ビリーバンバンの弟・菅原進の再婚!知子との10年交際の馴れ初めと前妻との離婚理由

ビリーバンバンの弟・菅原進の再婚!知子との10年交際の馴れ初めと前妻との離婚理由

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ビリーバンバンの弟・菅原進さんが再婚した相手は、なんと25歳年下のピアニストだったというから驚きですよね。

1999年に出会い、10年という長い交際期間を経て2009年に結婚。前妻との離婚理由から、夫婦で手がけたドラえもん映画の挿入歌まで、2人の愛の物語はとても深いんです。

兄・菅原孝さんとの別れや自らの病気を乗り越えながらも「歌い続けたい」と語る進さんを、そばで支え続ける知子さんとの関係を、詳しく見ていきましょう。

この記事を読むとわかること
・ビリーバンバン弟・菅原進の再婚相手・知子さんのプロフィールと馴れ初め
・前妻との離婚理由とビリーバンバン解散との関係
・菅原進の病気や兄・孝さんの死去など現在の状況

ビリーバンバンの弟・菅原進が再婚した嫁・知子のプロフィールと馴れ初め

ビリーバンバンの弟・菅原進さんの再婚相手はどんな方なのか、詳しく見ていきましょう。

再婚相手・知子のプロフィール(25歳年下のピアニスト)

ビリーバンバンの弟・菅原進さんの現在の奥さんは、菅原知子さん(旧姓:中村)という25歳年下のピアニスト・作曲家です。

知子さんは和歌山県御坊市出身。

幼少期からピアノに親しみ、なんと4歳のときからピアノを習い始めたという、本格的な音楽家です。

日高高校を卒業後、関西外国語大学短期大学へ進学。短大卒業後は大阪のレストランなどでピアノの演奏活動を行い、着実に音楽のキャリアを積んでいきます。

そして、25歳のときに上京。1999年には「サンミュージックタレントオーディション」で自作曲を歌って入賞を果たしました。

これは決して小さな功績ではありません。大手芸能事務所のオーディションで自作曲が評価されるというのは、その才能が本物であることを証明しています。

項目内容
名前菅原知子(旧姓:中村)
出身和歌山県御坊市
学歴日高高校→関西外国語大学短期大学
職業ピアニスト・作曲家・ピアノ教師
菅原進との年齢差25歳(進さんが年上)
結婚年2009年

ただ音楽が好きなだけじゃなく、それを仕事にして活躍し続けている方なんですね。

ピアニストとして多彩な活躍

知子さんは結婚後も、ジャズ・ポップスピアニストとして精力的に活動を続けています。

まずピアノ教室を主宰し、地域の子どもたちや音楽を愛する人々への指導を行っています。

また、地方のテレビやラジオCMに楽曲提供をするなど、作曲家としての顔も持ちます。

そして、夫・菅原進さんの楽曲へのサポートも欠かせない存在に。ビリーバンバンの名曲「雪が降る前に」は、なんと知子さんが作曲した楽曲なのだそうです。

これを聞いて、夫婦の絆の深さを感じませんか?自分の妻が作った曲を、自分がステージで歌う。それはただの夫婦というより、音楽を通じた真のパートナーという感じがします。

ドラえもん映画の挿入歌も夫婦で作曲

2022年3月公開の「映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争2021」では、夫婦合作の挿入歌「ファイン ありがとう」が採用されました。

作詞は松井五郎さん、作曲は菅原進さんと知子さんの夫婦で担当。

「兄弟愛」をテーマにしたこの楽曲は、ビリーバンバンの兄弟デュオとドラえもん・のび太の関係をオーバーラップさせた感動的な一曲です。

知子さんはこのとき、「父から教えられた『ありがとう』という言葉の大切さ。松井さんの詩を見た瞬間、すぐにメロディーが浮かんだ」と語っています。

……こういうエピソードを知ると、知子さんがただピアノが上手いだけじゃなく、音楽への深い想いを持った方だということがわかりますよね。

女性ユニット「musuBees」でも活動中

知子さんはさらに、友人のシンガーソングライターYUKI-Mさんらと女性ユニット「musuBees(ムスビーズ)」を結成し、ファースト楽曲「愛の船」をリリースするなど、自分自身の音楽活動も精力的に続けています。

