているの?」と思っている方、現在もバリバリ現役です!

2024年7月には「タッチ(2024)/おさるのジョージ」をavex traxよりリリースし、現代のアレンジで生まれ変わった「タッチ」を披露しました。あの名曲が2024年版として蘇ったことに、ファンの間では大きな反響がありました。

そして2025年12月18日には、東京・ヤマハホールで「岩崎良美 45周年記念LIVE」を開催。デビューから45年という節目を、ステージで華やかに彩りました。このライブの模様はライブアルバム「Grâce à vous(グラス・ア・ヴー:あなたたちのおかげで)」として2026年4月1日にリリース予定です。タイトルからもフランス愛が溢れていますね。

音楽活動以外にも、NHK Eテレの人気アニメ「おさるのジョージ」のナレーターとして2006年から継続的に活動中。長年にわたって子供たちに親しまれているキャラクターの声を担当し続けているのもすごいことです。

また、2025年4月からは姉・岩崎宏美さんとのレギュラーラジオ番組「お茶にする?」がSTVラジオ、秋田放送、東北放送、信越放送、四国放送でスタート。姉妹の掛け合いが楽しめる番組として注目を集めています。

還暦で大学院に進学した経緯とコロナとの関係

岩崎良美さんが2021年4月に桜美林大学大学院修士課程に入学したというニュースは、当時大きな話題になりました。当時59歳(翌月に60歳)での大学院進学、しかも専門は経営学というから驚きです。

なぜそんな決断をしたのか。その背景には、新型コロナウイルスの影響がありました。

2020年春以降、コロナ禍による公演キャンセルが相次ぎ、長年続けてきた歌手・女優としての活動が突然ストップ。「このまま何もしないでいたら自分が腐ってしまう」という危機感を持ち、思い悩んだ末に大学院進学を決めたと言います。

修士論文テーマ「絵本ビジネス」の内容

在学中は1日3時間睡眠もいとわないほど勉強に没頭したとも言われており、その集中力と向上心は現役時代さながらだったようです。

修士論文のテーマは「3歳から9歳を対象とした絵本ビジネス」。実際に6か所の幼稚園を訪問し、自ら作った絵本の読み聞かせをしてアンケートを取るというフィールドワークを実施しました。

まさに行動力の塊ですよね。60歳目前でゼロから新しい分野に飛び込み、自分の足で現場を歩いて研究を完成させる。この姿勢こそが、岩崎良美さんが年齢を感じさせない活力を持ち続けている理由なのかもしれません。

姉・宏美との深い絆と姉妹でのジョイントコンサート

岩崎良美さんを語るうえで欠かせないのが、姉・岩崎宏美さんとの関係です。

岩崎良美さんは3姉妹の末っ子(次姉が宏美さん)。子供の頃から姉の宏美さんの活躍に憧れ、自身も芸能界入りを目指しましたが、両親は猛反対。「岩崎宏美は2人もいらない」と言われ、良美さんは泣きながら宏美さんに訴えたことがあったそうです。

すると宏美さんは即座に両親の元へ行き、「妹の夢を壊す権利があなた達のどこにあるの!」と激怒してくれたといいます。これは読んでいてじんわりするエピソードですよね。お姉さんの姿がかっこよすぎます。

こうして宏美さんの後押しもあり芸能界入りを果たしたわけですが、その後はしばらく「姉との比較」に悩む時期もあったようです。デビュー後、姉の影に隠れているような感覚が辛かったと本人も語っています。

しかし歌手復帰後は2人の関係は大きく変化し、2008年に公式として初のジョイントコンサート「Precious Night」を開催。以降、姉妹によるコンサートは定期的に開催されるようになり、現在も「宝くじ助成・まちの音楽会」として全国各地でジョイントライブが実施されています。

2025年4月からの共同ラジオ番組「お茶にする?」も含め、今では公私ともに姉妹の絆がより深まっています。

代表曲「タッチ」とアニメ「タッチ」との縁

岩崎良美さんと言えば「タッチ」。この曲との縁は、彼女のキャリアを大きく変えました。

もともと岩崎さんはデビュー当初から音楽性の高いニューミュージック路線で注目されていましたが、「難しすぎる」「先を行き過ぎている」という評価もあり、爆発的なヒットとは縁がありませんでした。

転機は1985年。それまでとは路線を大きく変えた20枚目のシングル「タッチ」のリリースです。あだち充さんの人気漫画を原作にしたフジテレビ系テレビアニメ「タッチ」のオープニングテーマとして起用されたこの曲は、アニメのヒットとともに大ブレイク。年末の第27回日本レコード大賞で金賞を受賞し、岩崎良美という名前が幅広い層に知れ渡ることになりました。

その後も「愛がひとりぼっち」「チェッ!チェッ!チェッ!」「青春」「情熱物語」など、「タッチ」シリーズの主題歌・エンディングをほぼ担当。アニメが終わった後も、「タッチ」は世代を超えて愛される定番曲として残り続けています。

なお、あだち充さん自身が岩崎良美さんのファンであることを公言しており、良美さんが「タッチ」の主題歌を担当してからは2人の親交が続いているというのも、なんとも素敵なエピソードですよね。

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