「新宿ブルース」で一世を風靡し、任侠映画では「日活の扇ひろ子」と呼ばれた扇ひろ子さん。
紅白歌合戦に2年連続で出場し、映画では藤純子・江波杏子と人気を競った時代を知る人にとって、いま名前を見かける機会はほとんどないはずです。
「あの扇ひろ子は現在どうしているのか」「もう引退したのだろうか」と気になっている方も多いのではないでしょうか。
結論から言えば、扇ひろ子さんは現在も日本コロムビア所属の現役演歌歌手で、2025年にはテレビ番組の公開収録の舞台にも立っています。そして今も、デビュー前に歌った1曲を歌い続けています。
この記事を読むとわかること
- 扇ひろ子の現在の年齢・所属・活動の形
- テレビで見かけなくなった理由と、いま歌っている場所
- 現在も歌い続けている「原爆の子の像」と、被爆体験に向き合うまでの葛藤
扇ひろ子の現在|81歳の今も日本コロムビア所属の現役歌手
まずは、扇ひろ子さんの現在の年齢・所属・活動状況を、公表されている情報から順に見ていきます。引退したという情報は出ていません。
扇ひろ子の現在の年齢は81歳|1945年2月14日生まれ
扇ひろ子さんは1945年(昭和20年)2月14日生まれ。2026年8月時点で81歳です。
本名は田辺博美さん、出生時の名前は乗松博美さん。出身は広島県広島市段原中町です。
バレンタインデーが誕生日という点は本人も大事にしており、後述する55周年の記念曲のタイトルにもそのまま使われています。
現在も日本コロムビア所属|デビューから一貫して同じレコード会社
扇ひろ子さんは現在も日本コロムビアのオフィシャルサイトにアーティストとして掲載されています。
1963年に日本コロムビアと契約し、翌1964年8月5日に「赤い椿の三度笠」でレコードデビュー。以来、レコード会社を移籍せずに同じ会社で歌い続けている歌手です。
公式プロフィールでも「日活の女侠客シリーズで主役を務め、東映の藤純子、大映の江波杏子と競い合い、人気を博した」という映画時代の記述が現在も残されています。
所属事務所は「オフィス扇ひろ子」|社長は10歳年下の夫・田辺秀昭さん
現在の所属事務所は、個人事務所の「オフィス扇ひろ子」です。
この事務所は1986年に設立されたもので、社長を務めているのが夫の田辺秀昭さん。もともとは扇ひろ子さんのマネージャーとして派遣されてきた10歳年下の男性で、1986年4月に明治神宮で挙式しています。
つまり現在の扇ひろ子さんは、夫が代表を務める自分の事務所で、大手の事務所に属さず活動しているということになります。移籍や独立の話が表に出てこないのは、この体制がすでに40年続いているからです。
2025年7月にはテレビ公開収録に出演|活動は続いている
「現在は活動していないのでは」と思われがちですが、公式サイトのライブ情報には2025年7月24日の出演が掲載されています。
会場は上野不忍池水上音楽堂の「みずどりのステージ」で、チバテレビ・BS12トゥエルビの歌謡番組『歌謡最前線』のテレビ公開収録「うえの夏まつり」でした。開場13時、開演13時30分という真夏の昼公演です。
81歳を目前にした年に、屋外ステージの公開収録に立っていたことになります。
テレビで見かけなくなった理由|地上波の歌謡番組が減ったため
それでも「最近まったく見ない」と感じるのは無理のないことです。
扇ひろ子さんの現在の露出先は、上記のようなBS・地方局の歌謡番組と、ホールや歌謡祭といった公演が中心。全国ネットのゴールデン帯にベテラン演歌歌手がずらりと並ぶ歌番組そのものが、かつてほど存在しません。
本人の活動量が止まったというより、活動が映る場所がテレビの中心から移った、という見方が実情に近いところです。
2021年に歌手生活55周年|記念曲「My Valentine」をリリース
直近で大きく報じられた節目は、2021年の歌手生活55周年です。
2021年4月21日に記念曲『My Valentine 〜2月14日に生まれて〜』をリリースし、同月26日には東京・池袋のホテルメトロポリタンで「歌手生活55周年記念ディナーショー」を開催。ゲストには園まりさん、佐々木新一さんが出演しました。
76歳で新曲を出し、ディナーショーで一晩歌い切っているという事実が、現在の活動レベルを示しています。
「体が元気な限り歌い続ける」|引退を否定する現在のスタンス
扇ひろ子さんは現在の姿勢について、年齢相応の歳の取り方をしながら、体が元気な限り歌を歌い続けていくという考えを示しています。
引退発表や活動休止の告知は、これまで一度も出ていません。歌唱の場を大きく広げるのではなく、来た仕事を続けていくというのが現在の形です。
扇ひろ子が現在も歌い続ける「原爆の子の像」と60年の歩み
ここからは、現在の扇ひろ子さんを形づくった歩みを追います。とくに重要なのが、デビュー曲より先に人前で歌った1曲です。
現在も歌い続ける「原爆の子の像」|デビュー前に平和記念式典で歌った曲
扇ひろ子さんが現在も歌い続けているのが「原爆の子の像」です。
この曲を歌ったのは1964年8月6日、広島平和記念式典の場でした。当時19歳、まだ本名の乗松博美として立った舞台で、レコードデビュー曲「赤い椿の三度笠」の発売より前のことです。