「いいちこ」のテレビCM最新曲「ふたり物語」も夫婦で作曲したほか、ビリーバンバンの名曲を題材にした絵本「白いブランコ」(ゆめのかたち社)の出版にも関わるなど、その活動の幅は広がる一方です。

出会いのきっかけと10年の交際

では、菅原進さんと知子さんはどのようにして出会ったのでしょうか。

2人の出会いは、1999年に共通の知人を介してでした。

知子さんが25歳で上京し、サンミュージックのオーディションに入賞した、まさにその年のことです。

当時の進さんはすでにビリーバンバンとして長いキャリアを持つベテランアーティスト。そんな進さんが、才能あふれる若き音楽家・知子さんと出会い、音楽を通じて共鳴し合っていったのだと思います。

2人は共通の音楽という絆を持ちながら、10年という長い交際期間を経て、2009年に晴れて結婚を果たします。

10年もの交際というのは、決して急いで結婚を決めたわけではないということ。お互いをじっくりと見極め、「この人と一生を歩みたい」と確信を持ったうえでの決断だったのではないでしょうか。

急がず、慌てず、10年かけて育んだ愛。それがこの2人の再婚の形だったんですね。

2009年に再婚:当時の年齢差は25歳

2009年に迎えた再婚のとき、菅原進さんは61歳(1947年9月生まれ)、知子さんは36歳ほど。

年齢差は実に25歳という、なかなかのビッグカップルです。

「25歳年下の奥さんとの再婚」というと、驚かれる方も多いかもしれません。でもこの2人の場合、純粋に音楽という共通項で結ばれた縁だということが伝わってきます。

菅原進さんが61歳という年齢で新しい人生の扉を開いた。それは、音楽と出会い、人を愛することに対して、年齢は関係ないということを体現しているようで、なんか素敵だなと思いませんか。

夫婦で映画ドラえもんの挿入歌を作曲

前述のとおり、2022年の映画ドラえもん挿入歌「ファイン ありがとう」は夫婦の合作です。

この楽曲が誕生した背景には、2020年のビリーバンバン50周年コンサート終了後に映画会社から依頼があり、夫婦で相談しながら数日で完成させたというエピソードがあります。

知子さんは「コロナ禍で、それまで当たり前だったことが当たり前ではなくなった。『ありがとう』は人生を好転させる最強の言葉。一人では無理なことでも、誰かと手を携えれば乗り越えられる。そんな未来を願って作りました」と語っています。

コロナという困難な時代に、夫婦二人で作り上げた楽曲がドラえもんという国民的作品の映画で流れる。これは夫婦にとっても、二人の音楽活動の集大成ともいえる喜びだったでしょう。

前妻はモデル、離婚した理由

菅原進さんには、知子さんと再婚する前に、前妻との結婚歴があります。

最初の結婚相手は1歳年上の元モデルの女性で、2人の男の子をもうけています。

では、なぜ離婚に至ったのか。この点については、進さん本人がサライ誌(2019年11月号)のインタビューで、率直に語っています。

「僕は休息を欲していました。でも妻にはそれが理解できなかった。今なら妻の気持ちがわかります。急に夫が無職になり、一日中家で酒を飲んでいるんですから。そりゃ不安です。でも妻に『暇ならお店でもやればいい』と強く責められ、自分を見失いました。結局、離婚することになってしまい……」

これは1976年のビリーバンバン解散後の話です。

進さんは音楽に対するこだわりが強く、自分が納得できる音楽を作れない日々の中で、ビリーバンバンを解散することを決断します。そして解散後、しばらく休息したいと思っていたのですが、前妻にはその気持ちが伝わらなかった。

……これは、お互いが悪いわけではないんですよね。前妻の不安も当然だし、進さんが休息を求めた気持ちも理解できます。ただ、2人の間でその想いが噛み合わなかった。そういうことだったのだと思います。

離婚の理由は、音楽への向き合い方の違いと、解散後の生活への不安が噛み合わなかったことでした。

前妻との間の子供たち

前妻との間には、2人の男の子がいます。

進さんは現在も知子さんとの夫婦生活を築きながら、前妻との子供たちとの関係も持ち続けているとみられます。

知子さんについても、「菅原進さんの過去を受け入れながら、継子たちとの関係も構築している」という情報があります。

前妻との子供がいる方と再婚するというのは、なかなか簡単なことではありません。それでも2人の関係が長年にわたって続いているということは、知子さんが進さんのすべてを受け入れ、包み込んでいるということなのかもしれません。