作詞は石本美由起さん、作曲は遠藤実さん。歌詞には「かよわきいのちを 炎に囲まれ 母の名呼びつつ 倒れし子等よ」という一節があり、12歳で白血病により亡くなった佐々木禎子さんら、原爆の犠牲になった子どもたちへの鎮魂歌になっています。
生後半年で被爆|爆心地から2.2キロで父を失う
扇ひろ子さん自身が被爆者です。
1945年8月6日、生後およそ半年だった扇ひろ子さんは、爆心地から2.2キロの地点で母親に抱かれていました。目のくらむような白い光の後、家の壁土が崩れ落ちてくる中、母親が覆いかぶさって守り、鼻や口に詰まった壁土をかき出して命をつないだといいます。
一方、外出していた父親は大やけどを負い、苦しみながら亡くなりました。
被爆者手帳を破り捨てた過去|語らなかった時期があった
ただ、被爆体験を最初から歌にしてきたわけではありません。
扇ひろ子さんが自分が被爆していた事実を知ったのは中学生のとき。大きな不安を抱え、被爆者手帳を破り捨て、仕事の場では過去について語らなかった時期があったと、2025年1月30日の東京新聞の記事で明かしています。
その葛藤を越えて被爆と向き合うことを決め、鎮魂歌を歌い続ける現在に至ります。歌える人が減っていく歌を、被爆者本人が歌い続けているという形です。
幼少期は愛媛と大阪|母の再婚で祖父母に預けられる
父を亡くした後、母親が再婚することになり、扇ひろ子さんは9歳まで愛媛県の祖父母に預けられて育ちました。
その後は大阪市西区で育ち、相愛高等学校を卒業。1963年に日本コロムビアと契約して歌手の道に入ります。広島生まれでありながら関西で育った経歴は、ここから来ています。
1967年「新宿ブルース」が90万枚|ご当地ソングの先駆け
代表曲となったのは、1967年の「新宿ブルース」です。
1965年に「哀愁海峡」がヒットしていたものの、この時期は思うようなヒットに恵まれず、引退を考えていたともいわれます。レコード会社側も地名入りのタイトルでは売れないと懸念していました。
ところが北海道で話題になったことをきっかけに火がつき、1968年時点で90万枚を売り上げる大ヒット。地名を冠した歌の先駆けとなり、後のご当地ソングの道を開いた曲として位置づけられています。
紅白歌合戦に2年連続出場|1967年・1968年
「新宿ブルース」のヒットにより、扇ひろ子さんはNHK紅白歌合戦に初出場します。
第18回(1967年)は「新宿ブルース」で春日八郎さんと対戦、第19回(1968年)は「みれん海峡」で村田英雄さんと対戦しました。2年連続の出場です。
女優としての顔|日活の女侠客から「女囚701号/さそり」まで
歌手としての人気に続いて、映画にも進出します。
1969年、石井輝男監督に誘われて日活『昇り竜 鉄火肌』で主演。以降『昇り竜』『姐御』といった任侠路線の女侠客役で多数の作品に出演し、「日活の扇ひろ子」として人気を集めました。1971年には中平康監督の『闇の中の魑魅魍魎』にも出演しています。
1972年には東映の『女囚701号/さそり』(主演・梶芽衣子)で準主役の女囚役を演じました。現在も語られる作品に名前が残っている理由です。
二度の結婚と子供|現在は夫婦二人で事務所を続けている
私生活では、1972年に「鹿島密夫とダイナ・ショウ」の鹿島密夫さんと結婚しています。18歳年上の相手で、1976年に離婚しました。
その後、前述の10歳年下の元マネージャー・田辺秀昭さんと1986年4月に再婚し、オフィス扇ひろ子を設立。子供はいません。
現在の活動が夫婦二人の事務所で成り立っているのは、この再婚と独立が出発点になっています。
2013年に歌手生活50周年、2014年にレコード大賞功労賞
キャリアへの評価としては、2013年に歌手生活50周年を迎え、2014年には第56回日本レコード大賞の功労賞を受賞しています。
2012年には広島市文化交流会館でのコンサートにも出演しており、生まれた街で歌う機会も続けてきました。デビューから60年以上、レコード会社を変えずに歌い続けてきた歌手ということになります。
まとめ:扇ひろ子の現在
扇ひろ子さんの現在について、確認できることを整理します。
- 1945年2月14日生まれで、2026年8月時点の年齢は81歳。引退の発表はない
- 現在も日本コロムビア所属の現役演歌歌手で、所属事務所は夫・田辺秀昭さんが社長を務める「オフィス扇ひろ子」
- 2025年7月24日には上野不忍池水上音楽堂での歌謡番組の公開収録に出演している
- テレビで見かけないのは活動が止まったからではなく、露出先がBS・地方局の歌謡番組とホール公演に移っているため
- 2021年に歌手生活55周年を迎え、記念曲『My Valentine 〜2月14日に生まれて〜』をリリース、ディナーショーも開催した
- 生後半年で被爆して父を亡くしており、デビュー前の1964年に平和記念式典で歌った「原爆の子の像」を現在も歌い続けている
「新宿ブルース」のヒットから60年近く、扇ひろ子さんはレコード会社も事務所も変えずに歌ってきました。
芸能ニュースの対象にならないぶん現在の姿は見えづらいのですが、被爆者として鎮魂歌を歌える歌手が年々減っていく中で、その1曲を歌い続けていることが、いまの扇ひろ子さんの立ち位置をよく表しているように思います。