再婚後の夫婦生活と幸せなエピソード

再婚後の2人の夫婦生活は、音楽という共通言語で結ばれた、非常に充実したものです。

知子さんはピアノ教室を主宰しながらも、菅原進さんのYouTubeチャンネル「ビリーバンバンの菅原進が歌ってみた」のピアノ演奏やコーディネートを担当。「うっせぇわ」など人気楽曲をビリーバンバンのテイストでカバーするこのシリーズが、多くのファンに好評を博しています。

仕事でもプライベートでも常に二人三脚で歩む2人。

進さん自身も、病気を乗り越えた際に「朝目が覚めると『ああ、今日も生かされてありがとう』という気持ちが生まれます」と語り、家族の大切さを深く感じていることが伝わります。

音楽を通じて出会い、音楽を共に作り、音楽と共に生きる——菅原進さんと知子さんは、まさに理想のパートナーシップを築いています。

ビリーバンバンの弟の再婚を調べる人向けの関連情報

菅原進さんのさらに詳しいプロフィールや、ビリーバンバンの歴史についても見ていきましょう。

菅原進のプロフィールとビリーバンバンの歴史

まず、改めて菅原進さんのプロフィールをまとめておきましょう。

項目内容
名前菅原進(すがわら すすむ)
生年月日1947年9月21日
出身地東京都国立市
学歴青山学院大学卒業
担当楽器ボーカル・ギター
所属事務所ハブ・マーシー
レーベルユニバーサルミュージック

菅原進さんはビリーバンバンの弟として、主にボーカルとギター、そして楽曲の作曲・作詞を担当してきました。

音楽に対するこだわりは非常に強く、「フォークシンガーは自分で作詞作曲し、自分で歌うもの」という信念を持っています。1972年の大ヒット曲「さよならをするために」でさえ、「自分で作った曲でないから歌いたくない」とレコーディング当日にすっぽかしたことがあったほどです(結果的には歌いましたが)。

父親は都庁勤務の役人で、母親は女学校時代に歌のコンクールで優勝したこともある歌声の持ち主。音楽の才能は母親譲りと言っていいでしょう。

解散・再結成の経緯

ビリーバンバンは1969年のデビューから、数多くのドラマを経てきました。

1969年、キングレコードより「白いブランコ」でメジャーデビュー。20万枚のロングヒットとなります。

1972年、テレビドラマ「3丁目4番地」の主題歌「さよならをするために」が80万枚の大ヒットを記録し、同年NHK紅白歌合戦に初出場を果たします。

しかしその後、兄弟の音楽観の違いが顕著になっていきます。弁舌さわやかで歌う曲にこだわりのない兄・孝さんと、口下手で音楽に強いこだわりを持つ弟・進さん。この溝は次第に広がり、1976年に解散という決断に至ります。

解散後、兄・孝さんは司会者として活躍。弟・進さんは歌手・作曲家として個別に活動します。

そして1984年に再結成

きっかけは、兄・孝さんが「1日限定でいいから、ビリーバンバンのコンサートをやってくれ」という依頼を受けたことでした。最初、進さんは「嫌だ」と即答したと言いますが、兄が勝手に話を進め……久しぶりに「白いブランコ」を2人で歌ったとき、昔と同じようにぴったりとハーモニーが合った。

「自分の居場所はここだ」と感じた進さんは、再結成を受け入れました。

……その兄弟の掛け合いが目に浮かんで、なんか微笑ましいですよね。

再結成後は、麦焼酎「いいちこ」のCMソング「また君に恋してる」(坂本冬美さんのカバーでもロングセラー)などのヒット曲を生み出し、2019年にはデビュー50周年を迎えました。

大腸がんを乗り越えた菅原進の闘病

2014年、菅原進さんに大きな試練が訪れます。

持病の糖尿病の検査で異常が見つかり、内視鏡検査を受けたところ、盲腸に大腸がんが発見されました。ステージⅢで、リンパ節にまで転移している状態でした。

同年5月21日に開腹手術を行い、リンパ節まで除去。通常であれば手術後に抗がん剤治療が行われますが、副作用を考慮して抗がん剤治療を拒否。毎月の検査でフォローアップする方針を取りました。

検査のたびに「今日は大丈夫だろうか」と怯える日々が続いたといいます。でも、結果として転移は確認されず、その後は再発なく活動を続けられています。

兄・孝の脳出血と二人の復活

さらに追い打ちをかけるように、進さんの手術からわずか2ヶ月後の2014年7月、兄・孝さんが脳出血で倒れます。

当時94歳の母親の介護のために実家を訪れていた孝さんが、トイレで力んだ際に前のめりに倒れ、立ち上がれなくなったのです。母親がトイレに探しに来なければ、帰らぬ人になっていたかもしれない。

脳出血は脳の右側で、左半身に障害が残りました。

「このままトラブルが起こって消えちゃったらいいのに」と思うほど追い詰められていたという孝さんでしたが、妻や子どもが自分を必要としてくれたことで生きる力を取り戻したと語っています。

弟ががんと闘い、兄が脳出血と闘う。2014年は兄弟にとって、あまりにも過酷な年でした。それでも2人は復活し、ステージに戻ってきました。

2015年3月には45周年コンサートが開催され、ファンに感動を与えました。

2025年:脳梗塞で転倒・入院

菅原進さんは2025年11月ごろ、自宅のリビングで転倒し、左足の大腿骨頸部を骨折する重傷を負いました。転倒の原因は脳梗塞によるものでした。

すぐに救急搬送され、意識はしっかりしており会話にも支障はない状態。容体は安定しており、順調に回復に向かっているということです。

進さんはこの状況についても、「声が出る限りは歌っていきたい」という強い意欲を持ち続けています。

2014年の大腸がん、そして今回の脳梗塞による転倒。それでも歌い続けようとする姿勢には、音楽に対する純粋な愛情と、生への強い意志を感じます。

兄・菅原孝の死去と現在

そして2025年9月、兄・菅原孝さんが肺炎のため81歳で亡くなりました。

1969年のデビューから半世紀以上にわたって兄弟で歩んできたビリーバンバン。その相方を失うことは、菅原進さんにとって計り知れない喪失だったことでしょう。

進さんは兄の死について、「となりにいてほしい」という本音を語り、「白いブランコ」を歌い上げたといいます。

……想像するだけで、胸が締め付けられます。

それでも、菅原進さんは「僕は続けていきたいですね。声が出る限りは歌っていきたい」と語り、ビリーバンバンとしての活動を続けることへの意欲を持ち続けています。

兄が亡くなり、自らも脳梗塞を経験してなお、歌い続けようとするその姿。それは、長年連れ添ってきた妻・知子さんの支えがあってこそでもあるのかもしれません。

菅原進さんの歌声は、今もこれからも、私たちに届き続けます。

ビリーバンバンの弟の再婚のまとめ

  • ビリーバンバンの弟・菅原進は1947年9月21日生まれ、東京都国立市出身の歌手・作曲家
  • 再婚相手の知子さんは和歌山県御坊市出身で25歳年下のピアニスト・作曲家
  • 知子さんの旧姓は中村、日高高校・関西外国語大学短大卒業後に音楽の道へ
  • 1999年にサンミュージックタレントオーディションで自作曲が入賞
  • 知子さんと菅原進は1999年に共通の知人を介して出会った
  • 10年の交際を経て2009年に再婚、当時進さんは61歳、知子さんは36歳ほど
  • 前妻は1歳年上の元モデルで、2人の男の子をもうけていた
  • 前妻との離婚理由は、1976年のビリーバンバン解散後に休息を求めた進さんと、それを理解できなかった前妻との価値観の違い
  • 知子さんはビリーバンバン楽曲「雪が降る前に」を作曲するなど夫婦で音楽活動を展開
  • 2022年の映画ドラえもん「のび太の宇宙小戦争2021」の挿入歌「ファイン ありがとう」を夫婦で作曲
  • ビリーバンバンは1969年「白いブランコ」でデビュー、1976年解散・1984年再結成
  • 2014年、進さんがステージⅢの大腸がん手術を受け、同年兄・孝さんが脳出血で倒れた
  • 両者とも病気を乗り越え、2015年に45周年コンサートで復活
  • 2025年9月、兄・孝さんが肺炎のため81歳で死去
  • 2025年11月、進さんが脳梗塞で転倒・骨折、現在は順調に回復に向かっているとされる

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